短編17

楽土(8)




 アルは前だけを向いて、闇雲に足を動かし続けた。
「おい、アル。アルって」
 後ろのイーガルが、息を乱しながら、何度もアルに対して呼びかけている。
 五十を越えてからというもの、体力の衰えを口癖のように愚痴るイーガルが、二十代半ばのアルのハイペースに合わせるのは相当きついだろう。だったら諦めればいいのに、ぜえぜえ言いながら必死でついてこようとするものだから、アルも止まらざるを得ない。この調子で無理をされて、心臓発作でも起こされたら困る。
 アルが立ち止まったことで、イーガルも、やれやれ助かった、というように足を止めた。汗だくになった顔を拭い、大きく息を吐きだす。
「やあ、いい風が吹いてるな」
 とイーガルは心地よさげに目を細めたが、それは今まで人混みの中にいたのと小走りをしたのとで、身体が火照っているためだ。風は寒いと感じる程度に冷たくて、汗をかいた後にいつまでも吹きさらしの中にいたら、今度は風邪を引いてしまう。
「……どこかの店で、温かいものでも飲んで行こうぜ」
 アルはそう言って、今度はゆっくりした歩調で足を踏み出した。「ああ、そうだな」 と頷き、イーガルも再び歩き出す。
 足を動かしながら、ちらっと後ろを振り返り、感嘆するような間延び声を出した。
「俺はこういうのははじめてなんだがね、毎年こうも人出が多いもんかねえ」
 一年に一度、民が王族の顔を堂々と拝むことの出来る、国の行事のことだ。もう随分と人だかりから距離が離れたというのに、未だにそちらのほうからは、賑やかな歓声と喧噪が風に乗って流れてくる。
「さあね」
 アルもその疑問に対する答えを知らなかったので、素っ気なく返事をした。
 新年の挨拶といっても、遙か高い場所から王の一家が手を振るだけのことである。しかもそれは、長い待ち時間と比べれば、ほんの瞬きくらいのわずかな時間しかない。わざわざそんなものを見物に行くのは、よっぽどのヒマ人か酔狂なやつくらいだろう、とアルはこれまで興味を抱いたこともなかった。
 しかし実際その場所に来てみれば、ヒマ人と酔狂なやつのなんと多いことか。そこにいる全員が熱心に王を崇拝しているとも思えないので、半分くらいはお祭り気分でやって来た人間なのだろうけれど。
「……今年は特別なんだろ」
 アルは低い声で呟いた。
 ──なにしろ、幼い頃に攫われて、ずっと長いこと王室から離れていた 「ディアナ王女」 が、ようやく人前に姿を現すというのだから。


 行方知れずだった王女が十年ぶりに見つかったという報は、あっという間に国中に広まり、人々に大いなる驚愕をもたらした。
 王女誘拐の黒幕であったエルドラン公は、すっかり稀代の悪人として名を馳せた。この国ではもう、エルドラン公といえば、「卑劣な裏切り者」 の代名詞だ。物語の中にも登場するので、子供でさえその名を知らない者はない。
 一方、王女のほうは。
 初めのうちは、完全に悲劇の主人公扱いだった。数奇な運命に翻弄された幼い王女の話は、人々の涙を誘い、同情を買った。寄ると触ると誰もが口を揃えたように、「お気の毒に」 「お可哀想に」 と嘆く。王女をモデルにした戯曲が、数えきれないくらい作られたほどだ。
 ……が、その興奮が収まってくるにつれ。
 まったく表に現れない王女に対して、訝しむ声が出はじめた。一年経っても二年経っても、公の場には一切姿を見せない王女。次第に、悪意混じりの推測が、水面下でひそひそと囁かれるようになっていった。
 実は、誰にも見せられないほどの醜い容貌なのでは?
 あるいは、囚われの身になっている間に、すっかり頭がおかしくなってしまったのでは?
 無責任な噂は噂を呼び、人々が 「ディアナ王女」 に向ける目は、同情から憐憫と嘲笑に変わった。相手が自分と隔たった場所にいればいるほど、人はどこまでも意地悪くなれる。
 その王女が、三年目になってやっと人前に出てくるというのだ。集まった人の数が例年よりもずっと多いというのは、当然のことだったかもしれない。
 大窓が開く前、バルコニーを見上げる人々の目は、どれもこれも珍しい動物を眺めて喜ぶような、あからさまな好奇心でぴかぴかと輝いていた。

