短編10

ガリヴァーさんたちの国(1)




 私、浅見琴子は、十九歳の時に、異世界に飛ばされた。


          ***


「コト、コト!」
 私を呼ぶ声がする。
 はいはーい、と軽やかに返事をして、私はせっせと応接間の戸棚を磨いていた手を止め、脚立から降りた。
 この家では私くらいしか使う人間のいない、十段くらいある高い脚立は、登る時も降りる時も、ほとんど命がけだ。その様子は、見ているほうもハラハラするのだそうで、仕事は迅速に、を常にモットーとする執事のワンズさんでさえ、「コト、そんなに急がなくてもいい」 と焦った顔をして私を止めるくらいである。
 しかし、呼ばれたからには、風のような素早さで応じねばならぬのが私の使命。よいせよいせと精一杯のスピードで床に到達すると、手に雑巾を持ったまま、応接間を出て、ピカピカ輝く廊下を駆けて、広間を通り抜け、玄関ホールへと向かった。
 ひとつひとつが大きくて広いので、それだけでもかなりの運動量だ。ホールで立っているお坊っちゃんの前に着いた時には、私はふうふうと肩で息をしていた。
「お帰りなさいませ、お坊っちゃん」
 コートを受け取ろうとして、雑巾を持ったままであることに気がついた。黒いスカートのポケットにぎゅむっと押し込み、両手を差し出す。
「いや、お前、雑巾をそんなところにしまうのはどうだよ……掃除の途中だったのか?」
 お坊っちゃんは、呆れたような顔をしながらも、脱いだコートを私に預けて、首に巻いていたタイを緩めた。頭を動かすたび、さらりとした赤い髪が、形の良い額の上で踊るように揺れる。
「はい、そうです。……よいしょ、っと」
 預けられたはいいが、なにしろコートが長いため、私は裾を床につけないようにするだけでも必死だ。上等なコートをくしゃくしゃにするわけにもいかないし。
 苦心惨憺している私に笑って、お坊っちゃんは外したタイを私の頭の上に乗せた。ついでに手袋も乗せた。彼はこういうイタズラが大好きだ。私はそれらを落とさないようにして、立って歩くハンガーラック状態で、広間へと向かうお坊っちゃんのあとをチョコマカとついていく。
「なにか召し上がりますか、お坊っちゃん」
「んー、そうだな、軽く食おうかな……コトは? おやつは食ったか?」
「お昼はちゃんと食べました」
「三食だけじゃ足りないだろ。お前の分も作ってもらえ。一緒に食おう」
「一食だけでも食べきれるかどうか不安なくらい、すごい量を出してもらってます。これ以上食べたら、ブクブク太るだけですよ。お坊っちゃんといい、旦那様奥様といい、他の皆さんといい、どうしてそう、私におやつやら夜食やらを食べさせようとするんですか」
「あんまり小さすぎて、気の毒だから」
「これが私の普通なんです!」
 私は憤然と言って、お坊っちゃんを見上げる。
 三メートル近くある身長のお坊っちゃんは、高い位置から私を見下ろして、こんなにちっちゃくて可哀想になあ、という顔をしていた。


          ***


 さてここで、私が飛ばされた世界のことを、ざっと説明しておこう。
 この世界には、八つの国があり、それぞれの国を、それぞれの王様が、支配・統治している。
 八つに分かれた国土は、どれも似たような大きさで、多少の文化や風習の違いはあれど、どこかが突出して力を持っているということはない。この世界の人たちは、全体的に大らかで、適当に呑気で大雑把な性質らしく、国と国は、ちょっとした小競り合いくらいはあるものの、まあまあフレンドリーなお付き合いというものをしていて、今まで大きな戦争というものは起こったことがないという話だ。
 国王の下には、大公、中公、小公、からはじまる、これまた八つの特権階級があり、もちろんそれなりに敬われたり、いろんな面で優遇されたりはするのだが、意識の上では平民とさほどの隔たりはない。政治の中枢を担っているのは、これら特権階級の人々と、普通に試験を通ってきた一般の人たちで、対等に話し合いや議論をしながら、国と王様を支えているのだという。
 王様の次に偉いのは、形式的には大公様、ということなのだけど、だからってその意見がなんでもかんでも通るわけじゃない、ってことだ。時には、平民上がりの官僚にぺっしゃんこになるまでやっつけられたりすることもあるそうで、それを咎めるような空気は、この世界にはないのだ。名は名として重んじるけれど、人と人との距離は近い、っていうか。何にしろ、風通しの良い考え方ではあるなと思う。
 で、まあ、そんなことよりなにより、私にとって重要なことはですね。

