短編11

ガリヴァー君と小さな丁稚(4)




 ロンが、「ちょっと飲みに行かないか」 と誘いをかけてきた。
 珍しいことがあるもんだな、と俺は少し驚いた。いつもだったら、一日の城勤めを終えた後は、城内のどこかにこもって、遅くまでみっちりと勉強や調べ物をしているのに。
 しかしまあ断る理由もないので、二人で街の酒場に行った。ロンに案内されたのは、俺が普段あまり足を運ぶことのないような、薄暗く、全体的に猥雑な雰囲気が漂う、場末の店だ。
 俺たちが座るテーブルの周りでは、今日の仕事を終えたごついオッサン達が、がははと大口を開けて陽気に笑いながら杯を傾けている。
「悪いな、中公家のご子息を連れてくるようなところじゃないんだが」
 お前それは皮肉か? と思ったが、ロンの顔つきはどこまでも大真面目である。どうやら本当に申し訳なく思って言っているらしいので、怒ったりからかったりする気にもなれない。やれやれとこっそり苦笑した。
「いいよ、こういう店も嫌いじゃない」
 決して女性同伴で来るような場所ではないが、男同士なのだから気取る必要もない。別の言い方をすると、男二人の場合、店や雰囲気なんてどうだっていい。嫌いじゃない、というのも本当だ。
 うん、と言葉少なく頷いて、ロンは手の中の小さなグラスに視線を落とし、場をもたせるように軽く揺らした。
 濁りのあるその酒は、値段は安いがけっこう強い。雑味もあって、俺は好きにはなれないが、手っ取り早く酔っ払える、という点で、肉体労働を主とする労働者たちに好まれる酒だということは知っている。ロンは酒が強い性質なのか、そんなものを飲んでも、真面目ないつもの表情を崩すこともなく、顔色を変えることもなかった。
 ややあって、ロンはようやく切り出した。

「……リリニィのことなんだが」
「だろうね」

 ぽつりと出された名前に、俺はあっさりと応える。ロンが酒場なんかに俺を誘うなんて、それしかないに決まっている。このガチガチに固い男から、女についての相談事をされるようになるとはなあ、と少々感慨深い。
「今のところ、上手くいってるんだろ? 何か問題でも?」
 まあそりゃ、単純でちょっとばかり抜けていても、リリニィはれっきとした大公家の令嬢で、片やロンは一般の、もっと言うなら少々貧しいほうに属する平民である。問題といったら、山ほどあるだろう。
 しかしそれでも、今のロンが以前の数倍も仕事に熱を入れているのは、これからの将来を見据えてのことだろうと俺は気づいていたし、リリニィはリリニィで、矢のように降ってくる縁談話を片っ端から蹴り飛ばして、ロンという人物の良さを両親に理解してもらおうと必死になっていることも知っている。俺が見る限りでは、二人は浮かれるばかりではなく、ちゃんと前へ進む努力を着実に重ねていた。
「お前の人柄についての口添えが必要だというなら、いつだってしてやるよ」
 中公家と大公家では、格でいえば大公家のほうが上になるわけだが、互いの関係は至って友好的である。リリニィには兄と弟がいて、家督云々についてもさしたる問題はないのだし、ロンは平民であっても俺よりはよっぽどよく出来た人間だ (顔の造作は俺のほうが上だが)。リリニィの昔からの友人として、大公夫妻にロンの人となりを保証して後押ししてやろうという気持ちくらいはあった。
「いや、それはまだいい。いずれ協力を頼むこともあるかもしれないが、今はいい。とりあえず、見習い期間を終えて、それから経験を積んで、官僚として一人前になれたと自分で認められたら、あちらのご両親を説得するつもりだ。時間がかかるのは承知の上だし、リリニィにもそう話してある。彼女は、待つ、と言ってくれた」
「……気の長い話だな」
 俺はかなり呆れた。
 見習い期間を終えて、経験を積んで、って、それ、二年や三年では済まないぞ。しかも 「官僚として一人前になれた時」 っていうのは、あまりにも抽象的すぎないか。
 ロンは他人にも厳しいが、自分にはもっと厳しい。自分自身が認められるまでには、恐ろしく高いハードルをその必要もないのに自分で作ってしまう可能性もある。下手をしたら、それを越えるのに十年近くかかってしまうかもしれない。時間がかかるのは承知の上って、いくらなんでも限度があるだろ。
 こいつバカだ。誠実だけどやっぱり女心をまったく理解しないバカだ。ロンはそれでもいいのかもしれないが、リリニィが気の毒だ、ということにまで頭が廻っていない。いくら本人が 「待つ」 って約束したとしても、それを鵜呑みにするバカがどこにいる。本当は、泣きたいほどつらいに決まってるだろうが。
 あーあ、まったく。
「……また、余計なお節介を焼かないといけないのか……」
 ボソッと呟いて、俺も手に持っていた酒を呷った。