 その空気が一変したのは、王女が出てきた瞬間だ。

 王、王太子に続き、一人の娘が大窓を通って現れる。
 柔らかそうな金色の髪を風になびかせ、淡い色のドレスに包まれた華奢な身体をぴんとまっすぐに伸ばして、彼女はじっとバルコニー下に視線を向けていた。
 透き通るような白い肌、大きな栗色の瞳、かたち良く整った鼻と、小さな愛らしい唇。
 かつて国いちばんの美貌と謳われた亡き王妃によく似た、繊細な面差し。
 観衆は、くるりと掌を正反対に返して、歓喜の声を上げた。手を叩き、腕を突き上げ、頬を紅潮させ、王女を褒め称える言葉を熱狂的に繰り返す。その中に、王や王太子に関心を向ける者はほとんどいなかった。


「──ディーは綺麗になってたなあ」
 イーガルがぼそりと独り言のように呟く。
 そうだ、確かにディーは綺麗になっていた。あっという間に人々を虜にするほどに美しくなっていた。硬かった蕾が、三年の月日を経て、見事に花開いたように。
 でも。

「……でも、ちっとも幸せそうじゃなかった」

 拳を強く握りしめ、アルは吐き捨てるように言った。
 イーガルだって気づいたはずだ。ディアナ王女の──ディーのあの青白い顔色を。
 アルの家で暮らしいていた一年と少しの間に、ようやく浮かぶようになった明るい光が、無残にもまた失われていたことを。
 あれだけ本人が努力して、頑張って、やっと手にしたもの。
 生きる喜び、生きる力だ。
 そのともしびが再び消えかけているのを目にして、アルは自分の顔から血の気が引くほどの衝撃を受けた。
 どうしてだ、ディー。
 生まれた場所に戻れて、血の繋がった家族と再会して、アルのところにいた時よりもずっとたくさんのものを与えられて、幸福になっているはずじゃなかったのか。
 どうして、誰が、お前の顔から朗らかな笑いを奪い去った。
 一体何があって、地下室にいた時のような、いいや、あの時よりもさらに深い、空虚な穴のような目をするようになってしまったんだ。
 バルコニーに出てきたディーの視線は、一心不乱に何かを探し求めていた。
 栗色の瞳は、たすけて、たすけて、と懸命に訴えているようだった。
 ──その場所に、お前を救ってくれるものは何もないっていうのか。

「ちくしょう……」
 我慢できなくなって、その場に立ち止まる。黒髪の中に手を突っ込んで下を向き、低く呻いた。

 あんな顔をさせるくらいなら、どうしてディーをアルの許から引き剥がした。孤独と不幸しか与えられないのなら、地下に閉じ込め続けていたエルドランと一体なんの違いがある。
 それでも、そんなディーにアルは何もしてやれない。王女と平民、現実的にもバルコニーの上と下では距離がありすぎて、声をかけることも出来ない。自分への怒りで、腸が煮えくり返りそうだった。
 三年。三年だ。俺だってそろそろウンザリだ。やっと外に出てくる 「ディアナ王女」 を一目見て、そこで幸せそうに笑っていたら──もうディーは大丈夫なんだなと納得できたら、その時こそ自分の心にきっちりと決着をつけて、一歩を踏み出そうと考えていたのに。
「あと半年ほどで、王女は隣国に嫁ぐことになるそうだぜ」
 ディーがいなくなってからの一時期、荒んだ生活をしていたアルを叱咤して立ち直らせたイーガルが、明後日の方向に顔を向けながら世間話のように口にする。
「…………」
 アルはぐっと口を引き結んだ。
 ──俺からディーを取り上げたその手で、今度は別の場所へと放り出すのか。
 しばらくの無言を置いて、イーガルのほうを向く。アルの目に、もう迷いはなかった。
「……イーガル、頼みがある」
 その言葉に返ってきたのは、やれやれというような苦笑だ。
「そう来ると思ってたよ。……あのなあ、アル、お前は自分で思っているよりもずーっと、情が深いんだ。誰かを必要として、誰かに必要とされないと、生きていけないのさ」
 そして、ぽんと自分の胸を叩いて、「まかせとけ」 と請け負った。


