短編15

魔王さまのムコ(6)




 ラーラさまが、ひいさまが、とうわ言のように繰り返す獣人を、部屋の中に入れて、座らせた。
 相当動転しきっているらしい獣人は、思考が働かないのか、俊之に引っ張られるがまま足を動かして腰を下ろしたものの、なかなか説明を始めようとはしない。どうしたらいいんじゃ、と頭を抱えて呻くばかりである。
「とにかく、まずは落ち着いて」
「ああ、儂が不甲斐ないばかりにこのような。先代さまに一体どのように詫びればよいものか」
「僕の声が耳に入ってますか。いいから、落ち着いて事情を」
「いや、いや、こんなことはしておれん。やっぱり今すぐにでも戻ってラーラさまをお救いせねば! だがしかし、ああ、どうすればいいんじゃああ!」
「落ち着け」
 俊之が低い声で命じると、獣人はようやく動かし続けていた口をぴたりと閉じた。
「──と、さっきから言ってるんです。何があったのか、ちゃんと話してください」
 トーンと口調が普段のものに戻ったことに安心したのか、獣人が 「お、おお、そうであった」 と我に返ったように瞳に理性の光を取り戻す。グラスに水を入れて渡してやったら、ごくごくと飲んでから、ぷはーっと大きな息を吐きだした。
 それから改めて、厳しい表情で俊之と正面から顔を合わせた。

「大変なのじゃ、俊之どの。魔界が人間界に攻め入られておる」

「なんですって?」
 俊之は思わず問い返した。
 正直、そんな答えは予想もしていなかった。聞いていた話では、人間界から一方的な敵意を向けられ、最近では魔界でも過激派が台頭してきた、そのため経験不足の若い魔王さまの身にも危険が生じ始めている、ということではなかったか。
 そこからいきなり戦争に突入するとは、いくらなんでも展開が早すぎる。
「魔界に戻られたラーラさまは、それはもう精力的に、穏健派と過激派をとりまとめようと双方に働きかけておいでじゃった。自分に力が足りないのは重々承知、だからこそ皆の助けと協力が必要だ、と頭までお下げになられての。夫探しをするため異世界に行ったまま玉座を放置なされている、と不信感を抱きつつあった魔族もこれには感銘を受けて、年若い魔王をお支えすることが我らの使命なのではないか、と言いだすまでになったのよ」
 もともと魔族は穏やかで、争いを好まない性質をしている。少々頼りなかった魔王さまが、明確な指針を打ち出し、威厳をも覗かせはじめたのを見て、魔族たちの間でも、自分らも力を合わせて彼女に従っていこうではないか、という意見が大勢を占めていくようになったらしい。
「ラーラさまは、ご自身の睡眠時間まで削られて、東奔西走されておった。少しはお休みなされと儂らが申しても、聞く耳持たずでのう」

