短編11

ガリヴァー君と小さな丁稚(3)




 今日も、コトは屋敷のあちこちをバタバタと走り回っている。
 朝起きて、厨房で手伝いをし、寝起きの良くない俺を叩き起こす。それから洋服選びに付き合い、あれこれと上手いことを言って着替えさせ、食堂で俺の朝食の世話を焼く。
 その合間合間に、父上や母上やワンズに何かを言われたりして、そのたびに、あっという間に消えて、あっという間に用件を済ませて戻ってくる。熟練のメイドみたいな素早さと仕事量だが、コトが動いていると、どうしても、チョコマカ、という形容しか思いつかない。
 そのさまが、なんだか小動物が行ったり来たりしてるみたいで愛らしくて、みんなもつい、用事を言いつけてしまうのだろう。父上は新聞を取ってきたコトに目を細め、ご褒美だと言って菓子をやり、母上はお茶を注ぐコトににこにこして、手つきが優雅になってきたと褒めて菓子をやり、ワンズはよく働いたなお腹が空いただろうと言って、菓子をやった。
「……ありがとうございます」
 礼を言ってそれらを受け取るコトの表情は、いつものことながら、ちょっと複雑そうだ。
 食事を済ませ、全身コーディネートの最終チェックをしてから玄関ホールに行くと、コトが真剣な面持ちでストレッチ運動に励んでいる。
「なんでお前、そんなに動き回ってるのに、その上体操までしてるんだよ」
 俺が訊ねると、
「新陳代謝にブーストをかけるんですよ」
 と、大真面目な答えが返ってきた。
「はあ?」
「食べ物をエネルギーに変換させるんです。お坊っちゃん、知ってます? 食べたものが胃袋で消化されるまでは、一時間から四時間くらいかかるんですよ。こっちでいうところの二時間です。普通に過ごしていたら、とても追いつかないですよ。だったらせめて運動で代謝を活性化し、次から次へと細胞を新しくすることによって、少しでも胃腸の働きをより良いものにして消化を助け、次なる労働への力に変えるのが合理的だってことです。わかります?」
「わかんない」
「わからなくていいです。いってらっしゃいませ、お坊っちゃん」
 毎朝こんな調子で、俺はコトに見送られ、家を出て城へと向かう。