          ***


 机を前に、ディーはじっと動かずにいた。
 一点の曇りもないほどに磨き込まれた机の上には、真っ白な紙。ディーの右手にはペンが握られているものの、ずっと同じ状態を保って止まったままなので、インクもすっかり乾いてしまった。
 バルコニーの上からアルの姿を見てから一カ月、毎日こんな調子が続いている。「アルへ」 からはじまるお馴染みの手紙を書こうとしても、どうしても手が動かない。彼と離れてから、一日だって欠かさず書き続けてきたものなのに。
「──……」
 短い息を洩らして、ディーは結局、机の上にペンを置いた。
 何かを書こうとしても、何も浮かばないのだから仕方ない。下のほうから射抜くようにこちらに向けられていたアルの怒ったような視線を思い出すと、頭の中が真っ白になってしまう。手紙を書いたところで、それは決してアルの目に触れることはないのだと判っていても、無理だった。

 これでまたひとつ、やることをなくしてしまった。

 城に戻ってからの三年で、ディーの中からは少しずつ、いろんなものが失われていった。知識と教養と礼儀作法をみっちりと詰め込まれ、その代わりに大事な何かが抜け落ちていくような感覚。いちばん大事なものだけはなくさないように、縋りつくような気分でアルへの手紙を書き続けていたのだけど、それももう終わりになりそうだ。
 ──諦めることには、もう慣れた。
 これからも、そうやっていくしかないのだ。ディーにはもう、帰るべき場所など存在しない。王女としての振る舞いは身についても、ディーという人間の中身は空っぽのまま、ただ時間の流れを眺めていくだけ。
 九年もの間、薄暗い地下室で暮らしていたのだから、出来ないわけがない。
 あの頃だって、そうやって過ごしていたのだもの。何も思わず、何も考えず、何も知らずに、食べることと寝ることだけを繰り返していればいい。生存だけを続けていくのはちっとも難しいことじゃない。意志のない人形として扱われるのも、その時と同じだ。

 そう、同じ。

「……っ」
 一粒涙が落ちたら、もう止められなかった。
 ぼろぼろと溢れだす滴が、机の上の白い紙に次々と染みを作っていく。口を掌で覆って、泣き声だけは洩らすまいと必死でこらえながら、ディーは泣き続けた。
 同じなんて、そんなはずがない。
 こんなにもつらく苦しく、胸が痛むのは、ディーが人の愛情というものを知ってしまったせいだ。地下の部屋で何も知らないままでいられたら、こんな思いをせずに済んだ。
 ……でも、アルと過ごした記憶をなくしたいとは、思わない。
 ディーはどうすればいい。誰に聞けば、教えてもらえる? 自分一人で答えを見いだせるほど、ディーは強くなんてなれない。

 その時、カチン、という音が鳴った。

 最初は、空耳だと思った。
 が、自分の前にある紙が浮き上がるようにふわりと揺れているのを見て、ディーは顔を上げた。
 ──風?
 涙に濡れた目を瞬き、頭をゆっくりと巡らせる。風は、中庭に面した窓のほうから吹いていた。
 王女の私室の窓は、通常どこも厳重に施錠されていて、換気のためにしか開けられることはない。その仕事でさえ、ディーではなく、別の人間がすると決められている。今は夜間で、この部屋にはディー以外に誰もいないのに──
 両開きの窓が開いている。そしてその向こうに、黒い人影。


