短編17

楽土(6)




 話があるんだ、とアルがディーに向かって切り出したのは、二人で生誕祭に出かけた数日後のことだった。
 食べ終えた朝食の皿を洗うため、洋服の袖をまくり上げて流しに向かおうとしていたディーが、きょとんとして振り返る。
「話?」
「そう」
「お皿を片付けてからでいい?」
「いや、それは後にして、まずは座ってくれ、ディー」
 何も乗っていないテーブルを指の先でとんとんと叩いてそう言うと、ディーは首を傾げながら戻って来た。
 大人しく椅子に腰かけ、まっすぐにアルの顔を見る。
 こうして改まって向かい合うと、小さく痩せっぽっちだった子供の手足が、すらりとしなやかに伸びていることを再認識させられて、今ひとつ落ち着かない。最初のうちは椅子に座れば足は床には着かず、ただぼーっと人形のようにじっとしているだけだったのに。
 今、目の前にいるのは、ふわりとした金色の髪を窓から入る陽の光に反射させ、揺るぎない信頼の眼差しを正面から向けてくる、しゃんと背筋を伸ばした女の子だ。どう見ても、鮮やかな羽根を今にも広げようとしている、美しい蝶になる寸前の少女だ。たった一年で、よくもこんなに変われるもんだと感心してしまうほど。

 ……やっぱり、無理だよな。

 この期に及んでもまだ往生際悪くふらふらと迷っていた心が、静かな決意へと収束していくのを感じる。イーガルの言っていた通りだ。いつまでもこの奇妙な同居生活を、ずるずると続いていけるわけがない。必ずどこかでおかしな形に歪んで、アルはディーを傷つけることになるだろう。
 保護者と子供、という位置に納まっていられる今のうちに、手離さなきゃいけないんだ。
「ディー、俺たちさ」
 アルもディーの目を見返して、口を開いた。髪は金色になっても、瞳は以前と同じ栗色で、そのことになんとなくほっとさせられる。長いこと地下に閉じ込められ、暗闇ばかりを見ていたディーの大きな目は、むしろ人の世の汚濁とは無縁に透き通ったままだ。
「思えばおかしな成り行きで、こうして同じ家で暮らしてきたんだけど」
 何も含まない、まっさらで真っ白な紙のようだった瞳。いつからだっけ、そこにちゃんとした人間らしい感情が乗るようになってきたのは。虚ろだった目に光が宿り、生き生きとした喜びが見えるようになってきたのは。
「いつまでも、この状態でいるわけにはいかない、よな」
 ディーが朗らかに笑うたび、心にひとつずつ明かりが灯るような気分になった。たどたどしい言葉で一生懸命何かを伝えようとするその様子に、いつだって込み上げてくる笑みを必死になって我慢していた。
 あんな気持ちを、今後も抱くことがあるんだろうか。
「このままずーっと、なんて」
 テーブルの上で組んでいた手に力を入れた。こちらに据えられたまだ幼さの残る顔が、心細そうにどんどん曇っていく。それを直視するのは、正直言って相当の胆力が必要だった。
 同じ家で暮らさなくても、それでもう一生会えなくなるわけじゃない、と自分に言い聞かせる。いくつか候補として決めてある養い先は、どこもそう離れた距離にはない。そうだ、会おうと思えばいくらだって会える。
 苦しい弁明は、一体誰に対してのものなのだろう。
「だから──」
 喉が詰まって声が出なくなった。
 だから、の先の言葉が、どうしても続かない。ああ畜生、いい大人が情けない。こんな体たらくで、これからディーを説得するという難事業をこなすことが、果たして可能なのか。
「だから、もう」
 もうこの同居生活は終わりだ、という宣告を舌に乗せようとしたその瞬間、入口の扉が激しく叩かれた。
 アルだけではなく、ディーも同じようにびくっとした。それほどまでに、遠慮のない唐突さ、乱暴さだった。今もなおドンドンと叩き続けられる性急な音は、嫌でも不穏な何かの訪れを予感させた。
「……なんだ?」
 眉を寄せてアルが椅子から立ち上がると同時に、扉がバンと勢いよく開かれる。
 そこに仁王立ちしているのは、制服を着た三人の男だった。

