短編11

ガリヴァー君と小さな丁稚(1)




「コト、コト!」
 部屋のドアを開け、廊下に向かって声を張り上げると、どこかから、はいはーい! という返事が聞こえた。
 聞こえる感じからして、声の主は屋敷の中の厨房あたりにいるらしい。中公家の三男たる俺は、中公家の人間であるがゆえに、自分が住んでいる屋敷といえど、普段から足を踏み入れることのない領域というものがある。厨房もそのひとつだ。スペースは広いが使用人しか出入りすることのないその場所は、屋敷の奥のほうにあって、俺はその中の造りがどうなっているのかすら、ほとんど把握していない。
 奥にあるのだから、厨房からこの部屋までは、食堂があり、居間があり、ホールがあり、踊り場のある廻り階段を挟んで、さらに二部屋の前を通り、けっこうな距離がある。だというのに、驚嘆すべきスピードで、その子供は俺の前に姿を見せた。

「お待たせしました。なにかご用ですか、お坊っちゃん」

 頬を紅潮させ、小さな肩を上下させて、ひいふう言いながらコトは律儀にドアの前にまっすぐ立ってそう言った。俺の声が聞こえるやいなや、ダッシュしてここまで全速力で駆けてきたのだろう。コトは、ちっちゃな身体なのに、まるで進軍ラッパが聞こえそうなほどのバイタリティ溢れる猛烈な走り方をするので、見ていると可愛いというよりちょっと怖い。
 そこまで急がなくてもいいのに、と毎回思うのだが、名前を呼ぶとすぐに飛んでくるその姿を見るのははっきり言って嫌いじゃない。というか大好きなので、俺はいつものようにその言葉は口に出さないでおいた。
「うん。なあ、コト、これから出かけるんだけどさ、こっちのタイとこっちのタイ、どっちがいいと思う?」
 姿見の前に立った俺は、コトに向かって、色の違う二つのタイを示して見せた。そんな用事で呼びつけたのか、などと、コトは決して怒ったりしない。まじまじとそれらを見比べて、とことこと部屋の中に入り、俺のすぐそばまで寄ってくる。
「ううーん」
 眉を寄せてためつすがめつし、腕を組んで気難しい表情をするコトに、つい噴き出してしまいそうになる。さして長くもない髪を、後ろでひっつめるようにして結わえているので、上から見ると、コトが頭を動かすたびに、それがハタキみたいにぶらぶら揺れ動くのも可笑しい。
「やっぱり、こっちじゃないですか」
 と人差し指を突き付けたのは、レンガ色のタイのほうだった。ううーん、と俺も首を捻る。
 どっちがいいかと聞いたのは俺だが、答えをもらっても、それはそれで心が揺れるのである。こっちも悪くないけど、でもなあ……。
 俺はこういうことを悩みだすと、たっぷり一時間はかかる。他のことではそう優柔不断なタイプではないのだが、なまじ整った自分の容姿容貌を、いついかなる時も最上に見せたいという願望があるため、一旦迷いはじめるとキリがないのだ。コト以外の使用人は、三男坊のこの迷いグセを知り尽くしているので、俺が姿見の前に立って唸っている時は、どれだけ呼ぼうと誰も来てくれない。
「こっちかー……。でも、ちょっと渋すぎないか?」
「こっちの濃いピンクよりはずっといいですよ」
「えー、そうかな……。でも俺まだ十八だし。あんまり年寄りくさいのは……」
「お坊っちゃんは十分若々しいお顔をされてますし、言動も軽……じゃない溌剌としてらっしゃるんですから、ご衣裳は落ち着いているくらいの方がよろしいです」
「うーん、けど」
「このピンクはさすがにチャラすぎでしょう」
「なあ、お前その 『チャラい』 って言葉よく使うけど、どういう意味なんだ?」
「じゃあ、ちょっと実際につけてみましょう、お坊っちゃん」
 コトは俺の問いかけをしれっと無視して提案した。この件に関して、どんなに訊ねても、コトは口を割ることはない。いつか絶対に本当の意味を聞きだしてやるからな、と決意して、俺はレンガ色のほうのタイを首元に廻してつける。
 すると、すぐさまコトが感嘆の声を上げた。
「あっ、やっぱりいいじゃないですか。とってもお似合いです。素敵です。最高です。髪と瞳の綺麗な赤が、より映えます。この色がこんなにピッタリくるのは世界でお坊っちゃんくらいのもんですよ。さすがですねえー」
「……そ、そうか?」
 コトが両の掌を見せて目を見開き、大げさに褒めちぎるので、俺はたやすくその気になった。そうかなあ、と口元を崩して、姿見に移る自分の全身像を眺める。
「だったらやっぱり、こっちのほうがいいのかなあ」
「そりゃもうこっちですよ、お坊っちゃん」
「うーん、そうかな」
「そうですとも、間違いなし! コトが断言します!」
「そうか? 俺、カッコイイ?」
「バッチリです!」
「……そうだな。うん、そう言われてみると、多少渋いくらいのほうが大人の魅力があっていいかもな」
「色気があってたまりませんね!」
「そうかあ〜?」
 ポーズをとって角度を決め、流し目をしてみせたら、コトがひゅーひゅーと囃し立てて 「いよっ、男前! 女の子のハートを一撃必殺!」 などと言うので、ぱあっと目の前が開けたように明るくなった。そうだよな、やっぱりレンガ色だよな、なにを悩んでたんだろう、俺に似合うタイといったらこの色以外には考えられないじゃないか!
「じゃあ、出かけてくる!」
「いってらっしゃいませ、お坊っちゃん」
 レンガ色のタイをして、張り切って言うと、コトが生真面目に深々と頭を下げた。