          ***


「コトは相変わらず働き者なのねえ」
 コトは最近どうかと訊ねてくるリリニィに、朝のその様子を聞かせてやったら、感心したように溜め息をつかれた。
 その日、仕事から解放された俺とリリニィは、街へとやってきていた。リリニィに、「買い物に付き合って」 と頼まれたからだ。本来だったら、もう俺ではなく、晴れて恋人となったロンがその役を務めるところだと思うのだが、勉強の邪魔はしたくない、ということらしい。
 恋人に遠慮をして他の男と出かけるというそのおかしな気遣いは、多分、ロンが知ったら苦々しい顔になること請け合いだが、そこまで口を挟んで忠告してやるほど、俺は善人でもない。いいよと気軽に応じて、久しぶりに幼馴染との時間をのんびりと過ごした。
 まあ、俺にとって、幼い頃からよく遊んだリリニィは妹のようなものだ。発育のいい身体の一部分を感嘆して眺めることはあっても、それ以上のものを抱くということはない。
「あまりあの子を振り回しすぎてはダメよ、セイ」
「振り回してるつもりはないよ」
 二人並んで道を歩きながら、嗜めるようにリリニィに言われたが、俺は肩を竦めて率直に答えた。
 あっちこっちを飛び回るようにして働くコトを見るのは、確かに楽しい。でもどちらかというと、あの子供に振り回されているのは、俺のほうだ。
「熱心なのは感心だけれど、毎日毎日働きづめというのも、どうなのかしら。まだ小さいのだし、たまには気分転換も必要なのではなくて?」
「うーん」
 俺は唸る。その意見に反対する気はないが、気分転換と言われても、具体的に何をどうしてやればいいのか思いつかない。
 本を読むのは好きではないみたいだし、刺繍などの針仕事はきっぱり嫌いだと言っていたし、玩具を与えて喜ぶほど幼くはないようだし。棚にある父上の酒を非常にもの欲しそうに見ていることはあるが、まさかそれを飲ませてやるわけにもいかない。もう二度と、あんな心臓の縮むような思いはゴメンだ。
「やっぱり、一度、街に連れてきてやろうかな……」
 と呟くと、リリニィが声を弾ませて歓声を上げ、意気込んで同意してきた。
「まあっ、それはいい考えだわ! その時は、私も誘って頂戴ね、セイ! 一緒にお茶を飲んだり、美味しいものを食べたり、あちこちのお店を廻ってみたりしましょう! コトにお洋服を買ってあげるのもいいわ! ああ、想像するだけで、とっても楽しそう!」
 すっかりその気になったリリニィは、頬を紅潮させて、うっとりと楽しい想像に酔っている。
「じゃあ、いつにしましょうか? 明日? 明後日?」
「……ちょっと待て、リリニィ」
 コトのように現実的すぎるのもどうかと思うが、リリニィのこの暴走しがちなところも、いい加減どうにかならないものか。誰がそんな急な話だと言ったんだよ。
「まだ決定じゃない」
「あら、どうして? とても名案だわ。むしろ、今までどうして実行しなかったの、セイ。コトはまだこちらの世界のことにそれほど詳しいわけじゃないのだし、実際にいろいろと見せてあげればいいのよ」
「だって街は危ないだろ。治安のよくないところもあるし」
「危ない場所に近寄らなければいいじゃないの。私やセイがついているのだもの」
「もしも万が一、はぐれたりしたら大変だから」
「コトはしっかりしているし、そんなことは……」
「わからないだろ。もしもちょっと目を離した隙に、タチのよくないのに攫われたらどうする? 見慣れない景色に興奮して、いきなり走り出して迷子になるかもしれない。そうしたら、見知らぬ場所で、独りぼっちになるんだぞ。コトはこっちのことをよく知らないんだから、ぽつんと街中に一人でいたって、困り果てるだけじゃないか。そんなところを、誰かに連れて行かれたりしたらどうするんだよ。街に連れてくるのは、その対策と準備が、十分とれたと確認してからだ」
「…………」
 俺の反論に、リリニィは口を噤んで、まじまじとこちらを見返した。しばらくの無言の後で、「……まあ……こっちも過保護だわ……」 と、もごもごと小さな声で呟く。
 と、その時。
「あ」
 別の方向から、誰かの短い声があがった。
 ん? と思って振り向き、その場で、ぴたりと足を止める。

 ──リュウだ。

 思わずむっと口を結んで仏頂面になってしまった俺と、何かの使いの途中なのか、両腕に荷物を抱えて立つ無愛想なリュウとを見比べて、リリニィが首を傾げる。もの問いたげにこちらを見るので、しょうがなく、紹介した。
「リリニィ、リュウだよ。話しただろ、異世界人の──」
「まあっ、コトのお友達のリュウね?」
 リリニィが大喜びでにっこりした。コトの友達、なんてこと、俺は一言も言った覚えはないのだが。
「はじめまして。リリニィ・ミラ・ガレルよ。コトとは、以前から仲良くしているの」
 ガレルといえば大公家の名前なので、これを聞くと大抵の人間は驚いた顔になるのだが、リュウはまったく表情を変えずに、リリニィの顔を一瞥しただけだった。無理もないか、異世界人だからな。俺がラティスを名乗っても、まったく反応しなかったし。
「劉暁明」
 と素っ気なく一言で自己紹介を済ませる。リリニィは俺と同じく、名が聞き取れないらしかったが、もう一度訊ねるということはしなかった。リュウ、という名前は判っているのだから、それでよしとしたのだろう。
「やっぱり、どこかコトと似ているわね。可愛らしいわ」
 ニコニコと言うリリニィに、まったく悪気はなかった。リュウはリリニィの弟よりも背が小さいのだから、そう思ってしまうのも仕方ない。黒目黒髪で、どこかしらコトと顔立ちが似ている、ということもある。
 しかし実年齢が二十二歳で、リリニィよりも俺よりも年上であるリュウは、当然、その言葉にカチンときたらしい。黙って眦を吊り上げた。
 リリニィを無視して、くるっと俺のほうを向く。
「琴子は元気か」
 その言い方に、俺もカチンときた。なんだそれ。どうしてこいつにそんなことを聞かれなきゃならない。コトの名前を、こちらとは違う発音で呼ばれるのも腹立たしい。
「元気があり余ってるくらいだね。毎日楽しそうに働いてるよ」
「楽しそうに、か」
 不機嫌に言い返した俺に対して、リュウはそう繰り返し、皮肉げに口の端を歪めるように上げた。一見子供のように見えるが、その表情に、子供っぽさはカケラもない。
 リュウはその顔つきのまま、一気に吐き捨てるように、俺に向かって言葉を投げつけた。

