短編16

ワンモア(1)




 保と知り合ったのは中学二年生くらいの時だったが、学校が同じだったわけじゃなかった。
 知り合ったきっかけは──なんだったかな。確か、友達の友達、程度のことだったような気がする。よく思い出せないってことは、ホントに大したことないきっかけだったんだろう。ちょっとスマホを操作すれば、まったく面識のない相手とも気軽に知り合えちゃうようなこの世の中で、そんなこといちいち覚えていられない。
 実際、俺の周りには、そういう 「友達」 がゴロゴロいた。
 名前もよく知らないままお喋りをする遊び相手、会ったこともないのにラインだけはやり取りする相手。
 気軽に知り合って、気軽に文字だけの会話をし、気軽に離れて、五分後にはもう頭の中にすら存在が残っていない 「友達」……そんなもんさ。
 その中で、保はまだしも、俺の頭にも記憶にも、多少は痕跡を残していた男だった、らしい。中学の時に、数人のグループで何度か遊びに行った、というだけの関係だったにも関わらず、高校の入学式で偶然見かけた保に、一目で気づいたくらいなんだから。
 まあ、保はかなり長身で、生徒の中でもあいつだけ頭ひとつ分上に出ていたからすぐにわかった、というのもあるかもしれない。しかも、これで高校一年生かよってくらいガタイがいいからね。新入生の胸につけるリボンの花があまりにも似合わなくて笑ってしまったのも、俺をして、ちょっと声をかけてみようかなという気にさせた理由の一つだっただろう。

「よお、保」

 式が終わって、これから新しく割り振られた自分のクラスの教室に向かい始める、ざわざわとした雰囲気の中で。
 軽く手を上げ挨拶をした俺に、保のほうもすぐに気づいたようだった。

「穂積か」

 目を瞬いて、「久しぶりだな」 と破顔する。
 その顔を見て、思い出した。保というやつは、この背丈とこの体格と、口を閉じている時の仏頂面から、無愛想でとっつきにくい男、との印象を与えがちだが、中身は案外そうでもないのだった、ということを。
 フレンドリー、ってほどじゃないが、誰に対しても適度に丁寧で適度に親切、っていうか。うん、冷淡ってわけじゃないけど馴れ馴れしすぎもない、ほどほどの距離感で接する、って感じだ。
 その距離感が、たぶん俺は中学の時から、わりと好ましく思っていたのだろう。俺は表向きは、どんな相手とも分け隔てなく仲良くなっちゃうほうだが、実を言えば、こちらが作った壁にも気づかずどかどかと土足で入り込んでくるような無神経なやつは、反吐が出るほど大嫌いだ。その点、保のさらりとした付き合い方は俺の性に合ったのか、嫌悪感を催すことが一切なかった。
 だから交流が絶えてしまった今でも、保のことをなんとなく覚えていたんだな──と、自分で納得した。
 俺たちは短く挨拶し合って、やっぱり短く近況を話し、まあこれからもよろしくな、というところに落ち着いた。なにしろこれからガイダンスを受けにぞろぞろと教室に向かっている途中なのだから、そんなに時間に余裕があるわけでもない。
 ただ、今後のためにも、一応確認はしておいたほうがいいのかなと、俺はちらっと視線をやりながら、「……で」 と言った。
「彼女?」
 その言葉に、最初からずっと保の傍らを歩いていたもう一人の人物が、こちらに顔を向けた。