 ──早く俊之のところに帰りたい。その時、どれだけわらわが頑張ったか、自慢してやらねばならんからな!
 魔王さまは、笑ってそう言っていたのだという。

 そうして、魔王さまの懸命な努力により、どうにか魔界の尖った空気は沈静化されつつあった。
 ところが、そんな時。
「……人間界の者どもが、突然魔界まで攻めてきおって」
 牙を剥きだし、悔しそうに顔を歪めて、獣人が呻くように言う。
「宣戦布告もなく、本当に出し抜けに、鎧で身を固めた兵士たちがどっと押し寄せてきたのじゃ。事前の最後通牒などもなかった。なんという暴虐。なんという理不尽。あやつらは、まことこれっぽっちも、我らを対等の存在と見なすつもりはないということよ」
 獣人の目から、ぽつりと涙が一粒零れ落ちた。膝の上に置いた毛むくじゃらの拳が、ぶるぶる震えている。なんとか平和な関係を維持していこうとしていた魔王さまや穏健派の気持ちを、人間界にそういう形で踏みにじられて、さぞかし悔しく、情けない思いでいっぱいなのだろう。
「しかし、魔界と人間界の人々の間では、圧倒的に力の差があると──」
 人間界は、だから魔界に悪感情を抱いてはいても、暴走する一部を除き、今まで大した行動に出ずにいたのではなかったか。それがいきなり無謀な武力行動に出るとは、そもそも疲弊した状況にあるあちらにとっても、かえって物事を悪化させることにしかならない。そんな判断力すら失っているのだとしたら、あちらの人間界はもう破局が見えている。
「それじゃ、それなんじゃ」
 俊之の疑問に、獣人は身を乗り出すようにして大きく頷いた。
「あやつらめ、一体どうやったものか、魔封じの石を手に入れて、加工することに成功しおったらしい」
「魔封じの石?」
 次元の穴を隠すために使われるという、魔の力を封じる石のことだ。
 魔力をかけられた物体に対しては、そのものを隠す働きをするが、魔力を持つ人に対しては、体内の力を抑えつける方向で作用する、魔封じの石が。
「人間界の者はその存在すら知らぬはずじゃったのに。どこからその知識を得たものか、魔界のあちこちに置いてあった魔封じの石を、ひそかに向こう側に持ち去っておった。それを削って分けて、兵らの武具に埋め込んだのよ。魔力を持った者は、あの武具を身につけた人間の前では、無力化されて歯が立たぬ。次々に殺されてしまいおったわ」
 なるほど、だからあの鎧男は、次元の穴を通ってこちらに来られたわけだ。その時点で疑ってかかってもよかったのに、魔族のほうにも、人間界に対する侮りと油断があったのだろう。
 そして口には出さなかったが、俊之はほとんど確信をもって思った。

 ……おそらく、魔界に、人間界と通じる裏切り者がいる。
 その裏切り者はきっと、穏健派と過激派がまとまることを喜ばない立場の魔族だ。ずっと小娘だと侮っていた魔王さまが、ここに来て統率力を発揮しはじめたことに驚き、焦ったのだろう。

「魔力を持たぬ獣型もおるから、なんとかその者たちで侵攻を防いでいたのだが、なにしろあちらは、数が多くての。じりじりと退却を余儀なくされて、とうとう城の中にまで入られてしもうた」
「…………」
 顔を下に伏せる獣人の胸倉を掴んでやりたいのを抑えて、俊之は 「──彼女は」 と押し殺した声で訊ねた。
 目の前にいる獣人は血だらけだ。自身が傷を負っている、というのもあるが、ケガの状態と出血量から考えて、半分くらいは別の人間のものではないかと推測できた。戦っている時に浴びた返り血なのか、それとも。
「ラーラさまは今も、城で最後の一線を守るべく、戦っておられる。大したものじゃ。魔封じの石のために火術はお使いになられぬが、剣を手にして、一歩も引くなと皆の者を鼓舞されるお姿は、先代さまと同じくらいにご立派であられた。ラーラさまは、敵が玉座の間に攻めてくる前にと、儂だけを逃がされたのじゃ」
 獣人はとうとう床に突っ伏して、男泣きに泣いた。

「──俊之どののところに行って伝えよと。わらわはもうそちらに戻ることが叶わぬゆえ、待つ必要はない、と」

 他の女を嫁にもらえ。腹立たしいが、許してやる!
 魔王さまはそう言って、獣人の背中を押したらしい。
「…………」
 俊之は立ち上がった。それだけ聞けば、もう十分だ。
「あなたも早く立ってください。行きますよ」
 涙に濡れた顔を上げて、獣人がきょとんとした。
「い……行くとは」
「決まってるじゃないですか」
 さっさと歩きだしながら、答える。
「ホームセンターへ。多少荷物が多くても、次元の穴とやらは通行可能なんでしょう?」


