短編10

ガリヴァーさんたちの国(5)




 リリニィさんとロンさんの仲は、これっぽっちも進展しないらしい。
 あれから何度かお坊っちゃんにその後の経緯を聞いているが、相変わらずのすれ違いっぷりで、見ているほうが居たたまれないくらいなのだそうだ。まあ、両想いだってことは本人たち以外には判っているわけだから、じれったいとか、もどかしいとか、イラつくとか、ちょっと気恥ずかしいとか、いろいろあるのだろう。
 ロンさんはあれ以来、時々ラティス家に顔を見せるようになった。
 セイお坊っちゃんに用事かというとそうでもなく、もらった、だとか、余った、だとかいう名目で、私に甘いお菓子をくれたりするのが目的のようだ。よほど私の家庭環境だとか、胸の小ささだとかに同情しているらしい。気持ちは嬉しいが嬉しくない。
 無愛想なりに、心の優しい人だということは判るので、だったらその優しさをリリニィさんにも向けてやれよと思うのだが、なかなかそうはいかなくて、本人も少々鬱屈を抱えているように見える。クソがつくほど真面目な性格だからか、他の人より、身分というものに捉われすぎているフシもある。この世界で、それってそこまで心情的に縛られるようなものかな、と異世界人の私でさえ思うのだが。
 大公家の令嬢として距離を置こうとし、でも不器用なもんだからそれが上手に出来ず、結局冷たい態度を取ってしまい、リリニィさんが傷つき、ロンさんはますます殻に閉じこもる。そしてお互い、相手に嫌われていると思い込んでいる。アホなんじゃないか、などと言ってはいけない。本人たちは大真面目なんだから。
 リリニィさんは、ロンさんがこの家に時々来ることを知って、以前よりもずっと頻繁に、お坊っちゃんを訪ねてくるようになった。


