短編16

ワンモア(2)




「付き合わないよ」
 俺の言葉に対する返事は、ほぼ間髪入れずに奈月の口から出てきた。
 その顔は、驚いているようでもなければ、怒っているようでもない。かといって、冗談にして笑い飛ばしてしまおうという空気も一切ない。「ポッキー食べる?」「いらない」 みたいなやり取りをした時と、まったく変わらなかった。
「そこはせめて、一分か二分は考える時間を置こうよ、奈月」
 躊躇のない答えと、まっすぐに向けられている視線に、思わず噴き出してしまいながら、俺は一応文句を言った。
 判っていたことだけど、ここまで板で打ち返すように素早い反応をされるとは思っていなかった。上に浮き上がる分、まだしも野球のボールのほうが優しいと思えるくらいだ。
「考えるようなことじゃないから」
「同じ断るにしても、ちょっとは、うーん、って迷う素振りを見せてもいいんじゃない?」
「迷わないし」
 奈月はどこまでも冷たかった。素っ気なくそう言って、また窓の外へと目を向ける。
 そこにはもう、保とマネージャーの女の子の姿はない。二人して、あのまま仲良くクラブハウスへ向かったのだろう。
 奈月の横顔に、これといった変化はなかった。引き結んだ唇も、さっきまで二人が並んで歩いていた場所へ据えつけている目線も、じっと動かないままだ。
 俺もそちらに目を向けて、口を噤んだ。
 そのまま二人で置き物のようにしばらく過ごし、ようやく沈黙を破って、先にぼそりと言葉を出したのは、奈月のほうだった。

「──聞いたの?」

 なんのことを言っているのかは、もちろんすぐに判った。
 俺はいつものへらりとした笑みを、口元に貼り付けた。
「うん、さっきね。いつの間にそんな話になってたんだって驚いた。奈月はいつ知った?」
 クラスメートの他愛ない噂話をするように、あくまでも軽い口調で問いかける。奈月は視線を窓のほうに向けたまま、「私もつい最近」 と答えた。
「マネージャーと付き合うことにした、って言われた。その時はじめて、たもっちゃんがあの子に告白されてたことも知った。……いずれ、近いうちにそういうことがあるだろうとは思っていたけど」
 奈月が言う 「そういうこと」 というのは、あのマネージャーが保に告白すること、を指しているらしかった。
 夏休みに二人で観戦しに行った剣道部の試合で、奈月は保を見るのと同じくらい、あの女の子のことも見ていた。自分と同じ熱量を持って、自分と同じ人間をじっと見つめている存在だ、気にならないわけがない。
 奈月はきっとその時から、あの女の子がそう遠くないうちに、自分の気持ちを保にぶつけることが予想できていたのだろう。同じ立場にあるからこそ、そういうことは敏感に感じ取れてしまうものなのかもしれない。
「私、焦ってた」
 淡々とした調子で、奈月は続けた。自分よりも近い場所で、竹刀を振って戦う保の応援ができる女の子、好意まるだしの笑顔を保に向けて、積極的にタオルを差し出し労う女の子の出現に、奈月が脅威を抱くのは当然だ。
 だって保は、いつまでも奈月のことを 「妹のようなもの」 というポジションに置いて、そこから近寄らせることも、離すこともしない。