 同じように胸にリボンの花をつけた、ストレートの黒髪をさらりと背中に垂らした女の子。

 彼女は俺たちの会話に割り込んでくるようなことはしなかったが、それでも明らかに、隣を歩く保のペースを合わせるようにして足を動かしていた。
「いや、違う違う」
 保もその女の子のほうをちらりと見やってから、ぞんざいに手を振った。
 照れ隠し、というわけじゃないようだが、怒っているようでもない。なんだかその仕草は、面倒くささと苦笑を微妙に混ぜ込んでいて、いかにもこれまで何回も同じことを繰り返してきたんだとでも言いたげなものだった。
「家がすぐ近所で、幼稚園から一緒の腐れ縁っつーかさ……まあ、幼馴染ってやつか。妹みたいなもんだな」
「……へえ」
 と俺は薄っすらと笑いを浮かべて相槌を打つ。なるほど、「妹みたいなもの」、ね。
 確かに、保の態度は、妹と一緒に街中を歩いているところを同級生に見つかって、違うって妹だって、と言うそれだ。
「幼馴染かあ。いい響きだよね。俺、そういうのいないから、憧れちゃうなー」
 からかい交じりで俺がそう言うと、保はまた、「もうその言葉は聞き飽きたんだけどなあ」 というような、わずかなうんざり感を顔に出した。
「どいつもこいつも、幼馴染って言葉に幻想を持ちすぎなんだよ。言っておくけど、ギャルゲーに出てくるようないいもんじゃないぞ」
「朝起こしに来てくれたり、親の旅行中メシを作りに来てくれたり、試合に負けたらチュッてしてくれたり?」
「ないない」
 保は手を振って、噴き出した。俺も一緒に笑いながら、保のでかい身体に半分くらい隠れている女の子のほうを窺う。
「鼻の垂れたガキの頃から知ってるやつと、今さらそんなことになるもんか。あ、こいつ、奈月っていうんだ。まあ、よろしくな」
 保はそう言って、傍らの女の子の背に手を置いて、前に押し出した。ほらお前もちゃんと挨拶しろよというようなそのやり方は、まるで本当の兄みたいだった。
「奈月ちゃんっていうんだ? こんちは。俺のことは穂積って呼んで。あ、姓じゃなくて名前のほう。みんなそっちで呼ぶから」
 上っ面の笑みを顔に貼り付けて、俺は彼女に言った。
 この顔と口調で、男も女も大抵は俺に対する警戒心を解く。軽いやつ、チャラいやつ、と馬鹿にするような目を向けてくる人間も多いが、別に構やしない。どう思うかは相手の自由だし、ま、事実そういう面もある。

「──こんにちは」

 奈月という少女は、一瞬だけ保の顔を確認するように見てから、俺のほうをまっすぐ向いて、そう言った。
 その目に、軽薄だなと侮蔑するような色はない。かといって、嬉しそうな媚びを見せるわけでもない。初対面の相手に怯えているわけでもないし、幼馴染に言われたから渋々、という態度でもない。なんていうか……
 無色透明。
 そんな感じだ。染めたりパーマをかけたりした形跡のない黒髪と、カケラも崩さずきっちりと着こなした制服から、やけに真面目っぽい印象を受ける彼女は、どこか 「水」 を連想させた。
 色がなく、味がなく、匂いもない。
「悪い、こいつ愛想がなくってな。もうちょっとなんか言えよ」
 こんにちは、の一言を出したきり、口を噤んでしまった幼馴染を小突いて、保が申し訳なさそうに俺を見た。最後の言葉は女の子に向かって出したものだ。これじゃ、あれだけぺらぺらと調子よく挨拶の言葉を出した俺がバツの悪い思いをするんじゃないかと、気を遣っているんだろう。保はこれで、意外と気配り上手である。
「愛想がないって、たもっちゃんこそ、いつもムスッとした感じの悪い顔してるくせに」
 保に叱られて、女の子は不満そうに唇を突き出して文句を言った。こういう表情をすれば、彼女の個性らしきものがちゃんと出る。
 その口から出る、「たもっちゃん」 という呼び方には、わずかに甘やかな響きが滲んでいた。
 あ、そうか。
 俺は理解して、口許の笑みを深くした。微笑ましいものを見るように──あるいは、面白いオモチャを見つけたように。

 彼女にとって、「たもっちゃん」 以外の人間は、まったく興味の対象にはならないのか。

「俺は地顔がこうだからしょうがない」
「だったら私のほうがずっとマシじゃない。……大体、はじめて会った人に、何を話せばいいのかよくわからないよ」
 女の子は、そう言いながら、困惑気味に再び俺を見た。よくわからない、とは言うものの、頑張って言葉を続けようとしているようだ。が、何を言っていいのか思いつかないので、困っている。そりゃそうだ、彼女にしてみれば俺は、まるきり関心のない人間なんだからな、会話の糸口なんて見つけようがない。
 ──それでも、保の苦言は無視できないと。
 俺は思わす、くくっと笑った。微笑ましい。いや、面白い。