 例によって私が裏庭の手入れをしている時に遊びに来たリリニィさんは、私に向かって、非常にわざとらしくなんでもないフリで、「ロ……ロンディウス・カレルは、次はいつ頃ここに来るかしら?」 と聞いた。
「ううーん、いつでしょう。前触れもなく、ふらりといらっしゃるんですよ」
 土で汚れた手で額の汗を拭いつつ、私もなるべく世間話のように答える。可愛いリリニィさんのために、多少は協力出来るものならしてあげたいが、本当に判らないのだから仕方ない。ロンさんはいつも何かのついでにぶらりと立ち寄って、すぐに帰ってしまうのだ。私の手に、目一杯お菓子を押しつけて。
「何かご伝言がおありなら」
「え、ううん、そんな、ないわ、別に。大体、城で毎日のように顔を合わせるのだもの」
 リリニィさんは慌てるように手を振った。毎日毎日顔を合わせてたって、ろくすっぽ話が出来ないんじゃあしょうがないだろうに。せめてメッセンジャーになってあげようとしたのだが、それも難しいみたいだな。
「……あの、ねえ、コ、コトの目から見て、ロンディウス・カレルはどういう人だと思う?」
「…………」
 土を掘り返しながらちらっと見てみたら、リリニィさんは赤い顔でもじもじしながらそっぽを向いていた。
「そうですねー」
 と、私は無邪気な子供の口調になって言った。
「とても優しい人ですよね。私に、いつもお菓子をくれて、お腹は空いてないか、困ったことはないかと訊ねてくれます」
 そして、「大きくなるんだぞ」 と、私の胸を見て余計なことも言います。
「そっ、そうでしょう?!」
 リリニィさんは嬉々として、くるっとこちらを振り向いた。
「あのね、ロンディウス・カレルはね、ああ見えて、とっても優しいの。無愛想だし、口数も少ないし、それで誤解を受けることもあるのだけど、本当のところは、子供にも女性にも対等な目線で接してくれる誠実な人柄なのよ。とても真面目で、頭もいいし」
 ますます頬を上気させて、ここぞとばかりにロンさんの惚気を始める。
 最初の出会いから、最悪だった第一印象、それが変わることになったきっかけ、などなど、まくし立てるように喋りだしてもう止まらない。並べ立てるのは美質と長所ばっかりで、人間一人の総合評価が百点満点だとして、リリニィさんのロンさんに対する点は、五百点くらいはあった。いくらなんでも、甘すぎです。
「ねっ、コトもそう思うでしょ?」
 同意を求められても。
「うーん、まあ、うちのお坊っちゃんの次くらいには、良い人、かもしれないです」
 これでもかなりリリニィさんにおもねって、大甘な評価を下したつもりなのだが、リリニィさんはええーと不満気に頬を膨らませた。
「セイの次、って、そんなわけないでしょう。あの不真面目な女ったらしと比べたら、断然」
「お坊っちゃんですよ」
「コト、落ち着いて考えましょう。セイは成績でロンディウス・カレルに勝ったことはないし、それ以外でも適当に手を抜くから、いつも何でもそこそこくらいにしかいかないのよ? その点、ロンディウス・カレルは何事にも全力で取り組んで」
「ですから、全力で取り組んだら、お坊っちゃんが上を行くということじゃないですか」
「あの、コト、あなたちょっと、それは身贔屓発言というものではなくて? だって、セイとロンディウス・カレルとの二人だったら、誰がどう見たって人として上等なのは」
「お坊っちゃんに決まってます」
「恩義、とかそういうものは、とりあえず脇に置いておきましょう、コト。冷静に、公平な判断として考えた場合ね」
「私ほど冷静かつ公平にこの世界のことを判断できる人間はいません。本当なら九対一でお坊っちゃんの勝ちですが、リリニィさまがそこまで言うのなら、大まけにまけて、八対二くらいの割合にしてもいいです」
「コト、八対二は、かなり圧倒的大差がついていてよ?」
 リリニィさんはそう言ってすっかり困惑しきった顔になり、続けてぼそぼそと言った。
「あの……今気づいたのだけど、コトって、実はセイに対して、さりげなく思いきり過保護なのじゃないかしら。いえその……過保護っていうか……どちらかというと、かなり……親バカ、的な……」
「はい?」
 なに言ってるんだ? と私は心底きょとんとした。
「そんなことはないですよ、全然。誰に聞いても、お坊っちゃんはバカだけど可愛い、って言うはずですもん、絶対」
「そ……そう……」
 リリニィさんは、それ以降、私に、お坊っちゃんと誰かを比べさせるようなことは一切しなくなった。