「……よう。久しぶりだな、ディー」
 窓の外、人一人が立てるくらいの狭い半円形のスペースに、アルがいた。


「──ア、ル?」
 白い手すりに背中をもたれさせ、こちらを向いて微笑んでいるその人を目にしても、ディーはまだ信じられなかった。
 無意識に椅子から立ち上がったものの、棒のようにその場に突っ立っていることしか出来ない。
 アルは、最初に会った時のように、上下ともに黒い服を着ていた。背後の闇と同化して、今にもその中にするりと紛れて消えてしまいそうだ。
「どうやって、ここへ」
 ようやく自分の口から滑り落ちた声は、聞き取れないくらいに、か細く弱かった。
 一カ月前、遠く離れた場所にいたアルが、今は数歩近づけば触れられる位置にいる。なのに、足が動かない。
「衛兵がたくさん、いたでしょう?」
 言いたいことは本当にそんなことなのだろうか。他に、もっと口にすべきことがあるのではないか。そう思うけれど、ディーの舌はちっとも自分の意のままに動いてくれなかった。
「ああ、大変だった」
 内容とは裏腹に軽い口調で言って、アルが両手を上げながら肩を竦めてみせる。
 三年の月日は彼の容姿をすっかり大人の男性に変えてしまったけれど、そういう仕草は以前と同じだ。ディーはちゃんと覚えている。この顔、この声、この優しい瞳。
「イーガルが張り切っちゃってさ。そろそろ引退しようと思ってたから、これを最後の大仕事にするんだって。知ってる情報屋を片っ端から動員して、城内のことをくまなく調べ上げたんだぜ。構造と部屋の位置、侵入経路に手段に、警備の巡回時間。果ては朝食のメニューまで」
 くくっと笑う。
「それでもやっぱり、時間がかかったな。本当はもっと早くに来るつもりだったんだけど。あんまり俺が苛々するもんだから、『一世一代のお宝を盗み出そうってんだから、念には念を入れるのが当たり前だろうがこのアホ』 って、イーガルにどやされた」
 何を思い出しているのか、頭に手を当てて、痛そうに顔をしかめた。
「お宝……」
 呟いて、ディーは困惑した。
 城の宝物庫は、まったく別の場所にある。王女が身につける豪華な装飾品も、違うところに保管してあるので、ここにはない。
 じゃあ……

「おまえが決めるんだ、ディー」
 真面目な表情になったアルが、ディーをまっすぐに見つめて言った。

「地下の部屋から連れ出したあの時とは違う。俺の手を取って一緒に来るか、このままここに留まるかは、おまえが決めろ。自分の意志でだ」
 こちらに向かって差し出された手を見て、ディーは思わず一歩を踏み出した。
 けれどその動きは、そこでぴたりと止まった。両手をぎゅっと握り合わせ、アルを見返す。
「……一緒に、行っても、いいの?」
「それを俺に聞くのか?」
「だ、って、きっと、大騒ぎになるもの。アルは、捕まってしまうかもしれない」
 無邪気にアルの迎えを待っていたあの頃とは違う。今のディーはもう、自分の行動がどんな結果をもたらすかの判断くらいは出来る。
 ここでその手を取れば、その瞬間からアルは王女誘拐の罪を負うことになってしまう。それで捕まったら、エルドラン公と同じ運命を辿ることは目に見えていた。
 アルと別れた三年前の光景が脳裏を過ぎる。もう、彼をあんな目に遭わせたくはない。
「俺だって捕まるのは御免だ。……けど、この時を逃して後悔するのは、もっと御免だ」
 アルの強い視線がディーの目を捉えた。
「ディー、他のことは考えず、ただ自分の心に忠実になりな。自分がどうすれば後悔しないか、どうすれば笑えるか、それだけを考えて決めるんだ」
「…………」
 どうしたらいいのかというディーの疑問に答えるかのようなアルの言葉は、非常に率直で明瞭だった。そう、アルはいつもそうだった。城の人々のように、持って回った言い方や、言葉の裏を読み取らせるような真似はしない。だからこそ、しっかりと届き、響く。ディーが決して間違わないように。
 どうすれば、笑えるか。

