短編8

一匹狼と森の熊(3)




 バイトを続けて半月も過ぎると、いろんなことが見えてくるようになった。
 その中でも私がいちばん気になったのが、なんでこの会社には、こんなにエバッてるやつがいんの? ということだ。
 私と冴木さんが働く倉庫には、一日中人の出入りが激しい。業者はもちろんのこと、社内の人間もあれこれやって来ては、主任である冴木さんとやり取りをしていく。時々問題が起きたりすることもあるらしく、そのたび冴木さんはバタバタと忙しなく、あちこち走り回って解決に努めているみたいだった。冴木さんが困っている (と推測される) 表情をしていても、内容が難しくて私にはよく判らないので、大変だなあと思いつつ眺めることしか出来ないのだが。
 しかしだ。
 そんな風に冴木さんと接する社内の連中の中には、意味もなく、妙に彼に対して威張り散らすような人間がいるのである。
 よっぽど偉い人、というのならまだしも話が判るのだが、明らかに何の肩書もついていないようなヒラ社員、あるいはバイト面接で会ったハゲデブのオッサン、そんなやつらが、バカみたいにふんぞり返り、威圧的かつ強権的な態度をとったりする。筋の通らないことで言いがかりをつけ、大声で怒鳴り散らすこともある。チンピラが、「ガンつけやがってこの野郎」 とインネンを吹っ掛けるのと変わらない。その姿は、これでも社会人か、と呆れるくらいに幼稚だった。
 そういう連中に対して、冴木さんはというと、これがひたすら大人しい。反論することも、言い返すこともしないで、時には自分は悪くもないのに謝っている。厄介ごとを持ち込まれても、黙って一人で後始末をしていたりする。礼を言うどころか、偉そうに文句を垂れるようなのが相手でも、だ。
 そういう時、冴木さんは何も言わず、ただ、困ったように目を伏せる。