          ***


 そんなこんなで、しばらく経った、ある日。
「……ごきげんよう、コト」
 と、ラティス家に現れて挨拶するリリニィさんの顔を見て、私は何度か目をぱちぱちと瞬きした。
「リリニィさま、どうされました」
「どうって?」
 私の問いかけにも、リリニィさんはどこか上の空のように見えるぽうっとした顔つきで、一本調子に反問するだけだ。視線は一応こちらを向いているものの、そこに普段のきらきらした輝きはまったくない。いつも陽気な人だけに、その顔から笑みがすっぱり消え失せると、周りの光も一緒に翳って、一気に薄暗く感じられるほどだった。
「顔色が悪いですよ。それに、少しお痩せになったんじゃありませんか」
 瑞々しい肌から生気が抜けている。気のせいか、巨乳も張りがない。見るたび羨ましくなってしまうリリニィさんの大きな胸は、私の永遠の憧れでもあるので、いつでも元気でいて欲しいのだが。
「ううん、そんなことないわ。大丈夫」
「大丈夫なようには見えません。何か食べるものをお持ちしましょうか。それとも飲み物のほうがいいですか。体調が悪いなら、柔らかいものとか、スープとかなら喉を通りますか。厨房の人に作ってもらうように頼んできますから。あ、私のいた世界では病気の時にはお粥とすりおろしリンゴって定番があるんですけど、こっちには米がないからえーとえーと」
 こちらの世界での、お粥とすりおろしリンゴの代わりになるものを一生懸命考えていると、リリニィさんは泣きそうな顔でわずかに笑みをこぼし、身を屈めて私の頭を優しく撫でた。
「ううん、ほんとうに大丈夫。ありがとう、コト。ちょっと、セイの部屋にお邪魔するわね」
 そう言って、玄関ホールから、ふらふらと一直線にお坊っちゃんの部屋へと向かっていく。本来ならまずお坊っちゃんに客の来訪を告げ、許可を得てから私が部屋まで先導して案内しなきゃならないところだが、今のリリニィさんを止めるのはためらわれた。
 それに、きっと、この様子を見れば、お坊っちゃんも決して咎めたりはすまい。
 リリニィさんが入っていったお坊っちゃんの部屋からは、物音などもまったく聞こえなかった。どうしよう、と思ったのだが、意を決してお茶の用意をし、ワゴンを押して、私もそこに向かう。
 お坊っちゃんの部屋は、ドアが半分開いていた。迷ってから、控えめに、コン、というノックをして、そうっと顔だけ覗かせる。
 窓際の椅子に座ったお坊っちゃん──そのすぐ傍らにうずくまり、お坊っちゃんの膝に顔を伏せているリリニィさんは、声を押し殺して泣いていた。
 彼女の背中を優しい手つきで撫でていたお坊っちゃんは、私に気づくと、ちょっとだけ苦笑し、片手を軽く挙げてみせた。
 またロンさんに冷たくされたのか。それとも何かを言われたのか。お坊っちゃんは、いつものことだという顔をしているので、今までにも何度か、こういうことがあったのかもしれない。
 しょうがないなと苦笑交じりでリリニィさんを慰めるお坊っちゃんの目には、呆れつつも妹を思いやる兄のような温かい色がある。きっと彼は、しょっちゅうこうやって、リリニィさんの涙に付き合ってあげてきたのだろう。
 でも、私はリリニィさんの泣いたところを見たのははじめてだった。いつも朗らかで明るいリリニィさんが、こんなにも萎れている姿も知らなかった。
 ううーむ、と心の中でこっそりと唸る。
 恋愛なんて所詮、当人同士の問題だ。他があれこれ口を出したってしょうがない。上手くいくものなら放っておいたって上手くいくのだし、潰れるものは何をどうしたって潰れてしまう。そう考えていたのだが。
 ……しかし、見たからには、お姉さん、放ってはおけないじゃないですか。


          ***


「セイ・タガートに借りた本を返しに来た。至急、今日中に必要になったと言うもので」
 数日後、そう言ってラティス家を訪れたロンさんを、私は丁重に出迎えた。
「それはそれは。どうもありがとうございます。お坊っちゃんはただ今来客中なのですが」
「それでは、これを渡しておいてもらえるだろうか」
 素っ気ないが、相変わらず、ロンさんは子供に対しても態度が丁寧である。手にしていた本を差し出し、わざわざ顔をうんと下に向けて、ハシバミ色した瞳をまっすぐ合わせる。
「いえ、直接お返しになられた方がよろしいかと。来客といっても、リリニィさまですし」
「…………」
 ロンさんの顔が強張り、さっと緊張が走った。うん、私から見れば、それは意識をしすぎるがゆえの、緊張だとか、はにかみだとか、そういうものだと判る。しかしリリニィさんには、これが 「不快さ」 と映るらしい。一旦ネガティブな目で見ると、恋ってやつはとことん後ろ向きに突っ走っていくものなのか。
「いや、俺はこれで失礼する。悪いが、コト、コから、本を渡しておいてもらえないだろうか」
「いいえー、そういうわけには」
 逃がしませんよ。
「もう少し待っていただけば、お話も終わると思います。おおむねのことは決まって、あとは細かいところを詰めていくだけで、そこはのんびりやっていけばいいだろう、とお坊っちゃんも仰ってましたから。幼馴染ですから、気心も知れていらっしゃいますしね。今さら堅苦しい決まりごとを作らなくてもよろしいですよね」
 ロンさんは眉を寄せた。
「……何かの打ち合わせでもしているのか」
「あれっ、ご存じじゃなかったんですか?」
 私は目を見開いて、白々しく驚いた顔をした。ここにいるのは、現在、十一歳の子供であるからして、ついうっかり口が滑ったりもしてしまうのである。