 ──ひょっとして俺、コトにいいように操られてないか? と気がついたのは、鼻歌交じりに意気揚々と屋敷を出て、しばらく経ってからのことだった。


          ***


 街の中にある飲食店は、大雑把に言って二種類に分類される。
 普通に飲み物と食べ物を提供する健康的な店と、おもに提供するのは酒ばかりという不健康な店だ。それはいいが、不健康なほうの飲み屋のうちには、ただ酔って笑って騒ぐだけの店から、非合法すれすれの薬のようなものを扱っている店まで、様々ある。それらの店が同じように軒を並べている街中は、明るい昼日中ならともかく、夕方を過ぎると一気に治安も雰囲気も怪しくなる。
 一度はコトを街の中まで連れてきてやりたいなあと思いながらも、俺がそれを実行できずにいるのは、そういう理由がなにより大きかった。
 言うことと態度は大人びているが、なにしろコトは小さい。ちょっと目を離すと、そのまま人通りにまぎれて見えなくなってしまいそうだ。この世界の生まれなら、たとえ子供でも、危険に対する心構えと近づいてはいけない場所くらいは弁えているものだが、コトは違う。万が一俺からはぐれた場合、あの子供がどこをフラフラするだろうと思うと、とてもじゃないが、そうそう気軽に街にまで連れてくる気にはなれなかった。

「まるで妹のような扱いなのねえ」

 と、その日のデート相手である女が呆れたように言った。
 陽が傾きかけて、街はそろそろ大人の時間へと移り変わる。普通に美味しい食べ物を出すが酒も少しは出す、という健康的なほうの店で食事をしている時にコトの話をしたら、返ってきた言葉がそれだった。
「うん、まあ、妹みたいなものかな。まだ子供だし」
 時々、年上みたいな物言いをすることがあるけど。俺のほうが弟みたいに思われてるんじゃないかと疑問に思うことも多々あるけど。
 でも多分、そういうものなのだろう、と俺は思うことにしている。
 なにしろ異世界人だからな。こちらの人間とあれこれ違うところがあっても不思議じゃない。
「でも、下働きの子なんでしょう?」
「本人は、丁稚って言ってるね」
 そう応えながら笑って、俺は、今も屋敷でこまごまと動き回っているであろうコトの顔を、頭にぼんやりと思い浮かべた。


 ……異なる世界からやってきた、小さな女の子。
 俺の半分くらいしか身長がなくて、しっかりしていて、チョコマカと一日中働いてばっかりで、あの小さい身体のどこにこんなエネルギーがあるのかと感心するくらい元気いっぱいで、胸がないことを気にしていないようで案外誰よりもいちばん気にしていて、たくさん食べろと勧められることに時々うんざりしたような顔をするその子供──が。
 俺にとってどういう存在かと言われたら、まあオモチャというのが最も近いなと思うのだけど、妹のようなもの、というのもそうズレてはいない。
 そんな感じだ。でも、気に入っている。うん、かなり。
 それだけは、間違いない。


「妹といわれても、他の女の子の話ばかりされたら、私だって妬けてしまうわ」
 ふふ、と含み笑いをしながら、女が椅子に腰かけたまま上半身だけをこっちにすり寄せてきた。俺、そんなにコトの話ばかりしてたかな、と思いながらも、肩を抱いて微笑みかける。何度も練習した、「とろけそうに甘い微笑」 を浮かべて。
「妬いてくれるの? 嬉しいね、君のような美人に妬かれるんだったら、もっと他の女の子の話でもしようかな」
「ま、意地悪ね。あなたが遊び人であることは知っているけど、私と一緒にいる時は、私だけを見なさい」
「もちろんさ。今は、君以外の女性は目に入らない」
 耳元に囁くと、女はふふふと猫のように喉の奥で笑った。うっとりと見上げてくる彼女の目に、俺はどういう風に映っているのかな、と思う。
 ちゃんと色男に見えているだろうか。情熱的な赤い瞳、通った鼻筋、微笑をかたどる形の良い唇、この顔のどこも、完璧に 「カッコイイ男」 になっているだろうか。
 ──表面だけでも、そう見えていれば、俺は満足なんだ。
「お待たせしました」
 女の頬に唇を寄せたところで、淡々とした声が耳に入って顔を上げた。見ると、給仕の少年が、さっき頼んだ飲み物を運んで、テーブルに置くところだった。小さな子供が、なんでまたこんな時間、こんな店で──と怪訝に思いかけて気づく。
 黒い髪、黒い瞳、周囲に埋もれてしまいそうなほどの低い背丈。