          ***


 玉座の間では、すでに侵入した兵たちが、その場にいた魔族を相手に、戦闘を繰り広げている真っ最中だった。
 獣型の魔族一人につき、兵士が数人がかりで襲いかかっている。数にものをいわせて勝利を確信しているのか、鎧に身を包んだ兵たちはどれもいたぶるように魔族に傷を負わせていた。部屋のあちこちに魔族が倒れているが、それに対してさえも剣を突き立てるという容赦のなさだ。
 玉座近くでは、魔王さまが、数人の兵士たちと対峙していた。

「と──俊之?!」

 扉近くに、俊之が獣人と共に立っているのを認めた魔王さまが、戦っている最中だということも忘れて、素っ頓狂な声を上げる。最初に俊之の前に現れた時と同じ、手足の露出した真っ黒な衣装を着て、剣を持っていた。
 顔や身体のあちこちから流血しているが、見たところ、それほど深傷ではなさそうだ。魔王が若くて美しかったため、手土産代わりに生け捕って人間界に連れ帰るつもりだったのかもしれない。
 しかしとにかく、生きている。間に合ってよかった、と俊之は安堵の息を洩らした。
「なんだ、きさまは?! 魔族……いや、人間か?」
 魔王さまに剣を突きつけていた、ひときわ輝く白銀の鎧を身につけた男が、大声を上げてから、少し戸惑ったように口調を変える。無理もない。魔界に入って判ったが、俊之の外見は、こちらのヒト型魔族よりは、人間界の兵のほうに似ていた。違うのは目や髪の色と、着ているものくらいだ。
「何をしに来た、俊之!……ていうか、お前、どうやってここまで来た?」
 魔王さままでが、責めるように怒鳴ってから、怪訝そうな表情になった。誰もかれも混乱しているらしい。
「じい、お前が俊之をここまで連れてきたのか?! 俊之にそんな危険なことをさせるとはなんたる……なんたる……危険、だったのだよな?」
 魔王さまは首を傾げてしまったが、叱りつけられた獣人のほうも、頭を下げながらかなり困惑していた。
「は、申しわけもございませぬ、ラーラさま……! 俊之どのに最後のご伝言を渡しにいったはずが、なぜかこのようなことに……いや正直、儂も何がなんだか」
「ええい、つまりきさまは、魔族の仲間なんだな! なぜそんな無傷で平然としている?! どうやってここまで来た?!」
 白銀の鎧男が、焦れたように大声で叫んで割って入る。
「どうって、普通に」
 俊之の淡々とした答えに、男は激高した。
「そんなわけがあるか! 城の中はすでに我らが制圧したも同然なんだぞ! 兵が揃いも揃ってきさまらを見逃すはずがなかろうが! しかもきさま、そのような軽装で、剣も持っておらんのに!」
 着替えるヒマがなかったのだから、スーツ姿のままなのは仕方ない。そして剣は持っていないが、その他の物はいろいろと持っている。
「わりと簡単だったよ。ここにいるじいに、魔力をかけてもらってね」
 獣人に、多少の魔力があったというのは幸いだった。弱くても、軽くても、とにかく俊之自身が 「魔力をかけられた状態」 になることが重要だったのだ。
「それから次元の穴を通ってすぐ、兵の一人を捕まえて」
「いやあ、俊之どのが、ラーラさまのような火術を使うとは、知りませんでしたな」
 獣人が隣でしきりと感心するように言っているが、もちろん俊之のそれは魔力なんかじゃない。スプレー缶とライターで、簡易火炎放射器にしただけだ。全身を金属で固めた鎧は、隙がなさそうに見えて、目の部分だけ意外と無防備である。
「その兵の、鎧の胸の窪みに嵌めてあった、魔封じの石を頂いたんだ。僕自身に魔力はない。つまり、じいに魔の力をかけられた僕が、魔封じの石を持てば、次元の穴同様、人間界の人にとっては 『在って在らず』、『在って見えず』 という存在になるんじゃないかと思って」
 半分以上は賭けだったが、実際、兵たちは、誰も俊之に気づかなかった。だから俊之は、敵に見咎められることなく、次元の穴から最短距離を突っ走り、この場所まで辿り着いたのだ。
「で、ここに来るまでに判ったんだけど」
 ぐるりと玉座の間を見回して言う。
 部屋の中にいる兵たちは、いきなり現れた闖入者を警戒しながら、こちらに向かってじりっと距離を詰めてきていた。

