短編13

オマモリ様(3)




「……そのオマモリ様って名称は、一体どこから出てきてどういう根拠で付けられたものなんだ」
 と俺は訊ねたが、羽生から返ってきた答えは、「んーと、なんとなく」 という、やっぱりどこもかしこも間の抜けた、ぽやんとしたものだった。
「昔からその祠がそう名付けられていたとか、そこに住む人たちがそう呼んでいたとか、そういう理由なのか」
「ううん、祠は祠だよ。おばあちゃんたちは、『クスノキの祠さん』 って呼んでる。なんでかっていうと祠のすぐ後ろに大きなクスノキの木があるからで……そういえば黒瀬くん、知ってる? クスノキって、おばあちゃんちのタンスの中の匂いがするんだよー。あれってショウノウっていうんだって。おばあちゃんが昔の着物とか引っ張り出して見せてくれたりすると、ものすごいショウノウの匂いが」
「待て、クスノキもショウノウもどうでもいい。つまりそれは、土地の人が付けた名前ではないってことだな?」
「だからそう言ってるのに。わたしのオリジナルだよ」
「だからそのオリジナルの名前を付けるに至った理由を、俺は聞いているんだ」
「なんとなくだってば。小さくて可愛くて、オマモリ様、って感じでしょ?」
「…………」
 なんという埒の明かない会話なのだ。お前は宇宙人か。同じ言語を使用しているのに、噛み合うどころかさっぱり重なりもしないとはどういうことだ。
 誰かこの女の言葉を通訳してくれる人間が欲しいところだが、この場でそれが出来そうなのは、その肩の上に乗った人間に見える何かくらいしかいない。もちろん俺は、未だ、その存在を正面から見ることは出来ないままである。

「よし、判った」

 ぱん、と自分の膝を叩いてきっぱりとした声を出す。考えてみれば、名付けの理由なんてのはどうでもいい。重要なのは、今現在目の前にいる小さな女が、気のせいでも目の錯覚でもなく、俺以外の人間にも識別可能な実在するモノであるということ、その事実を否定することが出来ない以上、俺はこの存在を受け入れなければならない、ということなのだ。
 受け入れるからには、冷静に理性的に現実的に、自分なりの理解および解釈をすべきだ──という方向に、俺は無理やり思考を切り替えた。
「要するに、『御守り様』 と呼ぶということは、それは羽生にとっての、守護的な何か、ということだな」
「ん? 別に、そういうわけじゃ」
「土地の守り神とか、そういうものなんだろう」
「私はそんなものになった覚えは一度もないが」
「子孫繁栄や旅の安全の神様として祀られる、道祖神みたいなものだな」
「大分、違うと思うよー」
「神様っていうのが言い過ぎなら、妖精とか、精霊とか、そういうのでもいい」
「どんどん遠くなっている気がするな」
「とにかく、そこにいるのは、ホラーでもオカルトでもなく、ファンタジー的な何かだ。よし了解した。それで問題ない」
「うーん、ファンタジー、ではないと思」
「うるさい! 聞こえない!」
 俺はヤケクソ気味にそう怒鳴って、両手で自分の耳を押さえて塞いだ。
 羽生の肩の上にいるのは、霊や化け物や妖怪なんかのドロドロした恐ろしげなものではなく、守り神的なふんわりとした明るくて優しいものだ。人魂や心霊写真や怪奇現象は無理だが、パタパタと羽を動かし可愛いイタズラをしたりする妖精や、笠をかぶせてもらったお礼に食べ物を運んできてくれるお地蔵さんなら、まだしも許容範囲内。うん、それでよし!
「欺瞞だな」
「欺瞞だねえ」
 オマモリ様と羽生が口を揃えてそう言ったが、俺は耳を塞いだまま 「あー」 と声を出し、強く目も閉じた。
 欺瞞だろうがなんだろうが、絶対に怖い話には持っていかないぞ!