 あーあ。俺、そういう人間じゃなかったはずなんだけどなあ。
 外面はいいけど、基本、他人には無関心。幼馴染のリリニィに対する愛情くらいはあるが、個人の領域にまでは足を突っ込まない。泣いていたり落ち込んでいたらよしよしと慰めて、それでお終い。俺はもともと、そういうやつだったのだが。
 いつの間に、変わったんだろう。きっと、俺はそのうち痺れを切らして、ロンの尻を叩いて前に押し出してやったり、リリニィに発破をかけたりすることになるのだろう。世話を焼いて、骨を折って、どっかのお人好しみたいにおかしな猿芝居を演じて二人のバカをくっつけるために奔走することになるのだろう。近い未来のそんな自分の姿が、くっきりと頭に浮かんで、深い溜め息をつく。
 いつの間に、こんな風に変わったんだろ、俺。ずっと昔から、興味があるのは自分の容姿容貌、ただそれだけだったはずなのに。

「……で? お前とのことじゃなかったらなんだよ。リリニィがどうしたんだ」
 この先のことを考えて早くもうんざりし、半ば投げやりにそう訊ねると、こちらはこちらで自分の思考に沈みかけていたらしいロンが、難しい表情で顔を上げ、俺を見返した。
「最近、ずっと元気がない」
「リリニィが?」
 問い返してから、気づく。そういえば、最近、城の中でもあの明るい笑い声を聞かないな。
「何かあったのか?」
「それが判らないから、お前に聞いている。何があったんだと訊ねても、『コトが……』 と小さい声で言って、しょんぼりするばかりだ。コトコと関係があるらしいんだが、詳しく聞こうとすると口を閉ざしてしまう。しまいには、自分が恥ずかしい、もうコトと顔を合わせられない、私は人として最低だ、と言いながらしくしく泣き出す始末だ。一体何があった、セイ・タガート」
 声が詰問調になった上に、鋭い眼つきで睨まれた。もともと強面であるロンは、怒ると目の色の緑が強くなってきて威圧感を伴い、かなり怖い。質問というより、これじゃ脅迫だ。
「いや、なにって……」
「お前はコトコの保護者だろう。あの子とリリニィとの間で何があったのか、把握くらいしていて当然じゃないのか」
「保護者……」
 まあ確かに立場としては、コトは中公家の下働きなので、父上と母上、そして俺が保護者といっても差し支えはないのかもしれない。しかしなぜだ。ものすごく違和感がある。
「コトコがリリニィに何かを言ったのか。あの子供は、人を傷つけるようなことはしないと思っていたが」
「いや、待った」
「内容によっては、このまま見過ごすわけにはいかない」
「あのなロン、言っておくけど、コトがリリニィに何かをしたわけじゃないぞ」
 俺は強い口調で言った。そこだけは念を押しておかないと、この迫力のまま、コトの許へ行って問い詰めそうだ。猪突猛進はリリニィの専売特許だと思っていたが、恋人に関することになると、どうやらロンも大概であるらしい。
 大きく溜め息をつく。
「このところうちに来ないと思ったら、そういうことか。コトだって、最近リリニィが姿を見せないことは、気にかけてるんだ」
 そこで俺は、先日の街での一件を、ロンに話してやった。黙って聞いていたロンの眉根が徐々に寄ってきて、渋面になっていく。
「……お前とリリニィが二人きりで出かけた件については、あとで議題にすることにして」
「議題にするな、そこは流せ。お前が仕事ばっかりして恋人をほったらかしにしてるところをまず反省しろ」
  ロンは俺の言葉を聞き流し、考え込むような表情で、
「──リュウという男は、こちらの世界に対する見方が少々偏っているな」
 と、ぼそりと呟いた。
「まあ、コトのような能天気ではないことは確かだな」
 俺は肩を竦め、なるべく軽い口調で応えたが、目線はやや下に行った。
 ……実のところ、俺の中にも、リュウの言葉は未だに重いしこりとなって残ったままだ。
 自覚はなかったが──しかしだからこそ残酷なほど無自覚に、俺たちはコトを 「人間」 としては見ていなかったのではないかと。俺のオモチャだ、という軽口が、今になってこちらに跳ね返って胸を刺すみたいだった。
 そんな俺に対して、ロンが落ち着いた視線を向ける。
「リュウという青年が、こちらに来てから、どんな環境でどんな思いをしたのかは知らないが、それと同じものをコトコに当てはめるのはおかしい。ましてや、お前やリリニィを責めるなど、筋違いもいいところだ。それは、八つ当たりというものだ」
「…………」