「魔封じの石は、それ自体を何かで覆ってしまえば、働きが弱まる」

 たとえば、血や泥で汚れてしまった魔封じの石は、その力を発揮しなくなる。もともと大きな石を、兵たちに分けるために小さく削ってしまったからなのかもしれない。そうとも知らず、血塗れの鎧を着けたまま、剣を振るっていた兵は、魔力を持った魔族の人々によって返り討ちにされていた。
 それに気づいた時、俊之の計画も決まった。
「あいにく、僕は剣もなければ、こちらの戦い方も知らないからね」
 獣人に合図して、手にしていたものを同時に構えた。それが何で、どういう代物なのか、皆目見当もつかない兵たちは、剣を構えたものの、次の行動に迷って動きを止めている。
「──あちらのやり方でやらせてもらうよ」
 そう告げて、俊之と獣人は、ホームセンターで買い込んだ消火器を兵たちに向け、思いきりレバーを握った。


 突然噴き出した白い霧のようなものに、兵たちは驚愕したらしい。
 なんだこれは?! と叫び声を上げる彼らに、構わず消火器のノズルを向け続ける。魔王さまに剣を突きつけていた兵も、動揺したように切っ先をこちらに向けたので、その瞬間を逃さず、そちらにも噴射した。
 もちろん、消火器でダメージを与えられないことくらい判っている。せいぜい咳き込む程度だ。いざという時、煙幕になるかな、というつもりで買ったもので、敵を撃退することを期待したわけではなかった。
 実際、兵たちは驚くだけで、逃げだすようなのは一人もいない。いくらあちらの世界での文明の利器とはいっても、消火器は到底、武器にはなり得ないのだ。
 ──しかし、相手の鎧を真っ白にすることくらいは、出来る。
「さあ、今だよ」
 ぽかんとしている魔王さまに、俊之は声をかけた。
「え……は?」
「ボンヤリしない。白い粉に覆われて、魔封じの石は効力を失った。今なら君の魔力も使えるはずだ」
 魔王さまが目を見開いた。
 自分の手を動かし、パチンと指を鳴らしてみる。今まで魔封じの石によって抑えられていた赤い炎が、そこからぽっと灯るのを見て、顔に喜色が浮かんだ。
「よし、ここからはわらわの出番だ! 下がっておれ、俊之、みなの者! 兵士ども、加減はせぬぞ、魔王ラーラの火炎をその身で思い知れ!」
 魔王さまの振り上げられた右手が、思いきり下ろされる。
 激しい業火が、玉座の間を舐めるようにして勢いよく広がった。