「かーのじょー、今日ヒマなら帰り一緒にメシでも食わないー?」
 と雲の上まで浮いていきそうな軽い声を私に向かってかけてきたのは、そういう強気バカタイプに分類される若い男だった。
「そんなヒマはないっすね」
 荷物を台車に乗せて押しながら、私は素っ気なく返した。ヒマがないのは本当だが、たとえヒマがあったとしてもお断りだ。こいつみたいなのと差し向かいでメシ食うくらいなら、大枚はたいてホカ弁を買う。
 だって私、この間、見ちゃったからさ。この男が冴木さんの目の前で堂々と舌打ちし、「早くしろよ、このグズが」 なんてほざいてるのをね。重量のあるこの台車で、目の前にある男の足を轢き潰さないだけ、私は寛大だ。
「ええー、なんだよ、スカしたこと言っちゃってー。フリーターでテキトーにバイトした金で遊び回ってんだろー? メシ食うくらい、いいじゃん」
 ヘラヘラと笑っている顔を見て、心底不思議に思った。なんでどいつもこいつも、フリーター、イコール、遊び人、なのだ? 言っちゃなんだが私は多分、勤務時間中にナンパをするあんたよりはよっぽど地道に働いてるぞ。
「つーか、金がないとか?」
 ああそうさ、金はないさ。キッパリ断言させてもらうが、私は二十四時間三百六十五日、いつだって常に金欠だ。悪いか。
「なに、遊びすぎ? あーあ、いいよなー、バイト代を小遣いに全額廻せるやつは。羨ましいね」
 だったらいつでも立場を代わってやるがね。大体、バイト代を全部小遣いにしている人間が、スーパーのセールで買った一枚五百円のTシャツを着てるわけないだろうに。お前の目は節穴か。
「しょーがねえなー、そんじゃ、俺がオゴッてやるよ。ラーメン屋とファミレスのどっちがいい?」
 この男のことは嫌いだが、オゴってやる、という言葉には、正直言ってちょっと揺れそうになった。くうっ、私の弱点を突いてくるとは卑怯なり。しかし器の小さい男はナンパもみみっちい。冴木さんが買ってきてくれた昨日の私の弁当は、豪勢にも大盛り焼肉弁当だったぞ。美味しかった。
「アンタもさあ、こーんな薄暗い倉庫の中で、一日中あんなヒゲ面のむさ苦しい男と一緒にいると、息が詰まるだろ? 俺と楽しく遊んで気晴らししようぜー」
 もともと私は大雑把な性格をしているので、これまで、誰かと一緒にいることで 「息が詰まる」 などと思ったことはない。でも、今、ちょっとその意味が理解できた。男は話しながらどんどんこちらに顔を近づけてくるから、なんとなく私の吸う酸素まで横取りされているような気分になるのだ。なるほど、息が詰まる。
 私がずーっと返事もしないで仕事を続けているというのに、男にはちっとも諦める素振りがなかった。どうやら、「フリーターでチャラチャラ遊んでる女の子」 は簡単に落とせる、という鉄壁の法則でも持っているらしい。え、てことは、私もこのチャラ男と同じように見られてるわけ? そりゃ確かに茶髪はおそろいだけど。すっごく不本意。
「大体、会社に勤めてるってのに、あのヒゲどうなんだよ。社会人としての自覚がないんじゃねえの。そう思わない?」
 うん、茶髪男が言っても、まったくなんの説得力もないね。私がこの会社の社長だったら、正社員に全員、茶髪禁止令を出してやるところだ。もちろん勤務時間中のナンパも禁止。髭はよし。
「ガタイはでけえのに、話す時も人の顔見ねえしさ。地味だし。面白いことの一つも言えねえし。なーんか、見ててイラつくんだよなあ」
 男は意地の悪そうな目でニヤつき、わずかに声音を抑えた。でも、この話し声、多分、冴木さんの耳にはしっかりと届いている。
 さっきからこちらを心配そうに見ている冴木さんは、その無神経な言葉には取り立てて反応を見せなかったが、男の手が私の肩に置かれた途端、はっきり眉根を寄せた。
 くるりとこちらを向く。
 まっすぐ向かってくるその大きな身体を見て、私は素早く行動した。
「いってえっ!」
 男の悲鳴に冴木さんの足が止まった。それを確認して、よし、と内心で頷く。こんなやつを追い払うのに、わざわざ冴木さんの手を煩わせるまでもないからな。
 私は迷惑げに顔をしかめて、男を見た。
「なんすか、大声出して。ここ倉庫だから、反響してうるさいんですけど」
「なに言ってんだよ! 足、足! お前、今、その重たい荷物を俺の足の上に置いただろ! めちゃめちゃ痛え!」
「あーあ。箱が汚れる」
「あーあじゃねえよ! なんで荷物のほうの心配してんだ!」
 男はうるさく、痛ってえー、と喚きながら、荷物の下敷きになった足を浮かして片足でびょんぴょんと飛び回っている。大げさな。すかさず、無事なほうの足に台車を転がしてぶつけてやったら、バランスを崩し、わあっ! と叫んで床に倒れた。
 やれやれ、大人のくせに、落ち着きのないやつだなあ。
「そんなところで昼寝してると、危ないっすよ?」
「てめっ……、ふざけんな! わざとやってんだろ!」
 当たり前ではないか。
「倉庫は危険物が多くて」
「お前が何もしなきゃ危ないことなんてないだろが! とぼけんのもいい加減に」
「ちなみにこの台車、上に載っている荷物も合わせて、総重量六十キロ、ってとこだと思うんですけどね」
 台車の持ち手部分をぽんぽんと叩き、淡々とそう言うと、倉庫の床に尻餅をついたままこちらを見上げる男の顔が青くなった。
「少ーしぽっちゃりめの女の子の体重くらい? だったら成人男性の身体の上に乗っても、あんまし問題ないんすかね。だってホラ、人間の場合、ベッド上ではそういうのが可能なわけですしね。どう思います? ちょっと試して……」
 みてもいいすか、と訊ねる前に、男は脱兎のごとくその場から逃げ出した。片足はびっこをひいていたけど、倉庫から出て行く前に冴木さんに向かって、「バイトの教育くらいちゃんとしろよ!」 と悪態をついていくのも忘れなかった。やっぱり台車で轢いてやればよかった。
 冴木さんは、去って行く男の後ろ姿を見送ってから、複雑そうな顔つき (と思う) になって、私のほうを振り返った。
「……大神さん、人にああいうことをしてはダメですよ。危ないですから」
「そうっすかねえ」
「適当に聞き流さない。それに、さっきのは、若い女の子が口に出す内容でもない気がします」
「へいへい」
「はいを一回」
 そう言ってから、冴木さんは堪えきれなくなったように目を細め、噴き出した。
 私も笑った。
 うん。熊の説教をあんなやつに聞かせるなんて、もったいない。