 八つ当たり、か。

 それは確かにあるだろう。リュウはいろいろと鬱憤が溜まっていたのかもしれないし、性格的に少々屈折したところもあるのかもしれない。
 それがああいう言葉となって、俺とリリニィに向かってきたのかもしれない──が。
「……でも、間違いなく、真理も含んでる」
 俺たちは、誰もが本当に、コトの気持ちになって考えたことなんてなかった。見知らぬ世界に飛ばされて、寂しいだろうし不安だろう、という同情や憐れみはあっても、思考がその先へと続いたことはない。コトの身になって考えてみたら、本当にもとの世界へ帰る手立てがまったくないのか、もっと徹底的に調べてみたりしてもよかった。中公や大公は、それが難なく出来る立場でもあったのに、そんなことはちらりとも頭を掠めることもなかった。
 ただ、可愛がるだけ。それこそ愛玩動物のように。コトが元気で笑っているから、それだけですっかり安心しきっていた。みんながそうだったろう。
 だから、コトは何も言わなかった──言えなかったんじゃないだろうか。俺にも、誰にも。同じ世界の人間であるリュウには言えても、こちらの世界の人間には、何ひとつ。不安も、不満も、寂しさも、言葉にすることも出来ずに、たった一人でじっと抱え込んでいたんじゃないか。
 コトは俺のオモチャなんかじゃない。もちろん、ペットなんかでもない。人間だ。
 リリニィや、城や街の中にいる他の女の子たちと同じ、一人の女の子だ。
「それで近頃、城の文書保管庫をうろうろしていたのか」
「…………」
 ロンに問われて、むっとして口を噤む。黴臭い文書を手当たり次第漁ってみたが、結局、異世界人をもとの世界に帰す手がかりの一つも見つけられなかった、とは、口に出したくない。
「お前は、コトコをもとの世界に帰したいのか」
「帰したくはない」
 そこはきっぱり言った。
 帰したいとは思っていない。今さらコトを手放したいとは思わない。それはイヤだ。イヤだが、かといって、このまま見なかったフリ、気づかなかったフリで状況に蓋をしてしまうのもイヤだ。

 ──俺を 「特別」 だと言ってくれた、あの子の顔を、これからもまっすぐ見られない自分ではいたくない。

「……俺ってさ、けっこう、自己中心的な男なんだよね」
「それはわりと知っている」
「うるさいな。だってさ、子供の頃から、欲しいものは大体手に入る環境にあったんだぞ。何をやらせてもそれなりに出来ちゃうし、その上お前と違って口も上手くて、人付き合いも要領よくこなせるし。中公家の三男だって持ち上げられて、将来だってある程度保証されていて」
「なんの自慢だ」
「こうまで外的条件が揃ってると、もう、無闇に自信家になるか不安になるか、どっちかしかないだろ。だって中身はずっとそれよりも劣ってるってことが、誰より自分でよく判ってるわけだから。努力も出来ないし、忍耐もないし、向上心も特にない。俺なんて、人間としてはスカスカだよ」
 だから、顔だけでもよかったんだ。とりあえず、それは俺自身の取り柄だから。
 俺の顔に惹かれて女の子たちが寄ってくるのを見ると、いつだって、ちょっとほっとした。
「自分が薄っぺらい人間だってことは、嫌ってほど自分で判ってる。だからさ、お前らみたいなのを見ると、少し苛つくけど、憧れる。うん、好きなんだ、俺は。そういうやつが。すごくね」

 コトの一生懸命さ、リリニィの一途さ、ロンの生真面目さ。
 どれも俺にはないものだから、眩しくて憧れる。
 見ているのが楽しい。
 だから、そういうやつらは幸せであってもらいたい。俺のために。

「……お前、酔っ払ってるだろう」
 ロンの指摘に、あん? と目を上げる。いつの間にやら、俺は酒をぐいぐい飲み干していて、目の前の瓶はすでに空っぽに近い状態だった。そうか、それで顔が熱くて、今ひとつ呂律が廻らないのか。
 そーか酔ってるのか、と言って、とろんとしてきた目でごとんと顎をテーブルに置いた。またコトに寝つかせてもらおうかな、とちらっと考える。
「まったく……」
 同じく酒を飲んでいるはずなのに、最初からちっとも顔も態度も変わらないロンが、仏頂面で息を吐いて腕を組んだ。
「お前も、リリニィも、確かに自己中心的だ。しかも思い込みも激しすぎる。どうして、まず本人に聞いてみる、という基本的で簡単な、最初の段階をすっ飛ばすんだ」
 ひどく呆れたような声で、呟いた。