「そりゃ、あんたらがただ、そうとしか見てない、ってことだろ。この世界の人間は、自分がでかいからって、異世界の小さな人間たちを、ペットのようにしか見てないからな。可愛い可愛いって、そうやって子供扱いしてりゃ満足なんだ。俺たちが、あんたらと同じ普通の人間で、普通に葛藤や苦悩を抱えてるってことには気づかないし、気づこうともしない。そうだろ?」

「──……」
 射抜くような眼に見据えられ、俺は言葉を失った。リリニィも、はっとしたように目を見開いて、黙り込む。
「……俺は、コトを」
 喉から絞り出すようにして言いかけたが、リュウはまるで頓着しなかった。
 醒めた口調で、容赦なく言い継いだ。
「大事にしてるっていうのなら、もっと人間として対等に見てやったらどうだ。あのでかい屋敷で、愛玩動物のように飼われているのが琴子の幸せだと、まさか本気で思ってるのか? 突然見知らぬ世界に放り込まれた人間の、凄まじいまでの孤独と不安が、あんたにわかるか。あいつの身になって考えてみたことが本当にあるのか。身勝手な愛情を押しつけて、わかったようなフリをして悦に入られるのは迷惑だ。ここで生きるために、俺も、琴子も、しょうがなくいろんなことをこっちに合わせてやっているんだ。それを少しは理解しろ」
 鋭い口調は、完全に俺を責めるものだった。こちらに向けられる眼差しは、氷のように冷え冷えとしている。
「俺たちの世界はここじゃない。いつだって、どんな時だって、もとの世界に帰りたいと思ってるんだ。そんな人間が、楽しい、なんて心から思うわけないだろ。それくらいのことすら頭の片隅にも浮かばないとしたら、『お坊っちゃん』 ってやつは、とことんおめでたいね」
 最後に嘲笑と共にそう言うと、リュウはくるりと踵を返して、立ち去った。
 小さくなっていくその背中を、俺もリリニィも、黙って見ていることしか出来なかった。