          ***


 その日の昼休み、冴木さんは訥々とした調子で、自分の昔のことを語った。
 小っちゃい頃、ずっと苛められていたこと。ランドセルも靴も隠されて、しょんぼりと裸足で家に帰ったこと。年齢が上がるにつれ、そういう陰湿な苛めの他に、殴る蹴るの暴力も受けていたこと。その理由の大半が、ナンパ男と同じように、「見てるとイラつくから」 というようなものであったこと。
 人間の中には、どうしても、他人を見下すことで自分の存在を確かめようとする種類のやつがいるらしい。
「やり返さなかったんすか」
 と私が問うと、冴木さんはぴくりと肩を揺らした。
 眉を下げ、子供みたいに首を縮める。
「……僕、こう見えて、けっこう力はあるんです」
 いや、「こう見えて」 ってのはおかしいだろ。見るからに、力がありそうな身体つきしてんじゃん。それで実際、倉庫の仕事も軽々とこなしてるじゃん。力自慢の私でも持てないような重い荷物を、僕がやりますから、って代わりに運んでくれたりしてるじゃん。
「一度だけ、同級生に手を出したことがあるんですよ。その、ライターで腕を炙られそうになった時なんですけど、怖くて、我慢できなくて」
 そりゃ魔女だって火炙りは怖いんだ。普通の男の子には、本気で怖かっただろうと思う。抵抗して当然ではないか、我慢なんてする必要がどこにある?
「三人いて、二人が僕を押さえつけていましてね、一人がライターを持って近づいてきて……僕、恐怖でどうにもならなくて、暴れてしまいまして。あんまり覚えてないんですけど、気がついたら、押さえつけていた二人を振りほどき、ライターを持ってた子を殴りつけてました」
「正当防衛じゃないっすか」
 私がそう言っても、冴木さんは黙ってぶるぶると首を横に振るだけだった。ますますうな垂れる。
「防衛、の枠を越えてたんです。三人とも大ケガをして、僕が殴った男の子に至っては、病院に入院してしまいましたから」
 だからなんだ。そいつらに同情の余地なんかないじゃないか。とは思うのだが、事態がそうなってしまった以上、穏便には片付かなかったのだろうな、ということも想像できた。入院させるほどのケガを同級生に負わせた冴木さんは、被害者から一転、加害者になってしまったわけだ。親とか学校の教師とかも出てきて、大きな騒ぎになってしまっただろう。
 ──みんなから責められて、冴木さんはやっぱり何も言わずに目を伏せていただけだったのだろうか。
「病院から出てきた男の子は、もう二度と僕に近寄って来ませんでした。苛めも、それを機にパタッと止んだんですけどね……でも、僕は未だに、彼の怯えたような目が、忘れられません」
 それはある意味、苛められるのよりもつらかった、と冴木さんは小さな声で呟いた。
「僕はその時、自分が思っていたよりも強いことを知りました。大神さんのように、一人でしっかりと地に足をつけて立っていられる強さではなくて、無闇に振り回すと、傷つく人が出る強さです。いつかまた自分の力をセーブできずに、誰かを酷い目に遭わせてしまうんじゃないかと思うと、僕は怖くて怖くてたまらないんです。──それくらいなら、誰もそばに寄ってこないほうがいい」
 そう言って、もじゃもじゃと生えている髭を撫でる。広場のほうに向けられた瞳は、言葉の内容と裏腹に、ひどく寂しそうだった。
「……そんで、誰に何を言われても怒らないわけですか」
 強い態度に出られると萎縮してしまう、と言っていた冴木さん。あれは、怒鳴る相手が怖いんじゃなくて、自分が怒りだしてしまうことが怖い、という意味だったのか。だから、言いたいことも言わず、黙っているしかない、と。
 冴木さんは、「大神さんから見ると、情けないって思われるんでしょうけど」 と恥ずかしそうに言って、俯いた。
「……別に」
 と、私は小さく言ったが、下を向いた冴木さんには聞こえなかったようだ。
 だから心の中だけで、別に情けないとは思わないけど、と続けた。
 思わないけど、ちょっと、じれったくはあるね。