 ──この世界の特徴として、異世界人は、さして珍しくない、ということなのだ。

 びっくりするでしょう。私はびっくりした。だってさ、異世界人だよ? 異なる世界の住人だよ? そんなもん、物語の中ならともかく、実際には、生きているうちにそうそう巡り合えるようなもんじゃないでしょ、普通。
 それが、この世界では、あんまり珍しくないのだ。田舎の子供が、あっ、外人だ、と思うくらいの反応しかないのだ。異世界人? ああ、学校に一人か二人はいるね、くらいの割合で混ざっていたりするのだ。
 だから、いきなり異世界から飛ばされてきた人間が、茫然自失して道の真ん中で突っ立っていても、人々はさほど驚かない。おやおやどうしました? 迷子? じゃあとにかく役所に行きましょうね、ってな感じで、親切に手を引いてくれたりする。私の時もそうだった。
 で、役所には、異世界人についてよろず承ります、みたいな部署がちゃんとあって、あーそう、こっち来ちゃったのね、じゃあ三番窓口へどうぞ、などと案内されたりするのである。変でしょう。変だけど、こちらではそうなのだから仕方ない。
 そうして、三番窓口に行けば行ったで、そこには、こちらの世界について、あれこれと説明をしたり、レクチャーをしてくれる人がいたりして。
 まあいろいろと大変だけど、来ちゃったからにはホラ、生きていく手立てを考えないとどうしようもないからね、などと人の好さそうなオジサンに諭されて、今後の身の振り方を考えることになるわけだ。最低限の生活保障はしてあげられるけど、とにかく職を探しましょう、と。
 まあ、言ってみりゃ、ハローワークみたいなものか。
 異世界人は私のような日本人に限ったことではなく、別の国の人もいっぱいいるようなのだが、言語はなぜかすべて通じるので不便はない。どうしてなのか疑問に思うのだが、この世界の人たちは特に気にしないらしい。いいじゃん別に、そのほうがラッキーでいいよね、くらいのスルー加減だ。もう一度言うが、この世界の人々は、何事においても、大らかで、呑気で、大雑把なのである。
 外見も、そもそもこの世界の住人が、髪の色から目の色から肌の色まで千差万別なので、まったく気にされない。私のような黒い目や髪の人もいれば、金や銀の人、それどころか赤だったり青だったり紫だったりする人もいるのだから。
 言語も通じ、外見でも差別されないとなれば、あとはもう、本人のやる気と能力と慣れの問題、ということになる。
 もとの世界で特殊な技能を持っていたり、専門的な知識を持っているのであれば、優先的にそれに合った職場を斡旋してもらえる。国のほうでも、そういう人材は貴重なので、喜んで受け入れてもらえるのだそうだ。

 そこまでを役所のオジサンに説明してもらって、私は困った。

 高校を卒業してから、あれこれバイトをしてなんとか食いつないできた私に、特別な技術などあるわけがない。レジ打ちは早いが、この世界にはコンビニやスーパーマーケットというものが存在しない。ただでさえ見知らぬ異世界に放り込まれて、泣きそうなほど心細く、途方に暮れていた私は、オジサンの話を聞いて、心臓が縮むような気分になった。
 いいトシをして、何も出来ることがないのか、と言われるんだろうか。呆れられて、疎んじられて、軽蔑されるんだろうか。今まで何をやってたんだと凄むように詰問されたら、一体なんて答えればいいんだろう。すみません、普通にのほほんと学生生活を送っていました。十九年の間、勉強といえば試験前と受験前しかしたことがありません。
 あとになってみれば、技能や資格を持っていなくとも、この国の人たちは、異世界からやって来た人間を、すぐさまポイッと捨てるようなことはしないと判る。じゃあどんな仕事がいいかなあ、と親身になって考えてくれる優しさもある。でも、この時の私は、自分を取り囲む見知らぬ世界と人々が、ただもう怖くて怖くてたまらなかったのだ。
 取り立てて能のない、平凡な人間であることが知られたら、殺されるんじゃないか、というくらいに怯えきっていた。
 ……なので。
 どうしよう、どうしよう、と冷や汗をかいて、青い顔でぶるぶる震えていた私は、
「ええーと、じゃあまず、名前と年齢を聞こうかな」
 という、ペン尻でこりこり頭を掻きながらのオジサンの質問に、つい、こう答えてしまった。
「あっ、浅見琴子、十歳ですっ!」