 ──警吏。

 さっと顔が強張った。ディーの耳に顔を寄せ、「奥に行ってろ」 と囁くように素早く指示をする。心配そうな視線が返ってきたが、有無を言わせない厳しい表情でそれを押し戻した。
 ちらちらと気にしながら奥へ引っ込むディーを、三人の男たちの目が揃って追うように動いている。その目線を遮るようにしてゆっくりと足を動かしながら、アルは笑みを浮かべて彼らの前に立った。
「やあ、なんだい? こんな下町に珍しいな、何かあった?」
 アルの軽い口調とは裏腹に、三人の顔はどれもこれも険しい。一番手前にいる男は、警棒で威嚇するように掌を叩いている。
「アルフレッド・ケインだな」
 自分でも忘れていたくらいの本名を呼ばれた。笑みをたたえた表情は変えないまま、ひやりと背中に汗をかく。

 落ち着け。

 盗人稼業に足を踏み入れたその瞬間から、こんなことがいつかあるかもしれないと覚悟していたじゃないか。イーガルがあれほど反対していたのにそれを押し切ったのは、他ならぬアル自身の意志でしたことだ。どんな結果になっても後悔はしないと。
 もともと、正義感からはじめたことじゃない。イーガルのように義侠心を持っているわけでもない。こういうやり方でしか、アルは育ての親に対する愛情を示すすべが見つからなかった、ただそれだけのことだ。縛り首になったって、言い訳することなんてない。
 ディーのことはきっと、イーガルが何とかしてくれる。大丈夫だ。
「聞きたいことがある。我々と一緒に来てもらおう」
「ああ、わかった。わかったから、そんな物騒なもん、しまってくれよ。別に抵抗したりしないからさ」
 今はとにかく穏便にこの場をやり過ごしたい。ディーを必要以上に怯えさせるのは御免だ。アルが警吏に引っ張って行かれるのを見たら、隣のアイダがイーガルに知らせてくれるだろう。
 しかし、アルがそう言っても、男たちはその場を動かなかった。その目は家の中に向かったまま、何かを探るように這いまわっている。アルの胸の中に、ざわりとしたものが湧いた。
「お前だけでは不十分だ、あの子供にも一緒に来てもらう」
「……冗談だろ」
 引き攣った声で言い返す。アルを盗人として捕まえて、証拠品はないかと家探しをするのはまだ判る。しかし明らかに無力な女の子まで一緒に連行する必要など、どこにもないはずだ。
「あの子はたまたま遊びに来てた近所の子だよ。なんの関係もない。家の中を引っ掻き回すのはあんたたちの勝手さ、好きにしろよ。けど、あの子には手を出すな」
「黙れ」
 一言言うなり、男の持っていた警棒が唸りを上げながら空気を裂いて、アルのこめかみを強打した。
「くっ……!」
 呻いて倒れそうになるのを踏ん張ってこらえ、家の中に押し入って来ようとする男の行く手を塞ぐ。ぬるりとした血の感触が、耳の横を伝った。
「待てよ、なんなんだよ、あんたら。どうしてそこまであの子にこだわる?」
 ふいに、閃いた。一気に冷たいものが駆け上がる。