 自らの強さゆえに、誰かを傷つけるのが怖いからと、鎧をつけて森の奥にたった一人で引きこもる、臆病な熊。
 ──けどさあ。
 引きこもってばかりじゃ、誰も熊の素顔が見られないんじゃないの?
 熊には、無関係な他人の境遇に泣きそうになって、何も言わずに毎日毎日弁当を買ってきて、しょっちゅう 「いつもよく働いてくれるので助かります」 って言ってくれたりする、そういう優しい面がたくさんあるのに。
 頑張ってますね、って少しもじもじしながら微笑んで、誰かを元気にさせる力だって、ちゃんとあるのに。
 それが誰にも伝わらないままなんて、もったいないと思うんだけどな。


 そう言いかけ、思い直して口を閉じた。
 ……いや、でも、それは、私が言うべきことじゃないか。
 森の熊さんが好きなのは、白い貝殻のイヤリングの似合う清楚なお嬢さんなんだから。
「どうしたんですか、大神さん。今日はあまり食が進みませんね? 疲れてますか?」
 冴木さんの気遣うような声で我に返った。どうやら、私は箸を手に持ってぼーっと動きを止めていたらしい。せっかくのハンバーグ弁当はまだ半分残っている。いかんいかん。
「食べます、食べます。こんなの、すぐに食べてみせます、あっという間に」
「え、いや、早食い競争じゃないんだから、急がなくていいです。また喉に詰まらせたりしないように、ゆっくり食べましょう。お茶、買ってきますね」
 そう言って、自販機に向かって歩いていく冴木さんの広い背中を見ながら、私はハンバーグをぱくっと威勢よく口に放り込んだ。
 美味しいけど、ちょっとだけ、苦かった。


          ***


 ある日、そのお嬢さんが、倉庫へとやって来た。
 仕事の用件を話している間はまだしも普通だったのに、それが終わって世間話に移行すると、冴木さんはどこからどう見てもバレバレの不自然さが丸出しになった。顔は赤いし、台詞はどもってるし、視線がフラフラと宙を泳いでいる。しっかりしろよ、とハタで見ている私のほうがヒヤヒヤした。
 別に聞き耳を立てていたわけではないのだけど、倉庫というのは声が響く造りになっているので、二人の会話は切れ切れではあるものの、私にも聞こえた。一度、遠慮して倉庫から出て行こうとしたら、冴木さんに必死の眼差しで引き留められたのだから仕方ない。世話の焼ける人だな、もう。
 どうも、話しているのはほとんどが鵜飼さんのほうのようだ。笑み混じりの声は、どこかのナンパ男やハゲデブ親父のように偉そうでもなかったし、イラついている様子もなかったので、私はほっとした。

 いい人だと、いいんだけどな。
 熊の優しさに気づいてくれるような人だといいな。

 鵜飼さんの話に、赤くなった冴木さんが、困惑したように頷いている。聞こえてくる会話の断片から察するに、話題に上がっているのは、冴木さんの髭についてみたいだった。
 手入れが面倒なんじゃ、とか、一度髭のないところを見てみたい、とか鵜飼さんが言っているのが聞こえる。この人、これを無自覚に言ってんのかな、と私はせっせと働きながら、心の中で首を傾げた。異性にこういうことを面と向かって言うのって、普通、相手をその気にさせちゃうよな。それとも、これ、けっこう脈ありってことなのだろうか。お嬢さんはそのうち、綺麗な声でランララと熊に歌を歌ってくれたりするのだろうか。別にいいんだけど。別にいいんだけどね。
 鵜飼さんが、どんな顔でその言葉を冴木さんに言っているのか、私は見なかった。同じように、冴木さんがどんな顔でそれを聞いているのかも、見なかった。鵜飼さんが倉庫を出て行ってから、考え事をしているようにどこかボンヤリと上の空の冴木さんにも話しかけなかったし、二人の話の内容についての詳細を聞いたりもしなかった。
 だから、冴木さんと鵜飼さんのその話が、どういう方向へと向かったのか、私はよく知らない。
 ──でもとにかく、結果として。

 翌日、出社してきた冴木さんは、綺麗さっぱりすべての髭を剃り落していた。



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