          ***


 で、その日の放課後。
「あの話はどうなった?」
 生徒会室で、吉鉄にそう問われ、俺は無表情で 「何が」 と返した。
「何がじゃないよ。羽生可奈子だよ。ちゃんと書記の話はしたんだろうね」
「ああ、それか……」
 眼鏡を指で押し上げて、俺はふっと醒めた笑いを口許に浮かべる。書記の話だと? もちろん、そんなことは忘れ果てていたともさ。
「なぜお前があの女子を生徒会役員に推しているのか、そこからして理解しかねる」
「話はしたんだね?」
「したから、そう言っている。あれは大分変わっているぞ」
 肩の上に変なものが乗っている、ということを差し引いても、羽生可奈子という女は、どこかが猛烈に変わっていた。そもそもいきなり祠から出てきた白いものが人の形になっていたという現実を、さして驚く様子もなくあっさり受け入れてしまうところからして常人の精神構造ではない。
 俺は今日一日、早退するのは諦めて、さりげなく教室で羽生のことを観察していたが、彼女は常にマイペースだった。あるいは 「見える」 俺に対して、急に共犯者的な親密な態度になるとか、絶対に口外するなと脅しをかけてくるとか、そういうことを予想して警戒していたのだが、まったくそんなこともない。
 保健室に来たのは、本当にただ単に俺に 「説明」 をしに来ただけで、それ以降はまるでこちらを気にした様子もなく、それどころか俺のほうなんて見もしなかった。拍子抜けしたくらいだ。
 ……本当の俺が、表に見せている顔とは違う、ということについても、一言もない。
 普通に授業を受け、普通に友人たちとお喋りし、普通に笑い、普通に弁当を食べる。肩の上に小さな人間が乗っているのに、羽生はあくまで普通のままだった。いや、そういうところが、すでに全然普通じゃないんだ。なんなんだ、あの女は。
「変わってる、か。そりゃあいいね」
 吉鉄は俺の言葉を聞いて、くくくと嬉しげに笑った。
「自分で自分を 『ワタシって変わってるからあー』 なんて言うようなのはただのアホだが、他人から見ると充分変わってるのになぜか自分は普通だと思ってる、ってやつは、わりと面白い。そういう人間こそ、この仕事に向いている」
「そんなことを思うのはお前くらいだ」
 大体、生徒会というのは普通、そつのない真面目な優等生ばかりが集まって作られているものなんじゃないのか。つまり俺のような人間のことだが。決して、「面白さ」 を売りにするようなものではないはず。
「あんただって相当変わってるじゃん」
 あっさりと吉鉄に言われ、俺は目を剥いた。あんた、とは、もしかしなくてもこの俺のことか。
「俺は変わってなどいない」
「あーそー」
 なんだその憐れみの混じった目つきは。
「とにかく、それ聞いて余計に気に入った。後期、ちゃんと生徒会に入るよう、談判しといで」
「断る」
 これ以上、あの女とあの女には関わりたくないので、俺はきっぱりと撥ね退けた。
 が、吉鉄はA6サイズのザラ紙の束を、有無を言わせず押しつけてきた。
「はいこれ、立候補届けね。名前書いてもらってね。締め切りは二週間後だから、間に合うようにね」
「断る、と言って……」
「会長命令」
「…………」
 俺は手の中の紙束を見て、キリキリ痛みはじめてきた胃を制服の上から押さえた。
 今、中間管理職の気持ちが、すごくよくわかる。
 副会長になんて、なるんじゃなかった……