「……あんたら、本当に警吏か?」

 警吏の制服は着ている。しかし言ってしまえば、それだけだ。この男たちが本物の警吏であるという保証はどこにもない。
「どけ」
 男たちはアルの問いに否定も肯定もしなかった。無造作にアルを押しのけて入っていこうとする彼らの関心は、執拗にディーにのみ向けられている。全身の毛が逆立ちそうになった。やっぱり変だ。
 まるでこいつらの目的は、ディーにこそ、あるように。
「ディー、逃げろ!」
 男たちに掴みかかりながら、アルは怒鳴った。奥にある台所から青い顔で様子を窺っていたディーは、震える声で 「アル」 と名を呼んだ。
「裏口から、早く!」
 アルは身を翻し、ディーの許へと走った。早く、ディーを逃がさないと、早く。
 男の一人が、腰の短剣を抜いた。
「アル!」
 ディーの叫び声と、アルの背中に短剣が突き刺さったのは同時。刃はそのまま、深くアルの身体を貫いた。
 アルがもんどりうって床に転がる。ディーの悲鳴が響き渡った。
「アル! アル!」
「捕まえろ!」
 駆けてきたディーの小さな身体が、アルの上に覆い被さる。そこに伸びてくる男たちの手を払いのけてやる体力が、もうアルには残っていなかった。視界に入るのは、ディーの泣き濡れた顔だけ。助けてやりたくとも、立ち上がれない。ダメだ、ダメだ、逃げろ。
「アル! だめえっ!!」

 ディーの絶叫と共に、男たちの身体が、一斉に弾かれたように後方に吹っ飛んだ。

 壁に激突し、三人が折り重なるようにして倒れる。かつて、野犬に対してしたのと同じだ。
 魔の力を使うのは禁止だとあれほど言っておいたのに……とアルは急激に薄れていく思考の中で思う。おまえ、そんなことで大丈夫なのかよ。俺がこの世からいなくなっても、ちゃんとやっていけるのかよ。
「アル、死んだらだめ!」
 そんなこと言われてもな、とアルは弱々しく苦笑した。ディーの手を引いて一緒に逃げてやりたいのは山々だが、意識が闇に引きずり込まれていく。さすがにこの騒ぎで、近所の人間が集まってきたようだし、誰かディーをここから連れ出してくれないだろうか。
 人の死なんて、こんな子供に見せるもんじゃない。
「アル!!」
 ディーはアルの名を呼びながら、懸命に背中の傷に手を当てていた。そうやって、出血を押さえているのかもしれないが、もう手遅れだ。そんな小さな掌を、真っ赤に汚すことはない。男たちが目を覚ます前に、早く……

 ん?

 今にも閉じようとしていた目を、ぱちっと開けた。
 確かに背中から剣で貫かれて、大量の出血で死にかけていたはずなのに、ちっとも天に召される気配がない。それどころか、傷を負った背中から、徐々に何かが流れ込んでくるような感じすら、する。
 温かく、力強いもの。まるで、失いかけていた生命が、逆流して戻ってきているかのような。
 どくどくと鼓動が脈打ちはじめる。下を見れば、床を赤く染めつつあった自身の血液が、ぴたりと広がりを止めていた。止血をしたわけでもないのに、どうして?
 茫然としながら、傍らにいるディーに目を移した。
 歯を喰いしばり、汗をびっしりとかきながら、アルの背中にかざしている小さな手からは、目には見えない力が放出されている。その力が、アルの出血を止め、それどころか、みるみるうちに傷を塞いでいるのを知った。
「ディー……」
 大きく目を見開いて、凝視した。信じられない。
 「魔の力」 は、傷つける力、害する力。こんな風に、死にかけた人間を助けるような力ではない。あり得ない。
 ディーが持っているのは、それとは真逆の性質のものだ。
 そうだ、あの時のディーに、野犬を傷つけたり、害したりしようとする意図があったはずがない。あれは、アルが野犬によって傷つけられそうになったのを、阻止しようとしただけだったのだ。
 アルを、守るために。
 それは、癒しの力、救う力。

 ──「聖なる力」 だ。



          ***


 ディーには、何があったのか、まったく判らないままだった。
 突然、三人の男の人がやって来て、アルを連れて行こうとした。その人たちはディーのところにも近づいてきて、アルがそれを止めようとした。逃げろ、と。あんなにも怖い顔で怒鳴るアルを見たのははじめてだ。
 それから、アルが血を出して、倒れて。何がなんだかわからなくて、混乱したディーは、それからのことをよく覚えていない。
 ただ、死なないで、死なないで、と、そればかりを思っていた。