          ***


 翌日、ロンに言われて、自分の屋敷の裏庭に行くと、コトがせっせと大量のガッドを運んでいた。
「……何してんの、お前」
「ヤキイモパーティーですよ」
「はあ?」
 気がついてみたら、用意してあるのはガッドだけでなく、よくもこうまでと感心するくらいにうず高く堆積している枯れ葉もだった。裏庭とはいえそこそこ面積もあるのに、地面はほとんど落ちている葉もなく、綺麗さっぱりとした状態になっている。これ全部、一人でやったのか。すごい根性だな。
「それにしても多くないか?」
 しかも、パーティーって。
「ロンさんが、リリニィさまを連れてくるって言ってましたから。みんなで食べましょうよ。余った分は、おうちに持って帰ってもらえばいいじゃないですか」
「え、リリニィも来るのか」
「あれ? お坊っちゃん、ご存じじゃなかったんですか」
 まったくご存じじゃない。昨日、ロンと飲みに行って、いろいろと話したのは覚えているのだが、最後のほうはほとんど記憶がないのである。今日屋敷の裏庭で待ってろ、というのも、ワンズへの伝言で聞いたくらいだ。
「久しぶりですねえ、リリニィさまが来られるの」
 コトはちょっとウキウキしているようだった。リリニィは時々困ったやつだが、それでもコトは彼女のことが好きらしい。リリニィはコトのことを、しょっちゅう可愛い可愛いと言うが、実はコトだって、しょっちゅうリリニィのことを可愛い可愛いと言っている。お互いが相手のことを妹扱いしているのは、大分おかしな光景だ。
「飲み物も用意したほうがいいですよね。あとで、ワンズさんが椅子とテーブルを用意してくれるって言ってましたよ。えーと今のうちに火を起こしておこうかな」
 せかせかと言いながら、コトが箒を手に取る。もとの丈はコトの身長よりも高かった箒は、ワンズが調整してくれたらしく、柄の部分が短めになっている。それでもコトが持つと同じくらいの大きさなので、並んでいるとどっちがどっちを使おうとしているのか判らないくらいだ。けっこう笑える。
「コト、女の子なんだから、もっと髪の毛は綺麗にしないとダメだぞ。こんなに逆立って」
「そっちは箒です、お坊っちゃん」
「ちょっと痩せたんじゃないか? まるで棒みたいになって、ますますどこが胸だかわかんない」
「そっちは箒です、お坊っちゃん。殴っていいですか?」
 その時、タイミングよく、ロンとリリニィがやって来た。
「コトコ、セイ・タガート、待たせたな」
「あっ、いらっしゃいませ、リリニィさま。ついでにロンさん」
 あからさまな差別をして笑顔で二人に挨拶をしたコトは、俺に向かって振り上げていた箒を下ろした。
 それからすぐに怪訝な表情を浮かべたのは、ロンの後ろでもじもじと隠れるようにしているリリニィに気がついたからだろう。
「どうかなさいましたか、リリニィさま。またロンさんに苛められましたか」
「人聞きの悪いことを言うな、コトコ。……ほら、リリニィ」
 ロンが、そっと優しい手つきでリリニィの背中を押し、前方へと出す。コトの前に立ったリリニィは、しばらく悲しそうに地面に目をやっていたが、やがて決心したようにぱっと顔を上げた。
「コ、コト!」
「はい?」
「ごっ、ごめんなさい!」
「……はい?」
 突然の謝罪に目を丸くしたコトは、続けてリリニィの黒目がちの瞳からぽろぽろと涙が零れるのを見るに至って、ますます目を真ん丸にした。「わっ」 とか 「ぎゃっ」 とか小さな悲鳴を上げ、慌てふためいて、オロオロする。
 コトのこんなところ、はじめて見るぞ。いつもほとんど困った顔を見せることのないコトは、どうやら、泣く子には弱いらしい。
「どど、どうしました、リリニィさん」
 さま、という敬称もどこかへ吹っ飛んでいる。
「ごめんなさい、ごめんなさい、コト」
「いや、謝らなくていいですから。ていうか、謝ってもらうようなことされてませんから。とにかく泣くのをやめてもらえませんか。落ち着きましょうリリニィさん、お坊っちゃんが悪いんですかそうですか」
 お前後半部分なに言ってんだよ。
「私、私、勝手にコトを自分の妹のように見ていたの。自分のことしか考えていなかったの。苦労しているのね、なんて口先だけで、私は結局、なにも判っていなかったの。なんて傲慢だったのかしら。コトが、本当はそんなにも苦悩していたなんて! つらいのに精一杯笑顔を浮かべて、私たちに合わせてくれようとしていたなんて! その元気さの裏では、いつでも涙を隠していたなんて! そんなことも気づかずに、私ったら、私ったら……!」
 わっと泣き伏すリリニィに、コトはぽかーんと口を開けていた。
「あのリリニィさん、それは一体、誰の話……」
「リュウに聞かなければ、私はずっと自分の無知にも気づかないままだったわ! なんて恥知らずなんでしょう! ごめんなさい、コト!」
「劉君?」
 コトが、ぴくっとその名に反応した。
 真面目な顔つきになって、くるりと俺のほうを振り向く。
「お坊っちゃん、劉君に会ったんですか」
「……うん。リリニィと街を歩いている時に偶然な……」
 別に嘘をついているわけではないのに、俺は曖昧に口ごもる。リュウと会ったことを黙っていたのは、いろいろ複雑な理由によるものだが、コトへの欺瞞であることには違いない。
 コトの顔にさっと緊張の色が走ったのが見えた。口を結び、真剣な表情で俺を凝視してくる。
「……あの件は」
「あの件?」
「…………」
 もごもごと口の中で何かを呟いているが、何を言っているのかは聞き取れない。
 しばらく考えるような沈黙を置いて、コトは視線を、俺から、しくしく泣いているリリニィへと移した。じっとそちらを見て、ちらっとロンに目をやり、またリリニィへと戻す。
「──で、劉君は、なにを言ったんですか。リリニィさん」
 眉を上げ、きっぱりとそう訊ねた。