          ***


 とはいえ、やっぱりすぐには自分から近づいていく気にはなれず、俺はしばらくの間、遠目から羽生とオマモリ様を眺めるだけで過ごした。
 あれはファンタジー、あれはファンタジー、と自分に言い聞かせ続けていれば、なんとか恐怖心を抑えて視線を向けることも出来る。吉鉄から押しつけられた立候補届けは、何も書かれることなく俺の机の中にしまわれたままだ。
 羽生はいつも、自分の肩の上にオマモリ様を乗せて、ほんわかとした空気をまとっていた。友達とお喋りしていても、俺と話した時のようにのんびりとした調子で口を動かし、ニコニコしながら聞いている。
 あまり目立つタイプではなく、輪の中に入っていてもその中心になることはなかったが、それでもなぜか、一人だけその周りを陽射しが包んでいるような、そんな感じがした。浮いてる、っていうのとはまた違うけど。……いやまあ、肩に小さな女を乗せている時点で、間違いなく周囲から浮いてはいるんだが。
 オマモリ様は、基本、ほとんど動かなかった。
 じっと羽生の肩に乗ったまま、他の女子生徒たちがどっと笑い声を立てても、大きな声を出しても、まったく無反応。背筋をぴんと伸ばし、視線を前方に据えたまま、無表情を崩さない。
 姿かたちがクリアに見えるわけではないので判りにくいのだが、陶器のような白い肌に、大きくて真っ黒な瞳は、着物を着ていることもあって、日本人形を連想させた。朱色地の着物には、どうやら白い大輪の花の文様が入っているようだ。俺は着物のことにはまったく詳しくないけれど、たとえばこの格好の女性が普通サイズで道を歩いていたとしたら、つい目を奪われそうになるくらいには、華やかで美しく、気品もあるように感じられた。
 しかしその顔は、何を考えているのか、まるで判らない。いや、何かを考えているわけではないのかもしれない。オマモリ様が何者であれ、生きている人間と同じように見るのが、そもそも間違いなのだろう。
 ──どうしてあんな得体の知れないものがすぐ近くにいて、平気でいられるんだ。
 俺がそんなことを考えたところで、チャイムが鳴った。
 羽生が、友人たちの輪から離れ、自分の席へと戻っていく。

 歩きながら、肩の上のオマモリ様に向かって、こっそりと何かを話しかけた。他の生徒たちは、誰もそれには気づかない。
 羽生が小さく口を動かし、オマモリ様がそれに対して何かを答える。
 目を細め、口元を綻ばせ、楽しそうに笑う羽生を見て、ずっと無表情だったオマモリ様が、わずかに笑みを漏らした。
 ほんのりと、幸福そうに。

 ……なんなんだ。


          ***


「──羽生」
 結局、数日を経てから、俺は再び意を決して、昼休みに職員室から出てきた羽生をつかまえ声をかけた。
 くるっと振り返った羽生と一緒に、オマモリ様もこちらに顔を向ける。一瞬たじろいだが、以前ほど、怖いとは思わなかった。
「あ、黒子くん」
「黒瀬。お前、数日しか経ってないのに、もう俺の名前忘れてるな?」
 そう言ったら、羽生は、ふー、と溜め息をつき、悲しげな顔をした。
「覚えにくい名前だよね……わざわざそういうのを選んだの?」
「そんなわけあるか! 俺が悪いみたいに言うな! たった三文字を覚えられないお前が変なんだ!」
 つい突っ込んでから、脇を通りがかる生徒たちが目を丸くしたのに気づいて、口を噤んだ。窓の外の中庭からは、バスケをして騒いでいる数人の男子たちの声も聞こえてくる。大体、こんな場所で声をかけたのだって、羽生が係の仕事で一人になる時を狙い定めて、待ち構えていたのである。羽生の前ではつい剥がれがちになってしまうが、俺はあくまで、人目のあるところでは、自分のクールな仮面を脱ぎ捨てるつもりはなかった。
 ごほん、と咳払いをする。とにかく用件を済ませてしまおう。
「……あー、その、突然だが、羽生は生徒会活動に興味はあるか」
「生徒会活動?」
 羽生がことんと首を傾げる。
「学校には、学校生活の改善や向上などを図ったり、行事等の取りまとめをしたり、さまざまな活動を中心になって企画実行したりする、生徒による自治的組織がある。それを生徒会と呼ぶんだ」
「黒瀬くん、わたしのこと小学生だと思ってない? 知ってるよ、そんなの」
 それは知ってるのか。そっちのほうが驚きだ。
「会長は吉鉄というんだが」
 俺がそう言うと、羽生は目元をほにゃりと崩して喜んだ。
「あ、吉鉄さん! 知ってる知ってる。体育祭の時、お世話になったもん。面白い人だよねえ、あの人」
 変人度では、お前といい勝負だがな。
「その吉鉄が、どういうわけか羽生のことを買っているんだそうだ。それで後期の書記になってみないかということで、選挙の前に、お前の意志を確認したいと言っている」
 羽生は今度は、目をぱちくりさせた。肩の上のオマモリ様は、聞いているのかいないのか、相変わらずの無表情だ。けっこうな努力を要したが、そちらはなるべく気にしないでおいた。
「書記……よくわかんないけど、どうしてそんな話を黒瀬くんが?」
「俺が羽生と同じクラスで、副会長だからだ」
「えっ、そうなんだあー。知らなかった、すごいねー」
「…………」

