短編13

オマモリ様(6)




 羽生の祖母が暮らす土地には、古くから、伝承のような、物語のような、そんな話が伝わっているらしい。

 ──むかしむかし、あるところに、一人の少女がおりました。

 そんな調子で始まるその話は、おとぎ話のようにほのぼのしたものじゃない。
 少女のいる、小さな村。その村には大きく美しい川があり、龍神様が治めていると考えられていた。そこに住む人々にとって、川は文字通りの命綱だ。日常生活に欠かせず、村に恵みをもたらしてくれる。だから村人たちはみんな、日々龍神様に感謝を捧げ、年に一度には供え物をどっさりと用意し、信心深く祀るようにしていた。
 その川が、ある年の大雨で、洪水を起こした。
 数十年に一度の激しさというほどの大雨は、何日も何日も続いて、まったく止む気配を見せなかった。人々はびしょ濡れになりながら堤を高くする努力をしたが、とてもではないがその雨の量には追いつかない。川が氾濫すれば、村全体が水没してしまう。
 大自然の力を前にすれば、ちっぽけな人間など抗いようもない。刻々と近づいてくる終局を待ち、恐怖に怯えるだけだ。いつ水が押し寄せてくるのか、いつ流されるのか。 そんな極限状態で、追い込まれた人々は、誰ともなく、ひそひそと囁き合うようになった。
 この大雨は、龍神様が、生贄を求めて暴れておられるためなのではないか?
 現代ではそんな理屈が通じるはずもないが、まだまだ不思議な現象は科学などでは解明されない時代だ。それでなくても人命は、ちょっとしたことですぐ簡単に失われてしまうものでもある。人権、なんて言葉は、そもそも世間に認識されてもいなかった。
 疑惑は確信に、囁きは主張に。贄を差し上げればあるいは、という仮定は、いつしか、早く贄を差し上げないと、という焦りに変わった。
 そうして、人身御供に選ばれてしまった不運な娘が一人。
 彼女は、その村でいちばん、美しい容貌をした少女だった。だからそのために、人柱にされることが決まった。龍神様だって、美しい娘をお好みだろうから、という、理由にもならない理由で。
 ひょっとしたら、そこには、妬みも僻みもあったのかもしれない。叶わぬ恋慕の情をいびつな形に変えてしまったのもあったのかもしれない。自分でなければ誰でもいいと考える利己主義もあったのかもしれない。
 それらの暗い感情を、「村を助けるため」 という口実の裏に隠して、表向きは痛ましい顔をしてみせた、のかもしれない。
 ……とにかく、結果として、誰一人、反対の手を挙げる者はなかった。
 その少女には、将来を誓い合った恋人がいた。このまま龍神様に捧げられて命を落とすくらいなら、その恋人と村を出て逃げようと思った彼女を、誰が責められるだろう。
 二人は、約束した。

 人目につかない森の手前、クスノキの木の下で待っているから、と。

 そこで落ち合って、手に手を取り合い、一緒に逃げる予定だった。だから少女は恋人のために、とっておきの、朱色地にあでやかな大輪の花が咲いた、綺麗な着物を着たのだ。
 その場所で一人、待って、待って、待って──
 でも結局、その約束は果たされなかった。
 怖くなったのか、恋人を売ったのか、他の人間にバレて止められたのか、あるいは何か事故にでも遭ったのか、理由は判らないが、少女の恋人はそこにはやって来なかった。
 代わりに来たのは、村に住む数人の男たちだ。少女は彼らに捕まり、そのまま川まで運ばれて、生きたまま、投げ入れられた。
 龍神様への、生贄として。
 その後、雨は止んで、村は助かった。しかし勝手なもので、その途端、村人たちは罪の意識に苛まれることになった。追い詰められて凶暴になっていた精神状態から、ようやくものを考えられるようになったのだ。
 なんの咎もない少女を殺して、自分たちは助かった。
 その事実に怯える人々の間では、クスノキの木の下に、ぼんやりと立っている少女の姿が見える、という騒ぎまで起きた。見た、という人間は、きっと村人たちに復讐をして自分の無念を晴らすために化けて出ているのだ、と震えながら頭を抱えて叫んだ。
 少女の祟りを恐れた村人たちは、大急ぎで、その場所に祠を立てた。少女の魂を鎮めるため、自分たちの罪を封じ込めるために。
 自らの醜さと浅ましさから、目を背けるために。