 そして、気がついたら、ディーは知らない場所にいる。

 ここがどこなのか、さっぱり判らない。見覚えのない、とても広い部屋だった。たくさんの桟が入った大きなガラス窓、ぴかぴか光る床、大きな柱、ふかふかしたベッド。ディーが着ているのは、白くて裾の長い、さらりとした手触りの寝間着だった。
 近くには、見知らぬ人たちがたくさんいて、「目を覚まされましたか」 と口々に声をかけてきたけれど。
 アルがいない。
 ここがどこか、などということは、はっきり言ってどうでもよかった。アルはあれからどうなったのか。ベッドにいたということは、もしかして自分は今まで眠っていたのだろうか。記憶が戻って来なくて、もどかしさばかりが募る。
「アルはどこ?」
「ええ、まあ、信じられませんわ。まさかご無事でいらっしゃるとは」
「アルは大丈夫?」
「今までずっと気を失っておられたのですよ。力を使いすぎたのだろうと、医師が──けれどそれで見つけられたのですからねえ」
「アルに会いたい」
「お可哀想に、どんなおつらい目にお遭いになったことか。ご安心ください、すぐにお父上様とお母上様にお会いできますから」
 真っ白なエプロンをつけた女の人たちが口々に出すのは、どれもディーの質問とはかけ離れたものばかりだった。
 こうも話が通じないなんて、ディーの喋り方はそんなにもまだ下手なのか。アルやイーガルのおじさんには、ちゃんと伝わるのに。
 帰りたいな、とディーは口を閉じて窓の外を見る。ここは広くて、綺麗で、豪華だけれど、なんだかとっても居心地が悪い。
 この部屋は高い場所にあるのか、窓の外には、白い手すりの向こうに青い空しか見えなかった。下町の子どもたちの笑い声も聞こえない。
 ……アル、早く迎えに来てくれないかな。


 三日待った。
 けれど、アルは来てくれなかった。
 その間、いろんな人たちが入れ替わり立ち代わりディーの前に来て、いろんな話をしていった。でも、ディーには難しくて、理解の追いつかない内容ばかりだった。早くアルの顔が見たいと上の空で聞いていたから、余計に頭に入らない。
 お父様、という人にも会った。なんだか怒ったような顔をして、裏切り者のエルドランめ、許さん、とそればかりを言っていた。
 お母様、という人にも会った。金髪で、線の細いその人は、真っ青になって、信じられない、信じられない、と震えながら泣いた。ディーに手を伸ばしかけ、でもその手は、ディーに触れることなくその手前で止まって、結局引っ込められた。そして他の人に抱えられるようにして、部屋を出ていった。
 お兄様、という人は、ちらりとディーを見て、とてもイヤそうに顔をしかめただけだった。
 こんな礼儀も知らぬ野育ちの貧弱な者が、我が妹であるなどと認められるものか、と、吐き捨てるように言った。
 ディーにはやっぱり判らない。考えることは、早くアルに会いたいと、そればかりだ。
 ここはイヤだよ、アル。だーれも、ちゃんとディーのことを見てくれない。怒るか、泣くか、ウソっぽい笑いを浮かべるか、それしかしない。
 それに、みんな、ディーのこと、変な名前で呼ぶんだもん。
 ディアナ王女、って。