 あまりにも、幼すぎて。

 女の子は、俺の顔を見て、開きかけた口をまた閉じた。ここではじめて、ほんの少し警戒するように眉を寄せて、歩幅をずらして距離を取る。
 ああ、頭は悪くないんだ、とまた笑いそうになった。
 こんなに楽しい気分になったのは、久しぶりだ。
「お前、ほんとに人見知りだな。高校生にもなってそんなんで大丈夫なのか」
「大丈夫、だよ……たぶん」
 呆れたように言う保に対する女の子の返事は、今ひとつ心許ない。一見人を寄せつけない外見をしていても、他人との付き合いは器用にこなしてしまう保とは逆に、けっこう可愛い見た目をしている幼馴染は、そちらのほうはあまり得意ではないようだ。
「穂積は男女関わらず交友関係が幅広いから、お前も見習え」
「ちょっと保、男女関わらず幅広いって、誤解を招くような言い方しないでくれる?」
 俺は保に苦情を申し立ててから、女の子に向かってにこっと笑いかけた。
「ま、よろしくね。奈月ちゃん」
「……よろしくお願いします」
 彼女はちょっと固い口調で返して、また保の身体の陰に隠れた。


          ***


 俺と奈月は、偶然にも同じクラスになった。
 保は別のクラスだが、休み時間などのちょっとした合間に顔を合わせると、奈月は必ず保の近くに行って、あれこれと話しかけていた。放課後は、自分の部活動を終えてから、わざわざ剣道部に在籍する保が終わるのを待って、一緒に帰っているらしい。誰かが保のそばにいたら遠慮して、一人でいれば嬉しそうにすぐさま駆け寄っていく。その姿はまるで、尻尾を振って主人にじゃれる子犬のようで、まったく健気なほどだった。
 俺は、保と奈月が二人でいる時に、狙い澄ましたように近づいて割り入る、という悪趣味なことをよくした。保はちっとも気にしないのに、奈月がイヤそうにするのが面白かったからだ。奈月はどうやら、俺に苦手意識を持っているらしい。
 彼女にはきっと、判っているんだろう。俺がどこまでも傍観者として、保と奈月のことを眺めているのが。
 奈月の目と心がまっすぐ向かっている先を俺も見て、くすくす笑ったり、たまに意味ありげなことを言ってからかってみたりする。そりゃあ嫌だよな、そんな人間がそばにいたら。
 でも奈月は何も言わない。それがまた楽しくて、俺は二人としょっちゅう一緒にいることになった。



「──お前、また彼女と別れたんだって?」
 しょうがないなというようにため息をついて、保が問いかけてくる。学校近くのファストフード店は、知り合いも多いだろうという配慮からか、声の音量はかなり絞ってあった。
「そんなに大げさな話じゃないよ」
 俺はポテトを摘みながら笑って、軽くいなした。
 保の隣に座る奈月は例によってこの手の話には乗ってこないが、同じクラスである俺の行状を保よりは正確に把握しているせいか、ほんのちょっと顔を顰めている。ストローを咥え、このシェイクは苦い、という表情をしているのが可笑しい。
「これで何回目だよ」
「三回目くらい?」
「お前な……」
「だから大したことじゃないって。ちょっと遊んで、やっぱり合わないな、ってことになっただけだよ。別れた切れたなんて騒ぐほどのことじゃない」
「けど、相手の子、泣いてたって聞いたぞ」
「そうなの? なんでかな。俺、そんなに悪いことしたわけじゃないと思うけど」
「だって付き合ってたんだろ?」
「うん」
 付き合って、と言われたから、了承した。相手が望むまま、学校帰りに寄り道したり、ファミレスでお喋りしたり、休日に出かけたりした。言っちゃなんだけど、俺は毎回、ちゃんとその子の希望通りの役割を果たしていたと思う。お喋りして、笑わせて、延々とスマホでの退屈なやり取りに付き合って、請われればキスをして。