          ***


「……それを知ってたから、羽生は祠に通ってたのか?」
 オマモリ様が消えてから、ぽつぽつとその話をしてくれた羽生に俺が問いかけると、彼女は力なく首を横に振った。
「ううん。わたしがそのお話を聞いたのは、中学生の時。そこに住んでる人たちの中でも、もう、あんまり知ってる人はいないんだって。おばあちゃんよりも年上の、いちばんのお年寄りのおばあちゃんがね、教えてくれた」
 その老婆は、休みごとにやって来ては、「クスノキの祠さん」 の前で座り込んで遊ぶ、ちょっと変わった余所者の子供を心配して、忠告がてら話してくれたのだそうだ。

 ──そういう言い伝えのある祠だから、軽々しい気持ちで近寄ってはいけないよ。その娘さんは、まだこの地の人々の非道な行いを、許してはいないかもしれないのだからね。
 怒りに触れて災いを起こさないよう、そっとしておかなければいけないんだよ。

 けれど、羽生はその言葉に肯えなかった。
「だって、わたしには、そんな風には思えなかった」
 祖母の住む田舎は、美しい場所ではあったけれど、小さな子供にとっては、あまりすることもない、少々退屈な場所でもあった。
 お店もなければ、娯楽もない。大きな森や、澄んだ川や、広々とした野っ原はあっても、周りは老人ばかりで、そもそも一緒に遊ぶような同年代の子供がほとんどいない。たまに子供を見かけても、遠く離れた街から来た見知らぬ女の子に対しては、みんなよそよそしかった。
「だからよく、祠のところに行って、お喋りしていたの」
 誰からも忘れられ、おとなう人も、話しかけてくる人も、掃除してくれる人もいない、「クスノキの祠さん」。
 なんとなく、その祠も、自分と同じように、寂しそうに見えたから。
 毎日のようにそこに行って、お菓子をあげて、だらだらと自分のことを話し続けていると、なんだか友達が出来たようで嬉しかったし、楽しかった。軽々しい気持ち──と言われればそうかもしれないが、だからといって、それが悪いことだとは、どうしても思えなかった。
「わたしねえ、思うんだけど」
 ぽつんとした調子で言葉を落とし、顔を巡らせ、どこか遠いところを見る。
「その女の子はね、村の人たちのことを、怒ったり、恨んだりは、しなかったんじゃないかなあ」
「…………」
 俺はどう返事をしていいものか迷って、羽生と同じ方向に視線をやる。
 校舎の向こうに見える空は、そろそろ夕焼けに包まれて、朱色に染まりはじめていた。
 オマモリ様の、着物の色のように。


 ……それはもう、仮定の話でしかないんだけれど。
 少女には、村人たちに対しても、自分の恋人に対しても、恨んだり呪ったりする気持ちは、なかったのかもしれない。そんなヒマもなく、川の底に沈められてしまったのだ。怒ったり嘆いたりする時間すら、なかったんじゃないだろうか。
 幽霊というのは、その人間が生きていた頃の怨念や執着が形となって現れるものだ、と言われることがある。
 でもそれは、負の方向に偏った言い方であって、もっと他の言いようもあるんじゃないかと思う。
 幽霊というのは、生きていた人間の、強く激しい感情や、気持ち、想いが、あまりにも強く激しすぎるあまり、肉体が消滅しても消えきれず、この世に残ってしまったものだ、と。
 だとしたら、可哀想な少女が残したものは、なんだっただろう。
 クスノキの木の下で、ひたすら、恋人が来るのを待っていた彼女。
 待って。
 待って。
 待って。
 ただ一人、不安や恐怖と戦いながら、びくびくと追手に怯え、暗い中、身を縮めて待ち続けた。
 その時にずっと抱えていた寂しさ、心細さは、どれほど大きいものだったか。早く愛しい男に会いたいという気持ちは、どれほど強いものだったか。
 クスノキの下に少女の姿が見えた、というのは、あの世にも持って行けなかったそういう強烈な思念が、その場に残ってしまったためなんじゃないだろうか。
 それを恐れたのは、見る側に、後ろ暗さがあったからだ。恨んでいるし呪っているに違いないと思い、慌ててそれに蓋をして閉じ込め、隠そうとしたのは、自分の罪深さを直視したくなかったからだ。
 彼らの弱さが、少女の寂しさを、勝手に恐怖の対象にしてしまった。

