短編9

サボテンに水(4)




 乃梨子には、散々心配され、「ホントにいいの?」 と何度も確認された。
「新田はそりゃ、いきなり襲いかかって来るような粗暴なやつでもないし、何人も女の子を侍らせてハーレムを作りたいなんてアホな野望を持ってるやつでもないけどさ。でも、頭はカラッポよ?」
 結構ひどいことを言う。
「そうかな。新田君って、成績は普通みたいだけど」
「そういう意味じゃないのよ。なーんにも考えてない、ってことよ。ゾウリムシなみに単細胞ってこと」
「ゾウリムシ……」
 菜穂は呟いて、新田に返事をした時のことを思い出した。

 あーそー、じゃよろしくねー。
 まあそんなに深く考えなくても、一緒にどっか遊びに行ったりして、楽しくやれればいいよね。
 そんでダメだったら、またただのクラスメートに戻ればいいことだし!

 と、やっぱりにこにこしながら言われた時の軽さといったら、そのままふわふわ空に浮いて、大気圏にでも突入していきそうなほどだった。確かに、羨ましくなってしまうくらい、彼はなーんにも考えていない。
 でもその軽さに、菜穂はかえってほっとした。救われた、と言ってもいい。
「けど、悪い人じゃないみたいだし」
「悪い人じゃない、イコール、良い人、ってわけじゃないのよ」
「これから、好きになれるかもしれないし」
「そんな、えらく低い位置からのスタートでいいわけ?」
「何事も経験かなと思って」
「菜穂って、そんな風に考えるような性格だったっけ?」
 乃梨子は訝しげに首を捻っている。それはそうだろう。菜穂は、目標を定めて経験を積みつつ前進していくようなタイプではない。どちらかといえば、今目の前にあるものを片付けてしまったらとりあえずそれでよし、というタイプだ。それを乃梨子は知っている。今回の件で、らしくない、と釈然としないものを感じているに違いなかった。
「自分のことなのに、なんだか、他人事みたいな顔をしてるのよね。大丈夫? 菜穂」
「うん、大丈夫」
 菜穂は答えたが、乃梨子は納得しきれない顔で黙ってしまった。
 心配してくれる友人には悪いが、だからといって、口には出せないこともある。
 ──付き合うのは、新田じゃなくても誰でもよかった、なんて。


 和希とは、あれきり、ほとんど顔を合わさない。
 朝は早く、夜は遅い。夕飯を一緒にすることもまったくなくなった。母によると、外で食べてくるか、菜穂が自分の部屋にいる時に、残り物で適当に済ましているようだ。たまにちらりと見かけても、無表情で菜穂の前を通り過ぎていく。
「二人、ケンカでもした?」
 さすがに母はそんな様子に気づいたようで、顔を曇らせて訊ねてきたが、菜穂は笑って否定した。
「ケンカなんて、もう子供じゃないんだから」
「でも……」
「普通、高校生くらいになれば、こんなもんだよ」
 そうだよ、と自分自身に言い聞かせるように内心で繰り返す。
 高校生の姉弟なら、これが 「普通」 だ。
 ──いずれ二人とも、本当の大人になっていく。
 きっと、時間が経てば、また仲良くお喋りしたり、ふざけることだって出来るようになる。
 成長して、就職して、いつかお互いの隣には、それぞれの伴侶がいて。イトコ同士になる子供たちが、周りをやかましく駆け回り、はしゃいでじゃれ合って。父と母がそれを目を細めながら眺めて。
 そんな中で、菜穂と和希は、姉と弟として、懐かしく昔の思い出話に花を咲かせ、楽しく笑い合うのだ。

 ……それはなんて、美しく幸せな、「夢」 だろう。

「あの子ねえ、最近、ちっとも料理もしなくなっちゃって。あんなに好きだったのに」
 母が心配そうに、ぽつりと言った。
「部活とか、勉強とか、そういうのが忙しいんだよ、きっと。高校生の男の子なんだから」
「そうなのかしら」
 菜穂の言葉に、母は諦めるようにため息をついた。
「──お昼も、パンで済ませてるんですって」
 もう、朝起きても、テーブルの上に、菜穂のお弁当が置かれていることはない。