 ……その結果、つまんない、としか思えなかったのだから、しょうがない。

「そういうもんでしょ。俺はちゃんと、『一緒にいてもつまんないから』 って言ったし、今後も友達としてならいくらでも遊ぶよ、って言った。二股をかけて捨てたわけでもなければ、ことさらに暴言を吐いた覚えもない。責められるいわれはないと思うんだよね」
「彼女にしてみたら、その冷淡さがひどいってことなんだろ」
「冷静、って言ってよ」
「だったら最初から、まずは友達から、ってことにすりゃよかったんだ」
「違うよ、その子と俺とは、そもそも 『友達』 だったんだよ。向こうが、それじゃ満足できない、カレカノとして付き合って、って言うから、うんって返したんだよ」
「だからそこでなんであっさり 『うん』 って言うんだよ」
「だって実際に付き合ってみないと、上手くいくかいかないかなんてわかんないじゃん。だから、わかった、じゃあやってみようかってことになって、結果、やっぱり無理だった、ってことになったんでしょ。俺、なにか間違ってる?」
「……うーん」
 保は腕を組んで首を捻り、考え込んでしまった。根が真面目なやつなので、俺の言い分にまるっと賛同はしかねるが、かといってどう反論すればいいのかも判らないらしい。あまりお節介すぎるところはないから、これ以上は突っ込まず、「やれやれ」 と首を振って終わりにするのだろう。いつものことだ。
 ところが、この時は珍しく、奈月が 「……たぶん」 と口を挟んできた。

「たぶん、穂積くんが言う 『友達』 や 『彼女』 は、たもっちゃんの考えるそれとは違うんだよ」

 ぽそりとした調子で出されたその言葉に、俺はぷっと噴き出した。
「なに? 友達ってのは、もっと心を打ち解けあって、互いを信頼し、愚痴や悩み事を隠すことなく曝け出して、励ましたり慰めたり勇気づけたりする相手のことを言うもんだとか、そういう話? 俺みたいに、軽ーくアドレスの交換して、誰かもよくわかんないよーな名前がずらっとスマホに並んでるのは友達なんて呼ばないよ、ってこと?」
 スパスパとした俺の言い方は、我ながら意地が悪かった。割合のグラフで示せと言われたら、ほぼ大部分が皮肉に占められているのが、よく判っただろうと思う。
 けれど奈月はちょっと困ったような顔をしただけで、腹を立てる様子はなかった。これもいつものことだ。彼女が怒ったり声を荒げたりするところを、俺は一度も見たことがない。
「人によって、ものに対する位置づけが違う、ってこと。どっちがいいとか、悪いとか、そういう問題じゃないでしょう?」
 それから、ちょっとだけ目を逸らして、付け加える。
「……私はそういうのは理解できないし、好きでもないけど」
 あはは、と俺は声を立てて笑った。そんなんだからお前には未だに友達がほとんど出来ないんだよ、と思うが、奈月のこういう正直なところは嫌いじゃない。
「まあ、俺もよく理解できないな」
 保までが、ため息と共に同意する。
 俺は唇の端を吊り上げた。
「別に理解してくれなくてもいいよ。……けど、保に冷淡だとか言われるのは納得いかないな」
「なんでだ?」
 きょとんとした顔がこちらを向く。俺は笑って、それには返事をしなかった。

 ──そう。保に、冷淡だなどと言われる筋合いはない。
 ここまでわかりやすい思慕を幼馴染から向けられて、それに気づかない……あるいは気づいていても気づかないフリをし続けている保に。
 妹みたいなもの、と言いきるたびに奈月の表情を曇らせて、それでも近くにいることをきっぱり拒絶もしない、なんて。
 鈍感なのか、残酷なのか。