 ──ほんとうに怖いのは、生きている人間たちだ。
 オマモリ様はそう言った。

「祠の前でお喋りしているとね、いつもふわっと風が吹いて、頭を撫でていったの。そうかそうか、って言ってもらえてるみたいで、すごく気持ちがよかった。どういう理由でどういうものがこの祠の中にいるんだとしても、それは絶対に、怖いものなんかじゃない、ってそう思った」
 羽生は決して、歪んだ目で物事を見ることはしない。その明るく健やかな光に、どこか深く暗い場所で眠っていた、救われないままの孤独な少女が呼び覚まされた。
 ずいぶんと長い長い時間が経って、自分が何者であったかという記憶もおぼろげなものになり、何を待っていたかということさえ思い出せずにいたけれど、でも。
 自分の寂しさを埋めてくれる存在を見つけた。
 ようやく、たった一人で待っていた少女の悲しい魂は、癒された。
「……いつも、わたしの話を聞いて、優しく見守ってくれているみたいだったんだよ」
 だから羽生は、彼女を 「オマモリ様」 と呼んだのだ。



 俺は心の中で、ひそかに考える。
 羽生に救われたオマモリ様は、しかし今度は、羽生のことが心配で、消えることが出来ずにいたんじゃないかな。
 思いの残滓でしかない霊なんてものよりも、生きている人間のほうが怖い、ということを知っていたオマモリ様は、このぽやーんとしたバカ面の、どんくさくてあらゆるところが抜けていて言うことも考えることも能天気でいかにも危なっかしくて目の離せないお人好しな羽生という女が、これからこの現実世界で生きていけるのかと、不安でしょうがなかったんじゃないか。その気持ちはよく判る。
 あの小さな姿は、羽生の存在に救われたオマモリ様がすでに、消えかけていたということの表れだったのだろう。だから、祠の結界も弱っていた。
 彼女をこの世に留めていた理由は、ただ、羽生のことが気がかりだった、という、その一点だけだったような気がする。
 だが、そばについていても、実際にオマモリ様に羽生を守る力はない。頭を撫でてやることだって出来ない。オマモリ様はきっと、そのことが、悔しくて悲しくて、しょうがなかったんだ。
 ──でもさ。
 でも、結局最後には、オマモリ様は幸せそうに笑っていた。
 霊っていうものが完全に成仏したらどうなるのかなんてことは俺には判るはずもないし、考えたくもないんだけど、ああやって笑いながら消えていけたのは、彼女にとっても、羽生にとっても、良いことだったんじゃないかな、と思う。
 出来ることなら、やっと全てのものから自由になったオマモリ様が、今度は本当に大気と混じって風になり、これからも羽生の周りを、陽だまりと共に優しく穏やかに包んでいればいいな──と、思っている。