 ……異世界人か。

 この世界では、異世界人そのものはそんなに珍しくない。だからこの世界に迷い込んできたそれらの人々を保護する法が整備され、役所にはちゃんと異世界人に就職を斡旋する部署までがあるくらいだ。コトも、そうやって俺のいる中公家にやってきた。
 俺にしたって、異世界人に会ったり接したりするのは、なにもコトがはじめてというわけでもなかった。そんなに多くはないが、数百人に一人、というくらいの割合で、異世界人はこの世界に混じっているからである。こちらの世界では、人は髪も瞳も肌の色も千差万別なのだが、身長と、ちょっと独特な発音で、なんとなく見分けられる。
「君、異世界人だろ?」
 女の肩から手を離し、そう訊ねた俺に、少年はかすかに警戒心のこもった目を向けた。
 なるほど。異世界人は、みんながみんな、コトのように能天気な性格をしているわけではないらしい、と俺はそれを見て思う。
「そうですが」
「あ、突然ごめん。俺の家にも、異世界人の女の子がいるんだよ。君と同じ、黒い髪、黒い目の」
 そう言うと、彼は少し驚いたように、目を瞬いた。世界全体では珍しくないといったって、数百人に一人くらいでは、そうそう異世界人同士、遭遇することもないのだろう。
 それから、独り言のようにぼそりと呟いた。
「黒髪と黒目……じゃあ、ひょっとして、俺と同じ中国人なのかな」
 俺と同じ、までは聞こえたが、その次の単語が少々聞き取りにくかった。この世界の人間と異世界の人間は、互いに言語は通じるのだが、その伝達方式にどこか難があるのか、時々こういうことがある。聞き取りにくかったり、発音がしにくかったり。
「君、いくつ?」
「二十二歳」
 え、俺よりも年上なのか……と戸惑った。てっきり、コトと同じくらいの年齢かと思ったぞ。異世界人というのは、小さいだけでなく、どうしてこうも外見が幼く見えるのか。
「俺のところにいるのは、十一歳の女の子なんだけど。こっちに来たのは一年前」
「十一の子が、こんな場所に?」
 少年、じゃない、青年は、そう言って顔を顰めた。そりゃまあ、異世界に放り込まれた者同士、苦労も混乱もしのばれて、同情するのは理解できる。ましてや十一の子供がと、気の毒に思うのも納得できる。
 ……でも、「こんな場所」 っていうのは、ちょっと失礼なんじゃないのかね。
「名前を聞いてもいい? あ、俺は、セイ・タガート・ラティス」
 少しばかりむっとしながらも、それはなるべく表には出さずに名を訊ねる俺に、彼はほとんど興味を示さなかった。もともとそういう無愛想な性格なのか、何かを考えるように視線を余所に向けたまま、笑みを浮かべることもしない。
「……劉。劉暁明」
「…………」
 ぜんっぜん、聞き取れない。
「ごめん、もう一回。リュー……?」
 彼は再びこちらを向き直り、はあ、と嫌味たらしく大きな溜め息をついた。きっと何度も、こういうやり取りを繰り返してうんざりしているのだろう。それは判る。それは判るが、可愛くない!
 もう一度、今度はゆっくりと名前を言われた。「リュウシャオミン」 というように俺の耳には聞こえたので、もうそれでよしとする。どこからどこまでが名なのかもよく判らないが、いちばん発音がしやすそうな、リュウ、で呼ぶことにした。
「リュウ、もしよかったらさ、時間のある時でいいから、俺のところにいる女の子に会ってやってくれないか。危ないから街には連れてこられないけど、同じ異世界人に会えたら、きっと喜ぶと思うんだ」
 そう頼むと、リュウは案外さして考える間もなくあっさり、いいよと了承した。子供だから心配だ、という気持ちもあるだろうし、自分も同郷の人間に会いたい思いもあるのだろう。
「よし、決まりだ」
 立ち上がって、手を差し出すと、リュウは一瞬の無言の後、渋々のように手を出して握手した。
 コトにいい土産が出来たなあ、と浮かれていた俺は、すっかり隣にいた女の存在を忘れ果てていて、思い出した時には、彼女の姿はもうどこにもなかった。