「……だから、たもっちゃんに、好きだって言った」

 その言葉には驚いて、俺は目を見開いた。
 正直、保が奈月以外の女の子と付き合うと知った時と同じくらいの衝撃だった。俺の知らないところで、事態が勝手に進んでいたことに対する驚きと、どんな理由であれ、奈月が一歩を踏み出したことに対する驚きだ。
 なんとなく──そう、なんとなく、奈月はそういうことをしないだろう、と俺は思い込んでいた。
 どんな変化があるにせよ、動くのは保のほうからだろうと。
 奈月はじっと黙っているか、保が歩み寄ってくれるのをひたすら待っているだけだと思っていた。
「──で、保はなんて?」
「びっくりしてたよ」
 そりゃ、びっくりするだろう。きっと、俺以上にびっくりしたはずだ。
 その 「びっくり」 は、まったく思ってもいないことを聞かされて驚愕したから、なのか、あるいは、このままずっと見ないフリでいようとしたことを目の前に突きつけられて動揺したから、なのか。
 いや、もしかすると。
 保も、俺と同じようなことを考えていたのかもしれない。奈月はたとえ恋心があったとしても、それをしまい込んで、幼馴染という場所にあり続けることを選ぶんじゃないか、と。
「びっくりしてから、ちょっと笑った。お前、なに言ってんだ、って。ずっと一緒にいたから、勘違いしちゃったんだな、って。そりゃ俺だって奈月のことは嫌いじゃないけど──」
 でも、俺たちはそういうのとは違うだろ、と。
 口を閉じたら仏頂面にしか見えないあの顔に、精一杯の笑みを浮かべて、保はそう言ったのだそうだ。
 まあ、うろたえてたんだろうね。その時の保の内心を想像すれば、まだしも普通の対応が出来たほうなのかもしれない。冗談はよせよ、と大笑いしなかった分、マシってことだけど。
「それから少しして、たもっちゃんに、あの子と付き合うことにした、って聞かされた」
「ああ……」
 それで俺はようやく腑に落ちた。なんでいきなり、こんなにも慌ただしく状況が動いたのか。
 きっと、保は保で、焦っていたんだろう。奈月から思いもかけず真正面から告白されて、どうしたらいいかよくわからなくなっちゃったんだ。あいつは変に真面目なところもあるから、きっとあれこれ悩んで考えて、これが最善だという結論を出したんだろう。
「ショックだった?」
「うん、すごく。でもね、しょうがないなって諦めもついた。つまりたもっちゃんは、私のことをどうしても女の子としては見られない、ってことなんだなと思って」
 そりゃ、そう思うしかないだろう。保はどうしても、奈月を異性として意識することは出来なかった。それだけのことなら、しょうがない、としか言いようがない。奈月に問題があるわけでも、保に非があるわけでもない。
「……だけど」
 だけど。
「たもっちゃん、彼女が出来たって、奈月とはこれまで通りだからな、なんて言うの。お前は俺にとってずっと妹みたいなもので、大事な幼馴染なんだから、って、真面目くさった顔で真剣に」
 真剣、なんだろうね、本人は。奈月は自分にとって大事な幼馴染、それが保のまごうことない本心であるのだろう。
 恋人とか彼女なんていう地位にまで落としたくない(・・・・・・・)、特別な存在だ。
「わりと、最低だね」
 忌憚なく率直な意見を述べると、奈月はようやくこちらを向いて、くすっと笑った。
「…………」
 どこか苦くて、どこか悲しげで、それでもどこか優しげな慈悲を感じさせるようなその笑いを見て、俺はちょっと混乱してしまう。

 ──奈月って、こんな顔をするやつだっけ。

「ホントだよね。これまで通りなんて、そんなこと、無理に決まってるのに」
「……だろうね」
 少なくとも、奈月にとっては無理なんだ。けど、保にはそれが判らない。まったく、判っていない。その決定的なすれ違いが、二人の間に埋まらない深い溝を作っている。
「保も、俺を見習って、とりあえず奈月と付き合ってみればよかったんだ。そうすりゃ意外と、上手くいったかもしれない。上手くいかなかったら、やっぱりダメだったってことだろ。奈月もそれなら、納得いったんじゃない?」
 俺がわざと軽い調子で言って肩を竦めると、奈月は呆れるような顔をした。
「たもっちゃんは、穂積くんとは違うの。とりあえず、で付き合うなんて、そんな無責任なことはしないよ」
「そうかねえ」
 くくっと喉の奥で笑う。まあそりゃ、一度付き合うと決めたからには、保は誠実にあのマネージャーの子と向き合おうとするだろう。了承したってことは、それなりに好意もあったはず。俺みたいに、「やっぱりつまんないからやーめた」 なんて放り出すようなことはしないんだろうけど。

 だけどそれでも、保がしているのは、二人の女の子を傷つけることじゃないのか。

「で、奈月はこれからどうするの?」
 俺が訊ねると、奈月は少し困ったように瞳を揺らした。
「どうって……どうも」
「保を追っかけるのはやめるんでしょ。それとも、あの二人の間に割り入って、とことん邪魔をする? なんだったら俺、協力してあげるけど」
「そんなことしない。そうだね、どうしよう」
 長いこと追いかけ続けていた背中を今になって失ったことに気づき、奈月は途方に暮れたような顔をした。自分が今立っている場所がわからなくなった迷子のようにも見える。
「俺と付き合う?」
「付き合わない」
 そこだけは迷いなくすっぱりと返事をする奈月に、俺は声を立てて笑った。本当に、こういうところ、嫌いじゃない。
「じゃあ、友達としてでいいから、俺と遊ぼうか」
「遊ぶって?」
「どっか出かけたり、食べたり飲んだりカラオケしたり、パーッと騒いだり」
「……あんまり、興味ない」
 奈月はちょっとうんざりしたような表情になった。だろうなあ、と俺はまた笑う。
「とにかく、そうやって気晴らしして、早いところ忘れちゃえばいい」
 その言葉に、そうだね、という同意は返ってこなかった。奈月の反応は、大体、俺の想像通りであったためしがない。