 ここで最初の一文に戻る。
 私、浅見琴子は、十九歳の時に、異世界に飛ばされた。
 うん、十九です。高校もちゃんと卒業しました。それが中学校もすっ飛ばし、いきなり小学生としてサバを読みました。
 確かに私は背も低く、子供っぽい顔をしている。もとの世界にいた時も、高校生に間違われるのはしょっちゅうで、正直それをいいことに多少のズルをしたこともある。
 でも、いくらなんでも、小学生に間違われたことはない。自分自身、そこまで厚かましいことを言ったこともない。だからこの時の私は多分、混乱と動揺で、かなり頭がおかしくなっていたのだと思う。子供なら、何も出来なくても怒られない、と咄嗟に考えたのだろう。
 しかし役所のオジサンは、私のその言葉に、一旦口を閉じて、上から下までざっと見渡した後、
「そーかー、十歳かあ。だったらまだお父さんお母さんが恋しいよなあー」
 と、あっさり信じて同情してくれた。

 なぜって?

 この世界の人々は、全体的な作りは、私たち異世界人とそう大差ない。額に第三の目があるとか、お尻からシッポが生えているとか、そんなこともない。目や髪の色が一人一人個性的だ、ということを除けば、ほとんど同じ、と言っても過言ではない。
 しかしだ。
 大きな差が、ひとつある。
「こんなにちっちゃいのになあ。よしよし、オジサンが、あとでお菓子をあげるからな」
 と、オジサンは、ぐぐぐっと上半身を曲げて、私の頭を撫でた。
 それくらい折り曲げられて、ようやく私はこの親切な役所のオジサンの鼻の横に、ホクロがあることが判った。
 今まで、私の目に入るのは、まっすぐ立っていたオジサンの、ちょっと出っ張りかけたお腹くらいだったのだ。
 ──そう、つまり。

 この世界の住人は、でかい。

 平均身長二・五メートル。三メートル台の人もゴロゴロいる。そんな人、私にしてみれば、そこらにある柱とそう変わりない。そびえたつ山のような人間が、あちこちをのしのしと歩いているのである。
 私が飛ばされたのは、そういう、巨人の住む世界だったのだ。
 そんな人たちからしてみれば、異世界の小さな人間たちなんて、どれも子供のようにしか見えないものらしい。全長が百五十センチだろうが、百二十センチだろうが、ほとんど違いが判らないのだろう。無理もないと思うけど。
 そして加えて。
 男女ともに大きなここの住人なのだが、女性の場合、大きいのは身長だけではなかった。
 女性特有の部位が……つまり、胸とか尻とか、そのあたりがもう、これ見よがしにでかい。普通に、ハンドボールくらいの大きさの胸が、すごい迫力でバンバンと出ている。無邪気に遊ぶ子供たちでさえ、ソフトボールくらいは余裕である。
「いっぱい食べて、大きくなるんだぞ」
 オジサンは頭を撫でながらそう言って、ちらっと私の胸のあたりを一瞥した。
 ものすごく、気の毒そうな顔だった。

 ……そんなわけで、私の 「十歳」 という自己申告は、これっぽっちも疑われることもなく、書類に記された次第だ。


          ***


 あの時の親切なオジサンの態度を思い返すたび、未だにちょっと腹が立つのだが、とにかく子供の私は、普通の社会人としての仕事は無理だろう、ということで、中公ラティス家の下働きとして雇われることになった。
 ラティス家の人々は、やっぱり大らかで呑気な性質の人たちばかりで、異世界人の私のことも、なんの偏見もなく受け入れてくれた。子供なのに見知らぬ世界に飛ばされて可哀想、という同情があるのか、旦那様も奥様も、とても優しくしてくれる。執事のワンズさんも、仕事を教える時は厳しいけれど、人目につかないところで、こっそり甘いものをくれたりする。他の使用人の人たちも、こちらの世界のことを訊ねると、いつでも丁寧に教えてくれた。
 みんな、私のことを、「まだ小さい子供なんだから」 と思っているのだろう。
 ……まあ、そりゃあ、後ろめたさはあるに決まっている。騙している罪悪感もあるし、申し訳ないなと思う気持ちもある。でも、今さら年齢を修正するわけにもいかないし、せめて、一生懸命働くことで、恩に報いようと考えるしかない。
 そういう事情で、現在の私は、朝から晩まで、せっせとあちこちを掃除したり、草むしりをしたり、使いっ走りをしたりして、このラティス家で丁稚奉公しているのだった。