 帰ってから早速そのことを伝えると、コトは目と口を真ん丸にして、へえー、と間抜けな声を出した。
「やっぱり私の他にもいるんですねえ。話には聞きますけど、会ったことはなかったですよ」
「うん。それもさ、お前と同じ、黒目黒髪なんだぜ」
「へえー。じゃあ、日本人なんですかね」
 首を傾げてコトが言ったが、それもちょっと聞き取れなかった。いやでも、〜ジン、という部分は、リュウも言っていたな、確か、と思い出す。
「えーとな、なんて言ったか……チュー、ガク、とか、そんなことを口にしてたぞ」
 確か……そんなような言葉だった。ガク? ゴク? ん? でもそう変わらないか?
「え、中学生なんですか」
「……う、ん」
 コトが驚いたような顔をしたが、俺はあやふやに頷くことしか出来ない。チューガクセイ、だったか? ちょっと違うような気もするのだが、通じるならそれで合っているのかな。
「そう、だったかな……」
「だったら私とはちょっと年齢が離れてますねえ」
「うん」
 十一歳と二十二歳だからな、そりゃ年齢は離れてるよな、と頷いてからまた首を捻る。俺、リュウの年齢って言ったっけ?
「リュウ、っていう名前らしいんだけどさ、下のほうはよく聞き取れなかった」
「ははあ。リュウですか。竜平君とか、龍之介君とか、そんな名前なんですね」
「…………。そう、だったかな……」
 違うような気もするのだが。
「会ってみる?」
 どっちにしろ、実際に顔を合わせれば判るだろう、と思い、細かいことはすっ飛ばして訊ねてみると、コトは素直にこくんと頷いた。
「そうですね。私も話がしてみたいです。それくらいだったら、いろいろと不安だろうし、同じ日本人同士、力になってあげないと」
 それくらいだったらいろいろと不安、という部分が今ひとつ判らない。まあいいか。
「じゃあ、折を見て、ここに連れてくるよ。お前もその時は、ちゃんとオシャレしろよな」
「なんで私が中坊相手にオシャレしないといけないんですか」
「厨房がどうしたって? だってお前のお客さんなんだぞ。そんな黒スカートにエプロンなんていつもの恰好で出迎えるつもりか?」
「これが落ち着くんですよ」
「以前、リリニィにもらったドレスを着てみたら?」
「絶対やです」
「胸にはたくさん詰め物すれば大丈夫だって」
「うるさいですよ、お坊っちゃん!」
 結局いつものバカ騒ぎになってしまい、会話がよく噛み合っていないまま、リュウの話はなしくずしに流れていった。


          ***


「…………」
「…………」
 リュウを屋敷に連れてきた当日、引き合わせた二人は、互いに棒のように突っ立ったまま、しばらく身動きしないでじっと見つめ合っていた。
 俺がうるさく言ったにも関わらず、普段仕様の服装で客を出迎えたコトは、この世界ではじめて出会った異世界人を前に、ひたすら無言で突っ立っている。感動のあまり、口もきけないのだろうか。
 俺は少し戸惑いつつ、こうして見ると、この二人、あんまり身長差がないんだなあ、というようなことを考えていた。異世界人は誰もが小さいから、俺からすると、みんな同じくらいに見えるだけなのかもしれないが。
 長い沈黙の後、ようやくのように、リュウが引き攣った顔つきで口を開いた。
「十一歳って……ちょっと待て、こいつどう見ても」
「お坊っちゃんっっ!!!」
 が、その言葉は、絶叫に近いコトの呼びかけにかぶって消えた。びりびり窓ガラスが振動するくらいの大音量に、俺も咄嗟に自分の耳を押さえたくらいだった。
「な、なんだ、コト」
「お坊っちゃん私ちょっと同じ異世界人として彼と積もる話をしたいので今すぐ二人きりにさせてもらいたいんですけどよろしいでしょうか!!」
 息継ぎもしないで怒鳴られて、困惑する。それは、そんな大声でまくしたてるように言わなきゃならないことなのか。
「え、話がしたいのなら、別に、ここでゆっくり……」
「いえっそういうわけには! ちょっと口裏合わせじゃなくて相談というか内密というかとにかく込み入ったことを話したいもので!」
「はあ……?」
 俺がぽかんとして返事をするヒマもないうちに、コトはがつっとリュウの腕を力強く掴むと、そのままものすごい勢いで、彼を引きずるようにして応接間から走って出て行ってしまった。
「…………」
 嵐のように二人が去って、俺だけがぽつんと取り残された。
 しーんとした部屋で、一人茫然と立ち尽くす。

 ……なに、この疎外感。



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