 ついに、ディーは食べ物を口にするのを拒否するようになった。誰が何を言っても、返事をしない。アルに会わせてくれるまで、アルの家に帰してくれるまで、そうするつもりだった。
 何度も何度も、丁寧な口調で、しつこいくらいに食べることを要求されたけれど、断固として口は閉じたままだった。
 ディーはもう、他人の言うがままに従う、意思のない人形ではない。アルが、理不尽な指示や命令は突っぱねればいいのだと、教えてくれたからだ。
 そうやって二日くらい頑張って、意識が朦朧としてきた頃、ようやくディーの希望が通った。
 アルに会わせてくれる、という。
 やっと帰れる、とディーは安心した。アルは元気だろうか。あの時の傷は良くなっただろうか。もうちゃんと動けるのだろうか。早く、早く会いたい。
 新しいお洋服を着せられて、複数の女の人に連れられて向かった先は、今までディーがいた部屋より、何倍も広くて大きな部屋だった。艶々と輝く床がずっと続き、いちばん前にある大きな椅子に、「お父様」 と呼ばれる人がふんぞり返って座っている。ディーは言われるがままその横の椅子にちょこんと腰かけて、アルが来てくれるのを、わくわくしながら今か今かと待った。
 椅子から遠く離れた場所にある扉が開いて、二人の男の人に挟まれ、アルが部屋に入ってきた。
 下を向いていて顔は見えないけれど、あの黒い髪、間違いなくアルだ。
「アル!」
 声を弾ませ、ぱっと椅子から飛び降りる。駆けつけようとしたのに、すぐ近くにいた男の人が慌てたようにディーを止めた。逃れようともがいて暴れても、男の人の腕はびくともしない。
「ディー……」
 伏せていた顔を上げて、アルが目を瞠る。思わずというように足を大きく踏み出しかけて、隣の男の人に後ろから膝裏を蹴られた。
 ぐっと呻いて、アルがその場に膝をつく。
「アル!」
 よくよく気づいてみれば、アルは両腕を後ろ手に縛られて、拘束されていた。その格好で両膝をつき、男の人から頭を容赦なく押さえつけられる。
 ディーの足が小刻みに震え、唇がわなないた。
 なぜ、そんなひどいことを。
「盗人よ」
 重々しい 「お父様」 の声が、広い部屋に朗々と響く。そちらに目線を向けるアルの顔には、殴られたような跡がいくつも残っていた。後ろに廻された腕を捩じり上げられ、苦痛に顔を歪める。憔悴したように頬がこけているのは、あまり食べていないからなのだろうか。そしてそれはきっと、ディーのように、自分の意志でしたことではないに違いない。
 どうして、どうして。

 胸が苦しい。どこにも傷はないのに、身体じゅうが痛くてたまらない。
 どうして、アル。

「本来であれば縛り首であるところ、そなたの命を助けてやるは、ひとえに我が娘、ディアナのたっての望みであることを忘れるな。理由はともあれ、憎きエルドランの手から娘を救ったのも、そなたである。その功績に免じて、これまでの罪は不問としてやろう。それは王ではなく、父親としての温情によるものだ。この件について、今後一切、他言は無用。余計なことを口にすれば、即刻その命なくなるものと思え。すべて、忘れてしまうがよい」
「…………」
 アルは無言で、石になったように身動きしなかった。
 もうその目は、こちらを向きもしない。
「……アル」
 ディーの口から、ぽつりと小さな呟きが漏れる。「お父様」 は、今度はディーのほうに顔を向けた。
「そなたももう、あの者のことは忘れねばならぬ。城に戻った以上、そなたはそなたの人生を取り戻すのだ。これまでの長い月日、あまりにも不憫であったが、そなたには王族としての務めがある。きちんと食事を摂り、知識と教養を身につけよ。これ以上駄々をこねるのなら、あの者はこのまま罪人として裁くがよいか」
「──……」
 ディーは小さく首を横に振った。わずかな揺れのようなその動きは次第に大きくなって、最後には首が取れそうなほどに大きく激しく振った。
 ぼろぼろと涙を零しながら。
「よし」
 それを確認して、「お父様」 は頷いた。
「そなたもよいな」
 口をぐっと引き結んでいたアルが、固い顔つきで、目を伏せる。
 そのまま、身体を折り曲げるようにして、深く叩頭した。
「……ディアナ王女に、幸あらんことを、願います」
 掠れた声で、そう言った。
 それが、別れの言葉になった。



 ディーは部屋に戻ってから、泣いた。
 身も心も壊れてしまうくらいに、たくさんの大粒の涙を零し、わあんわあんと力の限り泣き喚いた。
 いつまでも、いつまでも。
 ひとりぼっちの、その場所で。



BACK   NEXT

Copyright (c) はな  All rights reserved.