          ***


 新田とは、一緒に帰れる時は一緒に帰り、買い物に行ったり、カラオケに行ったりした。
 よく話すのは、教室で起きたこと、クラスメートの誰かのこと、先生のこと、テレビのこと。はっきり言って、女の子同士でお喋りする内容と、そう大差ない。これが 「付き合う」 ということなのか、と菜穂は正直首を捻った。友達と、一体何が違うのだろう。
 唯一それっぽいのは、新田が、菜穂のことを、「菜穂ちゃん」 と呼ぶようになったことくらいだ。
 その日の放課後も、「ねえ、今日部活ないんでしょ? じゃ、デートしよう」 と無邪気に提案されたので一緒に帰ることにしたのだが、新田は下駄箱で靴に履き替えながら、俺あの店のクレープ食いたいんだよねー、などと言う。ますます、女の子の友人との境目が判らない。
「菜穂ちゃん、甘いもの嫌い?」
 校門に向かって並んで歩いている時に、そう聞かれた。校庭では、すでに活動を始めている運動部の元気な声が響いている。
「ううん、そんなことないよ」
「そっかー、よかったー。俺さあ、結構、好きなんだよね。クレープとか、パンケーキとか、そういう、女の子の好きそうな食いもんが。けど、やっぱり男一人では注文する勇気がなくてさ。その点、女の子と一緒だと、一応の格好がつくからいいよね」
「そういうものかな」
 ひょっとして、新田が菜穂に交際を申し込んできたのは、そういう理由だったのかな、と考える。他人の目から見て、「恰好がつく」 ための彼女、ということか。それならそれで別に構わないから、最初からそう言ってくれればよかったのに。
「けど女の子だってさ、あんまり一人ではそういうもの食ったりしないでしょ。何人かでわいわいじゃないと」
「うーん、そういうこともあるけど、私は食べたくなったら一人ででも行くよ」
 あるいは、和希と一緒に。
 和希も甘いものが好きで、時々コンビニに寄って、プリンやシュークリームなどをまとめて買ってくる。冷蔵庫にしまう時は、父や母に取られないように、必ず名前を黒々とマジックで書く。高校生男子としてそれはどうなの、と菜穂が言うと、うるせえ、と言いながらも、いつも半分分けてくれたっけ。
「へえー、そうなんだ。一人で?」
 自分の思考に沈み込んでいってしまいそうになる手前で、新田の感嘆するような明るい声に引き戻された。彼の空気の読めなさは、ある意味、偉大だなと思う。
「菜穂ちゃんて、なんつーかさあ」
 新田は笑いながら続けた。

「サボテン、みたいだよね」

「…………」
 束の間、口を噤んだ。
「サボテン?」
 目をわずかに細め、なるべく面白そうに問い返す。判っている。これはただの、他愛ないお喋りの延長だ。
「そう。一人でなんでもさっさとやっちゃうし、あれやって、とか、これして欲しい、とか言って、他人を頼ったりすることもないし。なんかいつも淡々として、どっしり構えてる、っつーかさ。ほら、サボテンて、毎日マメに水をやらなくても、ほっといても、勝手に育つじゃん。あんな感じ」
 屈託なくそんなことを言う彼の顔には、悪意と呼ぶようなものはカケラも存在していなかった。あまりにも天真爛漫なので、菜穂は本当に少し笑ってしまったくらいだった。
 しかし菜穂が笑ったことで、かえって新田は自分の失言に気づいたらしい。「あっ」 と素っ頓狂な声を出して、手の平を口に当てた。
「ごめん、俺、もしかして、女の子に言っちゃいけないこと言った?」
「どうかな……あんまり、褒め言葉ではないかも」
「うわー、ごめんごめん。俺さー、なんかちょっと無神経らしくて、それでよく怒られるんだよね!」
 多少は自覚があるんだな、と思うとなおさら可笑しい。
「気にしてないよ」
「ほんと? いやあの、悪い意味で言ったんじゃないんだよ! なんつーの、自立してるっていうか、しっかりしてるっていうか。男にとっては、ワガママばっかり言う構ってちゃんの女の子より、そういう子のほうが、めんどくさくないっていうかさ!」
 失言の上乗せだ。とりあえず、新田が嘘のつけない性分であることは判った。他の女の子はどうか知らないが、菜穂はそういうのは嫌いではない。
 今さら、そんなことを言われたところで、腹も立たないし。
「怒った?」
 こちらの顔を覗き込む新田に、ううん、と首を横に振る。
「本当に、気にしてないから大丈夫。昔から、同じようなことよく言われるし」
「そう? そうかあー」
 菜穂の返事に安心したのか、新田はにっこりして、また中身のない話を再開させた。それに相槌を挟みながら、菜穂はちらりと校庭隅に建つ体育館に目をやる。