          ***


 鎧のまま蒸し焼きになりかけた兵たちは、魔族によって一網打尽に捕らえられた。
 縄で縛られた彼らは髪が黒く焦げ、身体のあちこちを火傷しているものの、とりあえず命はある。大半はすでに戦意を喪失してがっくりとうな垂れているが、中には、激怒して声を限りに吠え立てているのもいた。
「こいつは王の息子らしいぞ」
 魔王さまの言葉に、俊之はへえ、と顎を撫でた。白銀の鎧を外され、真っ黒の顔と下着姿のみっともない格好で、汚い罵り言葉を喚くその外見からは、なかなか想像できない肩書きである。
「君に剣を突きつけていたのって、この人じゃない? すると、この戦いの大将格、ってことなのかな」
「そうだな。だが戦って判ったが、こいつ自身はちっとも大したことない。近くにいたのが将軍で、どうやらそいつがコレをここまで守って連れてきたようだ」
「ああ、なるほどね」
 日本の戦国時代でも、初陣の武将の息子などは、腕の立つ側近が護衛をしてやりながら、最後の美味しいところだけをさあどうぞと差し出して、手柄を立てさせていた、と聞いたことがある。きっと、そういうことなのだろう。
 しかしそれならそれでもうちょっと謙虚にしていればいいものを、ここにいる王子はさっきから、無礼な、とか、覚えてろ、とか怒鳴り散らすばかりだ。いかにも無骨で屈強そうな将軍のほうが、恥ずかしそうに下を向いている。普段から態度だけは大きい能無し王子に苦労させられていると見た。
「王の息子がいるというのなら、ちょうどいい。将はこちらの手の内にあることを宣言して、人間界の兵たちの攻撃をやめさせよう。城の中でもまだ戦っている連中がいるから、なるべく迅速に。それでも暴れるのがいたら、叩き潰してやればいい。魔封じの石がどうすれば無効化されるかは、もう実証済みだ」
「は、承知した、俊之どの」
 獣人が胸に手を当て、頭を下げる。傷ついた老体にはきついだろうが、もう少し頑張ってもらうしかない。
「……それと、扉近くにいる、灰色熊に似た人」
 俊之に呼びかけられたその獣型魔族は、後ずさりで部屋から出ようとしていた足を止めて、ぎくりと身じろぎした。
「余計な真似をされては困るから、あなたの身柄は拘束させてもらおう。どういう理由があって魔族を裏切ったのかは知らないけど、たくさんの人々が傷ついた罰は受けてもらわないとね」
 咄嗟に逃げようとした灰色熊は、その場にいた他の魔族によって素早く捕らえられた。
 俊之はそれだけ確認すると、すぐに興味を失くしたように視線を戻した。理由を聞きだすのも、どんな罰を与えるのかも、魔族の人々が考えるべきことだ。
 魔王さまを向いて、静かに口を開く。

「──正直、事態がここまで来てしまったら、人間界との平和な共存は難しいだろうね」

 俊之がそう言うと、彼女は悲しげに肩を落とし、目を伏せた。
 元をただせば同根の存在。魔族のほうには、まだ人間界に対する憧憬と愛着があるのだろう。
 しかし、大昔のように仲良く一緒に暮らすという夢は、もうきっぱりと断ち切らなければいけない頃合いだ。人間界と魔界はふたつに別れた時から、違う道を歩みはじめたのである。それがまた一本になることは、おそらく未来永劫ない。
「魔界の人々に、人間界を征服したいとか、全滅させたいという野望があると思うかい?」
 俊之の問いに、縛られた兵たちが全員、ギョッとした顔つきになった。
 魔王さまがそちらをちらっと一瞥してから、首を横に振る。
「それはないだろう。いや、わらわがそんなことは許さない。人間界と魔界は、この世界の表と裏だ。どちらがなくても成り立たぬ」
「だったらこれからは、互いに関わらず、その上で、戦わない方法を模索していくべきだね。これを機に、和平の条約を結んで、不干渉の確約を取りつける方向に持っていくんだ。口約束ではダメだよ。きちんとした書面で、君とあちらの王で署名をすること。それを一方的に破棄してまたこんな風に攻撃してきたら、国ごと滅びるという魔力でもかけておけばいい」
 おお……と、魔族たちがざわざわした。感嘆しているらしい。
 魔王さまは短いため息をついた。
「しかし、あちらの王は非常に頑固な人物というし、その申し出に素直に応じるとは到底思えぬ」
 そう言って目をやった先の王子は、まだぎゃあぎゃあと叫んでいる。この下種ども、低俗な獣め、という言葉を出す時の表情の本気ぶりからして、これの父親が魔族に対してどういう考えを持っているかは容易に推し量れた。
「そのために、この人の存在は都合がいいんじゃないか」
 俊之は薄っすらと笑みを浮かべて、どん、と縄で縛られて座っている王子の腹を靴の底で押さえた。
 うるさい声が、びたっと止んだ。
「彼の腕を切り落として、あちらの王に送ってやればいい。向こうから、話し合いをして欲しい、と頭を下げさせるんだ。勘違いしちゃいけない、あくまでも主導権はこちらにある」
 おお……と、また魔族たちがざわざわした。今度はドン引きしているらしい。
「う、腕って」
 王子が真っ青になってガタガタ震えだす。俊之が微笑んでみせたら、なぜかさらに顔から色が抜けて、紙みたいになった。
「嫌かい? だったら、指でもいいよ。了承の返事が来るまで、三日に一本ずつ、あちらに送るんだ。両手とも物が掴めなくなる前に腹を決めてくれ、と君からもお父さんに頼むといい。じゃあ最初はどれからにしようか。親指? 小指?」
 さっきまであれだけ威勢のいいことを言っていたくせに、王子は、ひいっ、と情けない声を出して竦みあがった。
「そっ、そんな人道にもとることを、まさか本気でするつもりじゃあるまいな……!」
 もちろん本気に決まっている。俊之は基本、嘘はつかない人間だ。
「それが交渉というものだよ。大体、人道にもとることを先に仕掛けてきたのはそちらじゃないか」
「き、きさま、それでも人間か!」
「人間さ。どちらかというと、君たちに近いかもね。僕はとても、ここにいる魔族の人たちのように、愛すべき善良な存在にはなれそうもないから」
 腹の上に置いた足に、ぐっと力を入れた。氷のような怒気を感じ取ったのか、また何かを叫びかけた王子が口を噤んで息を呑んだ。