「お坊っちゃんとリリニィさまの、ご結婚のお話ですよ」

 ロンさんの顔から、見事なまでに、血の気が引いた。おお、これが顔面蒼白というやつか。ロンさんの肌はちょっと褐色がかっているので、あんまり白くはならなかったが。
「……結……婚……?」
 声が掠れている。
「そうですよー、大公家と中公家の間で、昔から交わされていたお約束があったようです。ですからもともと許嫁という立場だったらしいんですけど、騒がれたくはないので、お二人ともそれを黙っていらっしゃったようですねー。私も最近聞かされたんですけど、ビックリしちゃいましたー」
 私の台詞はだんだん棒読みになってきたのだが、ロンさんはちっとも気づかなかった。
「しかし……しかし、セイは今までずっと、他の女性と」
「まあそりゃ、いくらお坊っちゃんでも、ご結婚してしまえばそうおおっぴらには遊べないでしょうから。それまでは、思う存分、羽を伸ばしていたいと思われたんじゃないでしょうかねえ。お相手は昔からよくご存じのリリニィさまで、恋愛感情があるわけじゃないですしね。ご結婚後はやっぱり人目もあることだし、こっそりと遊ばないといけなくて、それも窮屈だなんてコボしてましたけど」
 ここはリリニィさんのため、お坊っちゃんに悪役になっていただきます。なんという違和感のなさ。日頃のチャラい生活が役に立ちましたね!
「バカな」
 吐き捨てるような口調で言って、ロンさんは拳を握った。眉が吊り上がり、さっき色を失くした顔は、今度は憤怒で真っ赤になっている。
「そんないい加減な男と結婚したって、不幸が待っているだけだ」
「そうでしょうかねえ」
「そうに決まってる!」
 噛みつくようにこちらを睨んでくるロンさんに、私は皮肉げに口の端を上げ、「──でも」 と、冷たい声で言い返した。
「それはロンさんには関係ないことじゃないですか? リリニィさんが不幸になるからって、怒ったり嘆いたりする資格は、ロンさんにはない。これっぽっちもね。大公家令嬢と中公家子息の結婚なんて、身分から来た儀礼的なものに過ぎないに決まってますよ。けど、ロンさんはそこに異議を差し挟める立場にはないんじゃないですかね。大公家の人間だからという理由で、リリニィさんを遠ざけて、冷たく接してしかこなかったロンさんは、誰より身分制度というものを尊重していると言ってもいいんですから。ずっと、何も言わなかったし、しなかった。直視しないで、逃げ続けていた。そのロンさんに、今さら、政略結婚なんて不幸だ、大事なのは人と人の実質的な距離、心と心の触れ合いだ、なんてこと、どのツラさげて言えますか?」
「……っ」
 ロンさんは表情を歪めて言葉に詰まった。
「……俺は……」
 そのまま長いことうな垂れて、黙り込む。
 しばらくして、きっと顔を上げた。
「──ここを通る。無礼を許せ」
 毅然とした口調でそう言うと、つかつかと大股で私の脇を通り抜け、一直線にお坊っちゃんの部屋へと向かった。
 ……そして、少しして。
 再びホールまで戻ってきたロンさんは、一人ではなかった。
 赤い顔をして、強引にリリニィさんの手を繋いで引っ張るようにして歩いていた。ものすごい早足なので、引きずられるように連れだされるリリニィさんは、半ば駆け足のようになっていた。混乱しながら、けれどこちらも真っ赤な顔で、あの、とか、待って、とか言いながら、一生懸命足を動かしている。
「ロ……ロンディウス・カレル……?」
「──話があるんだ。君が他の男のものになってしまう前に」
 ロンさんはきっぱりそう言うと、リリニィさんをしっかりと捕らえたまま、玄関のドアから外に出て行った。