          ***


「……へえー」
 泣きながらリリニィがぽつぽつと語る内容を、コトは黙って聞いた後で、薄っすらと笑みを浮かべてそう言った。
 いや、口許は確かに笑っているのだが、目は全然笑っていなかった。気のせいか、さっきと比べ、すうっと一気に空気が冷えた感じがする。
「あのア……劉君が、そんなことを。へええー」
 今まで聞いたことがないくらい、コトの声が低い。ア……って、何を言いかけたのだろう。
「それで、このところのお坊っちゃんの様子が変なのも腑に落ちました。私の知らないところで、そんなことがあったんですねえー」
 口許に手をやり、なんとなく剣呑な口調で呟いて、コトは再び俺のほうを向いた。
「お坊っちゃん」
「う、うん。なに?」
 少しびくついて返事をする。なんだろう、今のコトに、逆らえる気がまったくしない。

「──劉君が働いてる店に、連れて行ってください」

 出し抜けに言われて、戸惑った。
「え、街へ? 今から?」
「今すぐ」
「いや、でも、危ないし……準備もなにも」
「だったらロンさんでもいいですよ。私を街まで連れて行ってもらえますか。お店は自力で探しますから」
「わかった、そうしよう」
 あっさり肯うロンに慌てる。なんで勝手に話をまとめちゃってるんだよ!
「コト、自力で店を探すなんてそりゃ無理だ。あんまり治安のよくない場所もあるし、お前みたいなのがフラフラしてたら誰かに」
「だったら、お坊っちゃんが案内してくれますよね?」
「…………」
 有無を言わさず押し切られた。しかし放っておくと本当に一人ででも飛び出して行きかねないくらいだったので、渋々同意するしかない。そんな俺を見て、ロンがしたり顔で頷いている。
「話し合いが必要だと、俺も思う。リュウという青年に言い分があるように、コトコにだって言い分がある。お前も、リリニィも、悩むのはそれを聞いてからにしたらどうだ」
「まったくその通りです。さあ行きますよ、リリニィさん。涙も拭きましょうね」
 スカートのポケットから手ぬぐいを出して (出てきたのは同じ場所だが、雑巾ではなかった)、コトが背伸びをして手を伸ばしたが、それでもリリニィの顔には届かない。結局、屈んだリリニィが、大人しくコトに涙を拭ってもらった。
 それからしっかりと手を繋いで、コトがリリニィを引っ張るようにして歩き出す。すん、と鼻をすすりながら、リリニィは子供のように素直にそれに従った。変な図である。
 ……いや、しかし、それはともかく。

 コト、お前、リュウに会いに行くのに、なんだって箒を肩に担いでるんだよ。



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