「どうして、忘れないといけないの?」

 返ってきたのは、静かな疑問と、一直線にこちらに向かってくる眼差し。
 ──瞬間、心臓がどくんと跳ねたのが判った。
 でも、どういう理由で自分が狼狽したのかは、俺には判らなかった。そのことがなんだか妙に忌々しく感じられて、曖昧な笑みを浮かべたまま、「だって」 と言い返す。
「奈月、しんどいだろ?」
「うん、しんどい。つらいし、苦しい。たもっちゃんを見るたび、言われた言葉を思い出すたび、胸のところがぎゅうって締めつけられて痛くなる」
「だったら」
「……けど、早く忘れたい、とは思わない」
 きっぱりとそう言って、奈月は椅子から立ち上がった。
「帰る」
 俺はその言葉で我に返って、ぱちぱちと瞬きした。なんだろ。
 今、ちょっとだけ、呆けてたみたいだ。
「え、じゃあ、俺も帰る。ちょっと待ってて、カバン持ってくるから」
「待たないよ。じゃあね」
「ちょっ……待ってって! 奈月! 一分! ていうか三十秒! すぐ持ってくるから!」
 さっさと教室を出て行こうとする冷淡な奈月に叫んで、俺は自分の教室へダッシュした。
 なんだろ、と自分でも戸惑う。
 こんな風に誰かを必死に引き留めようとするなんて、はじめてだ。


          ***


 一カ月もすると、あちこちで、俺と奈月が付き合っている、という噂が立つようになった。
 実際はもちろん、そんなことは全然ない。奈月は以前と同じように、俺といる時は一歩くらい離れた位置にいる。俺がぺらぺらと喋りかけても、あちらから返ってくるのはそれの三分の一くらい。しかも別に楽しそうでもなんでもない。奈月は、保に向けていた信頼と愛情のひとかけらでも、こちらに向けることはなかった。
 それでも俺は奈月の近くに寄っていくのをやめようとしなかったし、奈月も拒絶するようなことはしなかった。たぶん、「どうでもいい」 とか思っていたのだろう。保のあとをついて廻ることをしなくなった奈月は、時々やり場を失った視線を宙に彷徨わせ、ぼんやりすることが多くなった。
 そういう奈月を、俺はあちこちに誘った。学校帰りの寄り道だったり、休日の遊園地だったり、もう泳ぐやつもいなくなった海だったり。それに乗ってくることは滅多になかったけど、たまに一緒にお茶を飲むくらいは承諾してくれて、そんな場面を見かけたやつらに、ああやっぱりね、と確信を深めさせることにもなったらしい。
 今までしょっちゅう三人でいた俺たちが、急に二人になったのだから、そう思われるのも無理はない。ハタ目には弾きだされた格好に見える保も、剣道部のマネージャーと付き合いだしたことが知れて、そういう形で落ち着いたんだなと、周囲は納得したようだった。
 保とその彼女が並んでいるところを見て、どこかが痛むような顔をする奈月に気づく人間は、俺以外に誰もいなかった。


「……もしかして、それが目的だった?」
 ある日、学校帰りに一緒に道を歩いていたら、奈月が唐突に言った。
 俺はきょとんとして彼女を見返した。
「目的って?」
「いきなり、『付き合わない?』 なんて言い出したのは、私が他の人たちに好奇の目で見られないようにするためだった?」
「えー、なにそれ」
 楽しそうに目を細めた俺を、奈月は窺うように覗き込んだ。
「私がたもっちゃんたもっちゃんて、くっついてまわってたのは、みんな知ってることだもんね。そのたもっちゃんが彼女を作って、私だけぽつんと一人でいたら、ああ……って同情されたり、嘲笑されたりするよね。だから穂積くんは、そんな風に見られないよう、私に構ってくるんじゃない?」
「まさか」
 あははと笑って否定する。じっとこちらに据えられる奈月の瞳はまっすぐすぎて、ちょっと苦手だ。適当に軽口を叩いて、こっそりと目を逸らした。
 奈月はしばらく測るように俺を見つめてから、やがて短い息を吐きだした。
「──穂積くんって、よくわからない」
「そう? 俺は、俺ほどわかりやすい人間はいないと思うんだけど。薄っぺらいし、いい加減だし」
「そうだね」
「あ、ひどい」
 奈月は小さくぷっと噴き出した。最近になって、彼女はやっと、そういう顔をするようになった。