「……やーれやれ」
 いつの間にか私のすぐ後ろにやって来ていたお坊っちゃんが、呆れたように大きな息を吐きだした。
「お前の作戦、雑なんだよ。俺、もうちょっとで、部屋に飛び込んできたロンに、殴られるところだったんだぞ。この美貌にキズでもついたらどうしてくれる」
「上手くいったんだからいいじゃないですか。『終わりよければすべて良し、雨降って地固まる作戦』、こんなにスムーズにいくとは、正直、私だってビックリです。お二人とも単純な……あ、いや、素直なお人柄なんで、必要なのは単なるきっかけだったんじゃないでしょうかね」
 大体、ロンさんのあの長ったらしい名前を、律儀に毎回正確に言おうとしているリリニィさんの健気さに、ロンさんはもっと早く気づくべきだったのだ。
 同様に、幼馴染のお坊っちゃんでさえ、真っ先に視線が向いてしまうのはリリニィさんの胸なのに、ロンさんはちっともそこを見ようとはしない──見ているのはいつも、リリニィさんの笑う口許だってことに、リリニィさんは気づくべきだった。
 まあ、二人とも、鈍感だからね。
「ぜーんぶお前が仕組んだデタラメだって知ったら、ロンのやつ、怒るだろうなあ」
「大丈夫ですよ。子供の他愛ないイタズラじゃないですか」
「子供のイタズラねえ……」
 お坊っちゃんは、なんとなく疑わしそうに私を見下ろしたが、言葉にはしないで、気障な仕草で肩を竦めた。
「……ま、でもこれで、あの二人も少しは進展するだろ」
「これで何も進展しなきゃお手上げですよ」
「今の内から一人に絞らなくてもいいんじゃないかと、俺なんかは思うけどねえ。あいつらみたいに、誰かを純粋に想うなんて、俺には無理だな」
「そんなことはないですよ、きっと」
 私が言うと、お坊っちゃんは、ん? とこちらを見返した。その目をまっすぐ覗き込み、私は真面目な声を出す。
「お坊っちゃんはまだ、本当に人を好きになるってことが、よくお判りになってないだけだと思います。お坊っちゃんは芯から軽い性質ではないですし、ちゃんと人の心というものをご存知ですから、いずれ大人になったら、ずっと大事にしたいなと思う女性が出来ますよ」
 私の言葉に、お坊っちゃんは複雑な表情になった。
「……や、なんか微妙だな。すげえ説教されてる気分」
「お坊っちゃんが早く一人前の大人になって可愛いお嫁さんをお迎えになることが、コトの最大の望みです」
「ばあやか!」
 ぴんっと頭を指で弾かれた。いたい、と押さえたら、その手ごと掌で包まれ、ぐりぐりと振り回すように乱暴に撫でられた。目が廻る。髪の毛もまたぐしゃぐしゃになった。
「──じゃあ、その時は」
 お坊っちゃんが、目を細めて微笑んだ。
「はい?」
「結婚するにしろ、独立するにしろ、俺がこの屋敷を出る時は、コトも一緒に来いよな」
「一緒にですか?」
「まあ、イヤだって言っても連れてくけど」
「またお守りか……」
「待て、お前今、さらっとボソッと何か言っただろ! なんかすごく聞き捨てならないこと言っただろ! 俺、今、最高にカッコイイこと言ったよな?! あれは決めゼリフだよな?! ここは感動のあまり、目を潤ませて抱きついてきたりするところだよな?!」
「では私、仕事がありますのでこれで」
「待て、コト!」


 スカートのポケットの中から雑巾を取り出し、私は考える。
 ……うん、でもまあ。
 それもいいかな。
 もとの世界に帰りたいと願う心はある。家族に会いたいという気持ちもある。本当のことを言うと、未だに夜、寝る前に、いろんなことを思い出してちょっぴり泣いたりすることもある。
 でも、あの夢の中で。
 頭がガンガン痛んだのも、胃がムカムカしたのも、決して酒を飲んだせいばかりじゃない。家族の顔を見て、声を聞いて、泣きそうなほどに嬉しく、安堵したのと同時に、こちらの世界のことを思い出し、やっぱり泣きそうなほど寂しくなったのは事実なのだから。
 ……そんな未来も、いいかもね。