 お前、本っ当に、心の底から、俺のことにカケラも興味がないな?

 ムカムカする気分を必死になって抑え込む。なんで吉鉄のことは知っていて、俺のことはそんなにも知らないんだ。俺は、女子の中ではそこそこの人気があるはずなんだぞ。校内の人気投票では、サッカー部のチャラいエースや弓道部のイケメン射手と並んで、十指に入るくらいなんだぞ。ホントだぞ。
「……まあ、そんなことはどうでもいい」
 頬が引き攣る。耐えろ、俺。
「そういうわけで、書記をやる気があるかどうかという話だが」
「うーん、でも、よくわかんないしなあ」
「ないんだな? よしわかった。安心しろ、羽生は生徒会に関わる気は毛頭ない、従って後期役員選挙に立候補する可能性はゼロパーセント、金輪際そんな話を持ってきたら承知しない、場合によっては不登校になる恐れあり、と吉鉄にはっきり伝えておく」
「そこまでは言ってないんだけど。わたし、何が何でもイヤ、ってわけではないし」
「いや、無理をすることはない。生徒会なんて、なにかと時間は取られるし、教師にも吉鉄にもいいように使われて見返りもないし、そのくせ役員なんだから他の生徒たちの模範であれなんて学校側の都合のいい要求ばかり押しつけられるばかりで、良いことなんてほとんどないからな。絶対にやりたくないという気持ちもよく判る。吉鉄の強引な勧誘なんてきっぱりと断ってやればいい」
「だから、絶対にやりたくない、って言った覚えはないよ? せっかくそう言ってもらえているなら、返事をするのは、ちゃんと話を聞いてからにする」
 妙なところで羽生は生真面目だった。こちらをまっすぐ見返すその瞳に少し心が動いたが、俺は鼻で笑うフリをした。
「誰がその話をするんだ。俺はお断りだね」
「ええー、自分で持ちかけてきたくせにー」
 唇を尖らせてむくれる羽生に、眼鏡を指で支えて冷たい顔をしてみせる。持ちかけたくて持ちかけたわけではない。
「知ったことか。吉鉄からの言葉は伝えたんだから、俺の役目はここで終わりだ。お前が生徒会に入ろうがどうしようが、こちらの関知することじゃない」
 よし。これでこそクール系。関知はしないが、もしもオマモリ様をくっつけた羽生が生徒会入りをしたら、たとえホモの噂を流されても、俺はすぐさま役員を辞退して隠居生活に入ろう、と決意した。
「じゃあな」
「えー、待ってよ、黒瀬くん」
「可奈子、危ない」
 くるりと身を翻し、とっととその場を立ち去ろうとした俺、その後を追って小走りに駆けだした羽生、そして窓の外に目を向けていたオマモリ様が、ほぼ同時に言葉を発した。

 「危ない」?

 と俺が振り返った瞬間、何かが目の前を横切った。
 それが、窓の向こうから飛び込んできたバスケットボールだ、ということは、すぐに判った。見当はずれの方向に投げてしまった男子生徒が上げた大声も、ちゃんと耳に入ってきた。オマモリ様が発した警告も、それに対してのものだということも理解した。
 ……どれもこれも、飛んできたボールが思いきり羽生の顔面に激突し、その場にひっくり返って倒れるのを見てから、なんだけど。



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