「コト、お坊っちゃんがお帰りか?」
 お坊っちゃんが着替えをしに行くと、執事のワンズさんがそう言いながら現れた。
 私の恰好を見て、ヤレヤレまた遊ばれて、という風情で頭を振り、手からコートを、そして、頭の上から手袋とタイを取ってくれる。
「これは私が片づけるから、お前はお坊っちゃんにお茶のご用意をしておあげ」
「はい。軽く、なにかお召し上がりになりたいそうです」
「ではそれも厨房に伝えておこう。どうせお坊っちゃんはお前にもお相伴をするよう言われるだろうから、少し多めに用意させる」
「あのー、私、お腹空いてないんですけど。それにまだ掃除の途中ですし」
「いやいや、育ち盛りなのだから、いくらでも入るだろう。もっと食べなければ大きくなれないぞ。よく働くのは感心だが、子供は休息も栄養もたっぷり取らねば」
「…………」
 私にしょっちゅうお菓子をくれるワンズさんは、もう孫もいるという年齢だ。それでもまだ腰も曲がっていないため、見上げる私からは皺の本数を数えることも難しい。
 ワンズさんは、お坊っちゃんを注意する時と同じ口調で、「好き嫌いはしてはいかんぞ」 と言うと、屋敷の奥にある厨房へと歩いて行った。
「……はーい」
 私はその後ろ姿を見ながら返事をし、せめて少しでもお腹を減らそうとその場で屈伸運動をした。


 ティーポットとカップの一式を乗せたワゴンを押して、お坊っちゃんの部屋へと向かう。
 コンコン、とノックをすると、「コトか? いいぞ」 と返事があった。
 この家にあるものすべてが、私にとってはLLサイズのため、ドアを開けるのも一苦労だ。まず、ノブの位置が高い。そして重い。よっこらと両手でノブに掴まって、力を入れてドアを開けると、部屋の中では普段着に着替えたお坊っちゃんが、ソファで寛ぎ、楽しそうにこちらを見学していた。
「いつ見ても大変そうだなあ、コト」
「そう思うなら、ドアを開けておいてくれてもいいんですが」
「いやなんか、面白いし。それにお前みたいにちっこいのが奮闘してるのを見るとさあ、俺も頑張ろうかなあと思うんだよね」
「私、お坊っちゃんが頑張ってるところをあまり見たことないです」
「色男は、頑張ってる姿を表には出さないもんだ」
 ははは、と笑いながら言って、お坊っちゃんは長い指の先で、前髪をパラリと払った。こういう気障な仕草が自分に似合う、とナルシスト的なことを本気で考えるのが、うちのお坊っちゃんだ。バカでしょう。バカすぎて、憎めない。
 セイ・タガート・ラティス、私の個人的な通称、背高くんは、ラティス中公家の三男である。今年、十八歳になった。
 三男という気楽な立場のためか、誰に対しても非常に気安く親しみやすい性格をしており、要領がいいので、いつもフラフラしているわりに、やることはすべてにおいてそつがない。
「あ、お坊っちゃん」
「ん?」
「頬に、口紅がついてます」
「え、そうか」
 赤い髪、赤い瞳で、容姿も良いため、女性からも人気があって、花から花へと渡り飛ぶ蝶のように、あちこちで 「軽いお付き合い」 というものをしているらしい。俺のようなプレイボーイは誰か一人のものにはなれない、などと本人は気取って言うが、まあ要するにただのチャラ男です。
「確か以前も、そうやって口紅つけたまま他の女性と会って、ぶん殴られてましたよね」
「ふ、罪な男だよな」
 憂い顔でため息をついている。どうやら背中にバラを背負っているつもりのようだ。バカですね、お坊っちゃん。微笑ましい。
「お坊っちゃんは、そろそろ学習することを覚えられた方がいいです」
「まあ、まだお前には、男女の機微は判らないと思うけど」
「機微は判らなくとも、原因と過程と結果は判ります」
「コトも、もう少し大人になって、もう少しあらゆるところが大きくなったら、俺の恋人の一人に加えてあげてもいいんだけどなあ」
 あらゆるところってどういう意味さ。
 お坊っちゃんは可哀想なものを見る目で私の胸のあたりをちらっと見て、慌てて付け足した。
「あ、いや、大丈夫だって。そう悲観しなくても、コトはまだ子供で、成長期なんだし。あと十年くらい経てば、ちょっとくらいは大きくなるだろうからさ」
「…………」


 この世界に飛ばされてきてから一年。
 私、浅見琴子はハタチになりました。お坊っちゃんよりも年上です。
 今までに、年齢詐称を疑われたこと、まったくの皆無。



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