「……君、僕の奥さんになる人に傷をつけたんでしょ? それに対する報いが指の一本や二本なんて、軽いものじゃないか。死んだほうがマシ、って思うくらいのことをしても、僕はちっとも構わないんだけど」

 一気に気温の下がった玉座の間に、沈黙が落ちた。
 ほぼ全員が真っ青な顔色で凝固している中、魔王さまが、獣人の背中をばんばんと叩く音だけが響く。
「じい、聞いたか。聞いたか、今の」
「は、はあ、いっそ聞かなければよかったのですが、聞こえてしまいましたな」
「俊之がわらわのこと奥さんって言った! 奥さんって!」
「そっち?! ひいさま、今問題にすべきはそこじゃないような気がしますぞ! 儂ら、さっきからもう怖くて怖くて、泣きそうです!」


 結局、魔族からの嘆願で、王子の腕や指は切り落とさないことになったが、今後の方針は一通り決まった。
「城の中の戦いも収まりつつあるようだし、あとは他の人たちに任せても大丈夫かな」
 俊之が言うと、その場にいた魔族が揃って叩頭した。
「ははっ、お任せくだされ」
「さすがはラーラさまが選ばれた夫君。我らも忠誠を誓いましょうぞ」
「忠誠は誓わなくてもいいけど、じゃあ、僕たちは少し時間をもらうよ」
「僕たち?」
 首を傾げる魔王さまを、有無を言わさず抱き上げる。わ、と大きな目がさらに大きくなった。
「君の手当てをしないといけないでしょ」
「いや、それは治癒の力を持った者に……って、待て、どこに行く俊之?」
「寝室はどこ?」
「し、寝室? 手当てなら、別にここで」
「だって君、これからも後片付けやなんやらで、しばらくあっちには帰れないんだろう?」
「う、うむ、そうだが」
「──君がいないと、つまらないんだ。今までなんとも思っていなかったことが、急につまらなくなった」
 いなくなってからそれを思い知るなんて、自分も大概間抜けなのかもしれないが。

 何を見ても、色褪せて映る。何を聞いても、心にまで届かない。
 寝ても覚めても。食べても飲んでも。仕事をしていても。本を読んでも。煙草を吸っても。
 たった一人で夜空を見上げても。

 苦痛なくらいに、つまらない。

 つまり、魔王さまと一緒にいた時間が、それだけ 「楽しかった」 ということなのだ、と気づくのに、時間はかからなかった。
 ずっと知らなかったのに。知らないままなら、今も何も感じないでいられたのに。
 二人でいる喜びと楽しみを知ってしまったら、一人に戻って感じるのはただの孤独だ。