「穂積くん、ずっと私のこと見て面白がってたでしょう?」

 改めて真顔になって投げかけられた問いに、俺はまた笑った。
「うん」
 と、素直に認める。
「たもっちゃんのことしか頭にない私を、子供だなと思って馬鹿にしてたでしょ」
「うん、わりと」
「いつも、俺はわかってる、って顔して、斜に構えて見てたよね」
「楽しかったなあ」
「……もう」
 処置なし、というように、奈月が大きなため息をつく。それでも、怒ってはいないようだ。呆れているほうが大きいのかもしれない。
「私、穂積くんのこと、苦手だった」
「知ってるよ」
 もちろん知ってる。知っていながらそれさえも面白がっていた俺は、本当に悪趣味な人間だと思う。
 自分で言うのもなんだけど、俺はわりと女受けする容姿をしている。自惚れではなく、保と俺とで並べてみたら、大概の女の子は俺のほうを選ぶだろう。なのに、奈月はまったく俺には目を向けなかった。彼女の心はずっと、一途に保にのみ捧げられていて、他の何物にも揺らぐことはなかった。
 奈月がすぐに保から俺に興味を移してしまう人間であったなら、俺はそこでばっさりと二人との関係を断ち切っていたかもしれない。
 俺は──そう、俺は、きっと。

 保にしか関心のない奈月、保だけを見つめる奈月を見るのが、好きだった。

「たもっちゃんとセットだったから、面白かったんでしょう? そこから離れた私は、もう穂積くんにとっては 『つまらない』 人間なんじゃないの?」
 奈月は鋭い。そして、厳しい。俺は内心で舌を巻きながら、苦笑する。
「そうかもね」
 実を言えば、自分でもそう思っていた。幼い頃からの恋心を手離した奈月に、俺はもしかしたらやっぱり、つまらない、という気持ちを抱くんじゃないかと。
 少しだけ、怯えるように、そう思っていた。
 ──でも、現実には、俺は今もこうして奈月の隣にいるわけだ。自分こそが、飼い主に邪険にされても尻尾を振ってじゃれつく仔犬みたいに。

 不思議だな、と青い空を見上げながら思う。
 決して悪い気分ではなく、そう思った。

「まあいいじゃん。そう難しく考えなくても。友達、なのはいいんでしょ? だったら、それなりに楽しく過ごせれば、それでいいと思わない?」
 笑みを浮かべて奈月に顔を向けると、また呆れるようなため息をつかれた。
「穂積くんのそういうところ、未だによくわからない」
「奈月は、俺といるの、イヤ?」
 その問いには、少し困惑したように眉を下げる。
「……イヤなら、とっくにイヤって言ってる」
「俺のこと、今も苦手?」
 苦手だった、って過去形だよね、と言ったら、奈月は目を伏せ、ぼそりと呟いた。
「……よく、わからない」


          ***


 翌日、登校してきた奈月は、背中まで伸ばしていたストレートの黒髪を、ばっさりと肩の上で切り揃えていた。
 髪型をショートにして、他にもいろんなものを軽くしたのか、奈月はそれから日を重ねるにつれ、ちょっとずつ明るく笑うようになっていった。保とべったりだったのをやめて、少しだが、友人も出来はじめてきたらしい。
 それと共に、俺と一緒にいる時間も増えた。
 だからって別に、俺たちの関係にこれといった変化があったわけじゃない。奈月の、「友達」 としての線引きは、常に明確だった。一歩引いたようなところは相変わらずだし、呆れられたり、理解できないと頭を振られることも多い。
 でも、以前ほど、「どうでもいい」 という態度はとらなくなった。
 たまに、鈴のような声を立てて楽しそうに笑うこともある。
 ……ただ。

 髪を短く切って笑う奈月に、遠くから保が眩しいものを見るような目を向けていることに、俺は気づいていた。



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