          ***


 ──空いっぱいに、澄んだ青色が広がっている。
 私は脚立に乗って、いつも通り、せっせと裏庭の木に成った黄金色の実をもいでいた。
 良い匂いがして、甘くて爽やかな味がして、このまま食べても、ジュースにしても美味しい果実。次から次へと熟してくるので、毎日収穫しても追いつかないくらいだ。放っておくと、大きくなりすぎて一気に味が落ちてしまうので油断がならない。
「うーん、これはもうダメか……」
 私は溜め息をついて、ハサミをエプロンのポケットにしまい、大きくなりすぎた二つの実を両手に持った。
 こうなってしまうと、エグ味が加わってしまうので、もうこのままでは食卓に出せない。しかし貧乏性なので捨てるのももったいない。砂糖で煮てみるとか、いっそ油で揚げてみるとか……といろいろ料理法を考えつつ、目の高さまで持っていってまじまじと眺める。
 ずっしりと重い。そして真ん丸で大きい。大きすぎるくらいに。
「…………」

 ちょっと、魔が差した。

 他意はない。本当に、ちっとも、これっぽっちもない。その大きさと形を見ていたら、なんとなくムラムラと込み上げるものがあって抑制できなかっただけで、いやホントに、さしたる意味はない。
 そっと、両手に持った二つの実を、胸のあたりに当ててみる。
 ふーん。あ、そう。こんな感じね。こんな重いものが身体にぶら下がっていたら、さぞかし肩が凝るに違いない。だよね、巨乳ったって、そんなにいいことばかりじゃないに決まっている。そうとも、決して負け惜しみではなく。悔しくなんてない。悔しくなんてないったら。
 掌に乗せて、少し振動させてみた。へえー、ユサユサと揺れるものが自分の視界に入るというのはこんな感じなのか。邪魔じゃない? だって下を見ても地面が見えないじゃん。リリニィさん、よく転ばないよなあ。その点、私なんか、目から足のつま先まで、障害物なんかないもんね。風の抵抗だってほとんどないから、昔から走るのは早かったさ。ふふん。……ちっ。
 舌打ちをしたところで、背後から視線を感じてはっとした。
 がばっと振り返ると、お坊っちゃん、リリニィさん、ロンさんの三人が、高い脚立のてっぺんに腰かけた私を地面から見上げていた。お坊っちゃんの頭には、二つの可愛いつむじがあることを発見した。ってそれどころじゃないよ! ぎゃあああーーー、見られたああっっ!!
 リリニィさんは白いハンカチでそっと目元を拭い、ロンさんはどう見ても痛ましげな顔、お坊っちゃんに至っては、お腹を抱えてまた笑い死にしそうになっている。
「……コト、そう悲観してはいけないわ。たくさん栄養のあるものを食べたらきっと良くなると思うの」
 悲観なんてしてないやい! 胸がないのを不治の病みたいに言わないで!
「女性は胸がすべてではない、コト、コ」
 ものすごくでっかい胸の恋人を持って、毎日仲良くしてる人に言われても説得力がないね!
「心配するな。胸が小さいままでも、あの約束は有効だからな、コト」
 そんなに大笑いするやつとの約束なんてくそくらえだよ!
 羞恥と動揺で頭に血の昇った私は、我を忘れたついでに丁稚としての立場も忘れ、きいーっ、とサルのように顔を真っ赤にして手に持っていた実を三人に向かって投げつけた。それだけでは腹の虫が収まらず、近くにあった枝からちぎり取るように実をもいで、ぽんぽんと投げてやった。
「危ない、危ないって、コト!」
「コト、コ、やめろ、脚立から落ちるぞ」
「そうよ、ちっちゃいんだから、その高さから落ちたら死んでしまうわよ!」
 ……結局、裏庭の大声を聞きつけたワンズさんに見つかり、四人揃って並ばされ、盛大にお説教をされるまで、そのバカ騒ぎは続いたのだった。


 異世界の巨人さんたちとの生活は、こんな感じで、毎日が賑やかに過ぎていきます。
 家族のみんな、今頃どうしているのか知らないけれど。
 ──楽しくやっているから、私のことは、心配しないでね。

Fin.



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