「君の時間が空くまで、まだ当分、僕はそんな思いをしなくちゃならないわけだ。だから、これくらいはね」
「これくらいって」
「僕相手なら、痛いのを我慢してもいい、って言ったよね?」
 俊之の言葉に、魔王さまがぎょっと目を剥いた。次いで、真っ赤になった。
「今?! 今それ言うか?! まだわらわにはやることが山と……こら俊之! 足を止めんか!」
「じゃあすぐ終わらせる」
「なんかイヤだなその言い方は!」
「じゃ、ねっとりたっぷり時間をかけて」
「それはそれでイヤだな! 待てというのに! 俊之!」
 暴れる魔王さまの身体を腕に抱いたまま、俊之は玉座の間を出た。



          ***


「あれ、帰るのか、本田?」
 定時を廻ったところで、パソコンを閉じて帰り支度をしていると、同僚の岸が声をかけてきた。
「ここ何日か、帰りが早いな。なんだよー、デートか? 新しい彼女が出来たのか」
 進歩のない男である。どうも岸は、魔王さまが音信不通だった期間、俊之がいつもに増して無口で素っ気なくなっていたことから、いろんな誤解をしているらしい。今まで面倒でいちいち否定せずにいたのだが、のちのちもっと面倒なことになっても嫌なので、大事なところだけ訂正しておくことにした。
「出来たのは彼女じゃない」
「じゃあなんだ」
「奥さん」
 は? と岸の目が点になった。
「結婚したんだ」
「えええええ〜〜!!」
 うそだ、とか、いつ、とか、俺式に呼ばれてないけど! とかをいっぺんにまくしたてられる。
 そりゃそうだ。式は挙げてないから。ついでに言うと、籍も入れていない。戸籍がない相手だからしょうがないのだが。
「別居婚、っていうのをすることにしたんだよ。彼女も仕事を持っていて忙しいし。で、今はこっちに帰ってきてるんだ。夕飯を一緒に食べる約束をしてるから、早めに帰る」
「ええっ、なんだよ、ホントの話なのか、それ。べ、別居婚? ちょっと詳しく教えろよ、本田!」
 追いすがってきそうな岸を放って、さっさと鞄を持って出口に向かった。こんなのに関わっている場合じゃない。なにしろ、彼女がこちらに帰れる時間は、そんなに多くはないのだから。
「また今度な」
「今度だな?! 本当だな?! 根掘り葉掘り、馴れ初めからきっちり聞かせてもらうからなあ!」
「わかったわかった」
 魔王さまとの馴れ初めね。
 話してもいいけど、信じるのかね。





          ***


(「魔界史」五十三章より抜粋)

 ……魔王ラーラは、魔界における最後のヒト型魔王である。
 十八という若さで魔王の座に就任した彼女は、さまざまな苦労を経て、穏健派と過激派に分裂していた魔界をひとつにまとめ上げた。
 人間界と和平条約を結び、対等な立場を勝ち取り、他にもさまざまな偉大な功績を残したその存在は、現在においても非常に大きいと言われている。長い魔界の歴史の中でも、屈指の名君と呼ばれる所以である。
 魔王の世襲制度を廃止した上で、自らが王の座から降りる時には、魔界で初めての選挙制度を提言し、これを実現させた。民主主義、という概念は、彼女が異世界で学んだものだという。
 一説によると、異世界で子供を産んだとも言われているが、定かではない。
 魔王の座を退いたのち、彼女は魔界からふっつりと姿を消した。その後の消息は不明だ。
 彼女には配偶者がいたが、その人物は決して表舞台には出てこなかった。魔王の重責を陰ながら支え、時に大きな力となったのは間違いないが、今もって、その大部分は謎とされている。
 名前も判らない。どの記録、どの文献を探しても、一行も記されていない。まるで故意に、秘匿されているかのように。
 かの人物について、我々はただ、長命の魔族の口から、畏怖や尊敬と共に一言だけ語られるのを聞くのみである。

 ──魔王の夫、決して怒らせるべからず、と。

Fin.



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