         ***


 コトは裏庭にいるのが好きらしい。
 屋敷の中の仕事の手が空くと、しょっちゅうそこにいる。最初、目につかないところで息を抜いたり休憩をしていたりするのかなと思っていたのだが、そういうわけではなく、そこでもいつもせっせと何かしら立ち働いているようだ。
 俺が裏庭に行くと、コトは箒を手に、ひたすら地面に舞い落ちた枯れ葉を集める作業に没頭しているところだった。
「あ、お坊っちゃん」
 ぶらりと現れた俺に、コトが手を止めてちょっと驚いたような顔をする。
「どうかされましたか?」
「別に」
 と短く言って、俺は手近にあった置き石に腰を下ろした。
「お洋服が汚れますよ」
「いいよ」
「何か私にご用事じゃないんですか」
「用がなきゃ、ここに来ちゃいけないのか」
「そういうわけじゃないですけど」
 むっつりとした俺にきょとんとして、コトが首を傾げた。
「最近、私を避けてらっしゃるようでしたから、珍しいなと思って」
「…………」
 リュウと会ってからの数日間、ろくに目も合わせないようにしていたのはお見通しだったらしい。コトを呼びつけることも、このところは全然していなかったのだから、当たり前かもしれないのだが。
「……怒ってる?」
「怒ってませんよ。お坊っちゃんも思春期ですからね。反抗期には遅すぎるくらいですけど」
「なんで反抗期だよ」
 俺はますますむっとした。俺が冷たくしていても、コトのまったく変わらない態度が、面白くなく、半面、少し安心する。コトと距離を置いて、つまらなかったのは、断然俺のほうだ。俺の身勝手なワガママを、コトはいつも何でもないことのように受け止める。
「で、なにしてんだ、コト。なんでそんなところに、ガッドが山ほど置いてあるんだよ」
「よくぞ聞いてくれました、お坊っちゃん」
 俺の問いに、コトは嬉々として振り返った。
「私は今日こそ、ヤキイモに挑戦しようと思ってるんですよ」
「ヤキイモ?」
「このガッドっていう野菜がね、私の世界でいうところのサツマイモによく似ているんです、味も形もね。だから焼いたら絶対ヤキイモになるはずだと、前々から試してみたくてしょうがなかったんです。これをね、銀紙で巻いて、たき火にくべるんですよ。ちょっと時間がかかりますけど、焼けたらお坊っちゃんにも食べさせてあげますね。レンジがあれば、事前にチンして時間短縮できるんですけど、こっちにはないし」
「…………」
 半分くらい、何を言っているのかよく判らない。食べ物を直接火にくべるなんて、あっちの世界は、わりと原始的な食生活だったんだなと思う。
「お前、腹が減ってるの?」
「そんなわけないじゃないですか。私よりも、みんなに食べさせてあげたいんですよ。いつもお菓子をもらってますから、そのお返しに。私は実は、大好物だったポテチも食べさせたいと思ってるんですけどね、ジャガイモに似たものっていうのが未だ発見できなくて」
「ふーん……」
 ぶつぶつと何かを言っているが、俺は大半を聞き流した。今はあんまり、コトがもといた世界のことを聞きたい気分じゃない。
 積んだ枯れ葉に火をつけ、コトが銀紙に包んだガッドをポイポイとその中に放り込んでいく。子供が火を扱っていいのかなと思ったが、手つきはちっとも危なげなく、近くに消火用の水も用意してあるようなので、そのまま見守るだけにした。慣れていない俺が手を出すと、かえって邪魔になりそうだ。
「たき火って、なんでこうワクワクするんでしょうねえー」
 そう言って、コトは張り切っていた。
 その姿、その顔は、やっぱり楽しそうに、俺には見えた。

 ──楽しいわけがない、とリュウは言ったけれど。

 バチバチと音を立てて、赤い炎が燃えている。
「……なあ、コト」
 その火を見ながら、置き石に行儀悪く片膝を曲げて腰を下ろした姿勢で、頬杖をついて呼びかけた。
「はい、なんですか、お坊っちゃん」
「お前さ、父上と母上のこと、好き?」
 コトは目を瞬いた。
「は、なんですか突然。好きですよ。いつも優しいですし、よくしてもらっていますしね」
「じゃあ、ワンズは?」
「厳しいところもあるけど、好きです」
「屋敷のみんなは?」
「はい、好きです。みんな、親切にしてくれます」
「リリニィは?」
「可愛いから大好きですよ。そういえば、最近、いらっしゃいませんね。どうされたんでしょう」
「ロンは?」
「真面目で丁寧なところが好きです。あ、お坊っちゃんにもこれあげますね」
 と、コトはスカートのポケットから、たくさんの菓子を取り出して、俺の手の平の上に置いた。どうでもいいが、そのポケット、よくお前が雑巾を押し込むところじゃなかったっけ。
「なんだこれ」
「ロンさんにもらいました。顔を見せに来るたびに、私にお菓子をくれるんですよ」
 あいつ……。
「じゃあさ」
「はい」
「俺は?」
「…………」
 今まで迷いなく答えていたコトが、ぴたりと黙る。え、そこは黙るところか、と少々ショックを受けた。
 コトは空に目をやり、うーん、と考えるような唸り声を出した後で、くるりとこっちを向き、

「お坊っちゃんは、『特別』 ですね」
 と言った。

「…………」
「それじゃ、いけませんか」
「……いや」
 真面目に問われて、俺のほうがちょっと恥ずかしくなり、目を逸らす。
「それでいいよ」
 ぽつりと答えた。



 それから、出来上がった 「ヤキイモもどき」 を、はいどうぞお坊っちゃん、と手渡されたので、素直に口に入れてみた。
 焼きたてのガッドは、熱くて、ホクホクして、甘さが増していた。
 美味い、と言ったら、コトが目元と口元を思いきり崩して、えへへーと嬉しそうに笑った。



   BACK   NEXT

Copyright (c) はな  All rights reserved.