 ──体育館の入口付近に、背の高い男の子の姿があるのを見つけて、一瞬足が止まりそうになった。

 もちろん、実際に止まることはなかったが、歩みのリズムは狂った。ぎこちなくつまずきそうになった菜穂に気づき、「大丈夫?」 と新田が声をかけてくる。
「どうかした?」
「ううん、なんでもない」
 なんでもないと言っているのに、新田は菜穂が気を取られた 「何か」 を探して顔を周囲に巡らせた。
 体育館のほうを向いて、あ、と短く声を出す。
「あいつ?」
 誰を指しているのか、見なくても判った。
「あれでしょ、女の子たちに人気があるっていう、バレー部の一年でしょ。なに、菜穂ちゃんもファン?」
 からかうように笑う新田は、そこにいるのが菜穂の弟であることを本当に知らないのだろう。
 あれ、私の弟、と正直に言ったほうがいいのか迷って、菜穂は再びちらりと体育館の方向に視線を移す。
 ユニフォーム姿の和希は、身体に比べるとずいぶん小さく見えるボールを手に持ち、じっとこちらに顔を向けていた。
 菜穂のいる位置からでも、強張った表情、一文字に結ばれた唇が見える。ぎらぎらと攻撃的に輝く瞳は、まっすぐ新田に据えつけられていた。
「気のせいかな。なんか、睨まれてない? 俺」
「気のせいだよ」
 菜穂は言って、足早に通り過ぎようとする。その隣で、何も判っていない新田は、のほほんとした調子で言った。
「つーか、あいつこそ、他の男連中に睨まれる立場なのにね。ほら、一年のくせにモテるじゃない? 別にそんなんいいじゃんて俺は思うけど、二年生で、面白くないって思ってるやつは結構多いらしいよ」
「…………」
 それを聞いて、菜穂の胸の中に、わずかな不安と懸念の芽が兆した。
 器用な和希は、人との付き合いもそつなくこなす。今まで、同級生でも先輩でも、他人と悶着を起こしたようなことはなかった。大丈夫だろうと思うけど──
「あー、でも」
 何かを思いついたように声を上げ、新田はもう一度、体育館のほうを見やった。
「一人に絞ったんなら、問題ないかもね」
「…………」
 菜穂は何も言わず、校門を目指して、ひたすら足を動かした。
 和希のすぐ近くでは、可愛らしい顔をした女の子が楽しげに笑っている。


 新田とクレープを食べ、あちこちの店を覗きながらふらふらしているうちに、周囲はすっかり暗くなってしまった。
 帰りの電車の方向が反対なので、新田とは駅で別れることになる。人通りも少なくなってきた暗い道を二人で歩いて、先のほうに白く明るい駅の光が見えた時には、少しばかりほっとした。
 無意識に足が早まりかけたその時、
「菜穂ちゃん」
 と後ろから呼びかけられた。
 なに? と振り向いたところで、手を取られた。驚く間もなく、新田の顔がすぐ間近に寄せられる。
「……っ」
 何かを考えるよりも前に、咄嗟に身体のほうが動いた。身を縮め、勢いよく後ずさる。ざっ、という靴が地面を擦る音で我に返ったが、露骨に逃げた体勢は、もうどうにも繕うことも出来なかった。
 その後やってくるのは、なんとも気まずい沈黙と、間の抜けた二人の間の距離だけだ。
 菜穂はどうしたらいいか判らずに、小さくなって目を伏せた。
「……あの、ごめん」
 謝ると、目の前の新田は苦笑いした。
「いやー、そこで謝られちゃうと、余計に俺、立場ないんだけど。そーか、急ぎすぎ? まだちょっと早かったか」
 はははと笑って、わざとらしいくらいに陽気な声を出す。
 新田はデリカシーはないが、しかし、こういう時に怒り出すような身勝手さは持たない、性質の素直な男の子であるらしかった。
「…………」
 菜穂はぐっと拳を握り、アスファルトの道路を見つめる。
 女の子同士と変わらない? 自分はなんて馬鹿なことを考えたんだろう。

 ──付き合うというのは、こういうことを含めて了承するということのはず。

 今になって、ようやくそんなことに思い至った無知を恥じる。自分が、どうしようもなく浅はかで愚かなことをしているような気がしてならない。このまま地面の下に潜り込めたらどんなにいいだろうと思った。
 ……でも、じゃあ、どうすればよかったの?
「よし、帰ろーか」
 新田に促され、菜穂は無言でこっくりと頷き、のろのろと歩きはじめた。


          ***


 家に帰ると、三和土に、大きなスニーカーがあった。
「おかえりなさい。今日は遅かったのね、心配しちゃった」
 出迎えてくれた母に言われて、ごめんなさいと謝る。途中、家に連絡を入れておこうかなと思ったのだが、「帰りが遅くなる」 と伝えるのも、それはそれでなんとなく気が重くて、やめてしまったのだ。
「お夕飯は?」
「クレープ食べてきちゃったから、まだあんまりお腹が空いてなくて」
「そう」
 母は少しがっかりした顔になった。
「和希も今から食べるところだから、ちょうど二人で食べられていいかなと思ったんだけど」
「……ごめんね、後で食べるから、残しておいてくれる?」
「判った、そうするわね」
 キッチンへと向かう母の背中を見送ってから、ずるずる足を引きずるようにして階段を上った。
 階段近くのリビングの閉じられたドアの向こうから、賑やかなバラエティー番組の音楽が聞こえてくる。和希が観ているのだろう。
 けれどテレビの音以外、何も聞こえない。笑い声も、物音もしない。人の気配はあるのに、どこかぴんと張りつめた緊張感が空気を伝ってくるようだった。
「…………」
 部屋に入ってドアを閉め、制服のまま、ベッドに倒れ込む。
 目を閉じると、闇の中でぐるぐるといろんなものが廻った。菜穂が逃げた時の、新田の驚いたような顔、和希の怒った顔、知らない女の子の笑った顔。
 気持ちが悪い。吐きそうだ。
 頭ががんがんする。

 ──心が痛い。



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