 まあ、見ていると面白いからいいけどね。
 奈月のほうを見てにやっと笑うと、彼女は小さく息を吐いて、下を向いた。


          ***


 二年生に進級してそれぞれ別のクラスになってからも、俺たちのその関係は変わらなかった。
 相変わらず、ひたむきに保の姿だけを目で追う奈月、彼女をどこまでも幼馴染としてしか扱わない保、そして傍観者の俺だ。俺たちは三人でよく行動を共にしていたが、決してべったりとした馴れ合いにはならなかった。
 俺はそういうのが嫌いだし、保もそうだ。そして奈月は、常に俺からは一歩離れた場所にいようとする。それがかえって、俺には気持ちよく感じられた。女の子というのは、ちょっと共有する時間が多くなると、「仲良くなった」 と自分で勝手に判断して、判断した途端に傍若無人に距離を詰めてくるものだと思っていたが、奈月の場合はその判断の物差しが、一般とは少々違うらしい。
 少し微妙で、少し複雑で、でも、三人でいると心地よかった。
 この関係は、おそらく保と奈月の間に変化が訪れた時に、終わりを迎えるのだろう──と、俺は思っていた。
 二人が 「幼馴染」 から 「恋人同士」 へと変わった時。あるいは、保が奈月を突き放した時。あるいは、奈月が見切りをつけて自分の気持ちを諦める決心をつけた時。
 いずれやって来るその時に、俺も二人から離れることになるだろう。決着をつけてしまったあいつらの、またはそのどちらか一方の近くにいたって、面白くもなんともない。
 いつ、その時が来るのか。俺はその時何を思うのか、もしくは何も思わないのか。俺が考えることといったら、それくらいだった。
 ……だが、現実には、それらの内のどれにもならなかった。
 二年生の夏休み明けから、保は剣道部のマネージャーと付き合いはじめたのだ。



 それを人づてに知って、俺はすぐに保のところへ行った。
 そのマネージャーの女の子が保に好意を抱いているのは知っていた。剣道部の試合を奈月と共に観戦しに行った時に気づいてた。俺が気づいたのだから、きっと奈月も気づいていただろうと思う。
 でも、一気にそこまで進むとは思ってもいなかった。保からも、何も聞かされていない。いや、そもそも俺と保はお互いに、そんなことを相談したりされたりするような性格じゃなかったけど。
 本当なのかと問いただすと、保はあっさり頷いて認めた。
 一週間ほど前に告白されて、よくよく考え、了承の返事をしたのだという。俺は保に、奈月はどうすんの、と聞いた。なんでもない声と態度で、そう聞いた。
 そうしたら、保は少しだけためらうような間を置いて、

「奈月は奈月だよ。別に……今までと何も変わらない」
 と言った。

「…………」
 俺は口を閉じて、無言になった。
 ああそう、そういうこと、と醒めた頭で思う。
 腹の底のほうが冷え冷えとするくらいに、理解した。
 保は、奈月のことを、とことん 「幼馴染」 という別枠に閉じ込めておく気なのだ。彼女とか恋人とかいうのとはまた別に、そういった聖域のようなものを勝手に作って、大事にしまっておこうとしているのだ。
 そこだけは綺麗なまま、永遠に。
 ある意味、保にとっても、奈月はごくごく特別な存在だった、ということだ。
 ──でも、それは、あまりにも。
「……あっそ」
 いろいろと思うことはあるが、俺はそれをひとつも外には出さなかった。きっと今のこいつには言ったってわかりゃしない。
 皮肉な笑いを口元に刻んで、さっさと踵を返した。


 奈月のクラスの教室に行くと、彼女は窓からじっと外を眺めていた。
 その窓からは、昇降口から出ていく生徒の姿がよく見える。これからそれぞれ、部活動に行ったり、帰宅したりするのだろう。てんでに散らばり、ある者はクラブハウスへ、ある者は校門へと向かって歩いていく。
 ……その中に、ひときわ目立つ、長身で体格のいい男がいる。
 そいつは一人じゃなかった。小柄なポニーテールの女の子と、二人で並んで歩いていた。あれこれと話しかける女の子に、頷いたり返事をしたりしているようだ。
 昇降口で待ち合わせ、これから二人して仲良く部活に行くってことか。初々しいねえ。
 奈月はほとんど無表情で、小さくなっていく二人の後ろ姿をいつまでも見つめていた。
 これまでずっとそうやって、保の隣で微笑んでいたのは奈月だった。ついこの間まで自分がいた場所に、今は他の女の子がいるという現実を、彼女はどう思って見ているのだろう。
 怒っているのか、悲しんでいるのか、悔しがっているのか、その顔からは判別がつかない。もしかしたら、本人にも判らないのかもしれない。
 俺は奈月の席の前の椅子を引き出して腰を下ろしたが、彼女はこちらに一瞥もくれなかった。
「奈月」
 と呼んでも、無視された。
「……ねえ奈月、俺と付き合わない?」
 そう言ったら、奈月はようやく俺のほうを向いた。



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