          ***


「立候補届けの期限は明日までなんだけどね、黒瀬」
「あーそうだったな」
 吉鉄の鋭い声に、俺は生徒会室の窓のところで頬杖を突き、外を見ながら生返事をした。
 三階の窓からは、ぞろぞろと昇降口から校門へと向かう生徒たちの頭ばかりが見える。中間テストが近づいている今は、部活動もないから、帰る人数は普段よりも多い。しかし部活は休みでも生徒会活動は休みじゃないってのは、どういうことなのかね。
 部活がなくて体力が余っているらしく、下校する生徒たちの近くでは、バスケットボールで遊んでいる連中もいる。最近はバスケブームでも起こってるのか。さっさと帰って試験勉強しろよ。
「そうだったなじゃないんだよ、羽生可奈子の件はどうなってるわけ」
「いろいろと取り込んでいてな」
 この世にい続けるよりは救われて成仏するほうがいい、ということは判っていても、やっぱり寂しいのだろう。オマモリ様と別れてから、羽生はずっと元気がないままだ。
 あのホニャララとした女がしょんぼりしていると、周囲までが翳るように思えて、俺はあれこれ慰めたり元気づけたり甘いものを食べさせたりするのに忙しい。従って、生徒会役員立候補の話などは、今のところ高い棚の上に置いたままである。
 書記になったら、いろいろ追い立てられて、羽生も少しは気分転換になるのかな、とは思うが、彼女の顔を見ると心配ばかりが先に立ち、そんな話題を持ち出すこともつい忘れてしまう。
 早く元気になるといいんだが。
「それにしても、コンタクトってやつは慣れないな……この異物感は、そのうち感じないようになるのか?」
 何度か目を瞬きながら訊ねると、コンタクト使用歴の長い吉鉄は、「すぐ平気になるって」 とあっさり答えてから首を捻った。
「なんでまたいきなり、眼鏡やめたの?」
「ただの心境の変化だ」
 予想していたことだが、コンタクトに変えた途端、おもに女子の間での俺への評価は、大幅に下落した。「眼鏡がなきゃ案外普通よねー」 「やだーガッカリー」 などというヒソヒソ声もよく耳にする。眼鏡があってこそのクールキャラ。その重要ポイントを外した俺は、見事に憧れの対象から脱落して、ちょっと無愛想な副会長、というところにまで下がって落ち着いた。
 ま、別にいいけどね。
 俺が眼鏡だろうがコンタクトだろうが、「黒瀬くんは黒瀬くんだよ」 と言う羽生の態度は変わらない。以前のクール系の皮を被っていた俺はほとんど羽生には認知されていなかったが、現在の素のままの俺はちゃんと受け入れられている。だから、他のやつがどう思おうと、まったく気にならない。
「変わったのは心境だけ?」
「クラスでの俺の立ち位置もちょっと変わった」
 なんだか以前よりも遠巻きに見られているようなのだ。雰囲気が近寄りがたい、ということではなく、どこか腫れ物扱いされているような。草野なんて、ものすごく心配そうな目を向けてくる。多分あれだな、オマモリ様と会話したあの時のことが原因だな。
 ……そういえば、オマモリ様といえば。
 未だ解けない、大きな謎が残っているんだよなあ。

 ──どうして俺にだけ、オマモリ様の姿が見えたんだろう?

 羽生以外の人間には、誰の目にも見えず、声も届かなかったオマモリ様。どうして俺には見えたし聞こえたんだろう。俺には特別霊感なんてものは備わってないし (あったらイヤだ)、羽生とは、単なるクラスメート、というだけの関係でしかなかったのに。
 近いうちに羽生が危ない目に遭うことを予見していて、それを助けるための人間が必要だったんだろうか、とも思ったが、それも変だ。俺に関わらなきゃ、羽生はあんなトラブルに巻き込まれることもなかったんだからな。
 ふと、途方もない可能性が頭を掠める。
 ひょっとして。

 オマモリ様の、「羽生を守ってやりたい」 という一途な願い。
 天とか、神とか、何かよく判らない、そういう大きな力が──人に裏切られても、他者を思いやる優しい心を持ち続けた小さな魂を、哀れに思った何者かが。
 彼女が消えた後も、その切なる願いを託せる誰かを選び出した……とか?

「……まさかなあ」
 ひとりごちて、軽く噴き出す。
 謎は謎のままだが、しょうがない。本当のことは、今となっては何ひとつ、知りようもないことだ。
「なに一人で笑ってんの。いい加減に仕事しなよ、黒瀬」
「わかったわかった」
 返事をして肩を竦め、俺は窓から離れようとしたが、その時、校舎から出てくる羽生を見つけた。
 友達と並んで歩いている。まだ少し快活さは欠けるが、笑顔を浮かべていてほっとした。早く以前みたいににこにこ出来るといいな、と思いながら見ていたら、「あっ!」 という素っ頓狂な声とともに、横から飛んできたバスケットボールが、羽生の頭にぶつかった。
 俺は仰天した。
 おい、ウソだろ?!
 一度ならず二度までも、そんなことになるか普通?!
「吉鉄!」
 すぐに生徒会室を飛び出しかけ、ドアの手前で、くるっと振り返った。
「なによ」
「やっぱり羽生に書記をやらせる! あんなやつ迂闊に野放しにしておけるか! 近くで見張ってないと、何をしでかすかわかったもじゃないからな!」
 怒鳴るように言ってから、ダッシュで階段へと向かう。


 ──その時、ふわりと、風が優しく俺の頭を撫でた、ような気がした。

Fin.



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