 ……それなら、わかる。

 ディーの足がやっと動いた。踏み出した一歩はそのまま駆け足になって、ディーは勢いよくアルの身体に飛びついた。
「行く。アルと一緒に行くよ」
「──うん」
 背中に廻された腕に力がこもる。アルは痛いほどの力でディーを抱きしめて、金の髪に強く頬を押し当てた。
「俺はもうおまえを子供として見られないから、以前と同じ、ってわけにはいかないぞ。わかってるか?」
「うん」
「城でのような暮らしもさせてやれない」
「うん」
「本当の家族とも縁切りになる」
「うん」
「保護者じゃなく、男として見た場合、俺はちょっと面倒なやつかもしれない」
「よくわからないけど、うん」
 少しだけ離れて、ディーは正面からアルを見た。以前はずいぶんと遠くに感じた顔が、こんなにも近くにあるというのは不思議な感じだ。
 ふわふわと足許から浮き上がるような気分。さわさわと背中を撫でる温かいもの。お腹の中で踊っている何か。自分の裡からこぽこぽと無限に湧き出すあぶく。
 ディーは知ってる。この感情を、なんと呼ぶのか。

「私、アルが好き。大好き。いちばん好き。ずっと一緒にいたい」
「…………」

 アルが顔を赤くした。
 彼のそんなところを見るのははじめてで、ディーの胸は喜びではちきれそうになった。
 これからも、知らない顔をいくつも見たいよ。
「でも、アル」
 そこで思いついた。途端に喜びが萎み、しょんぼりと肩を落とす。
「私、三年前と同じで、アルの役に立てるようなことは何も出来ない。それでもいい?」
 城にいた間、ディーが覚えたことといえば、勉強以外には、王族としての礼儀作法くらいだ。お茶を淹れることすら、ここではやらせてもらえなかった。知識は増えても、生活の知恵は、まったく身についていない。むしろ、前よりも後退したくらいかもしれない。料理も掃除も洗濯も出来ない。そんな自分がそばにいて、アルを喜ばせるようなことがしてあげられるだろうか。
「うーん、そうか」
 アルが考えるように首を傾げるのを見て、身を縮めた。今まで、自分が 「出来ない」 と言った時の、城の人たちの冷たい態度を否応なく思い出す。だったらやっぱりやめよう、と言われたらどうしよう。
 アルはディーを見て、にこりと笑った。
「──じゃ、これからまた、覚えていかないとな」
 ディーの目からまた涙がこぼれた。うん、と言いながら泣いた。泣きながら笑った。

 その夜を境に、ディアナ王女の姿は城から消えた。


          ***


 城からの追手はかからなかった。
 ディアナ王女が急な病で亡くなった、という公式発表がなされたのは、しばらく経ってからのことだ。国民は驚いたが、今まで表に出てこなかったのは病弱だったからなのかと解釈し、薄幸な王女の死を悼んだ。
 葬儀は、王妃に比べてひどくささやかに、ひっそりと執り行われた。
 ディアナ王女という存在は、もう、この世からなくなった。
 それが打算によるものだったのか、王家の誇りによるものだったのか、それとも親としての最後の情であったのかは、判らない。



          ***


 ──アルとディーは、今、国のはずれの小さな村で、小さな家を借りて、つつましく暮らしている。
 アルは鍵師としての仕事の傍ら、他にもいろんな仕事をかけもちして、生活費を稼いでいる。身軽で、手先が器用な彼は、あちこちで重宝されているらしい。盗人稼業からは、きっぱりと足を洗った。
 決して贅沢な暮らしではないけれど、幸せな毎日だ。
 元締めを引退したイーガルも、諸々の片付けをしたあとで、アルとディーの住むその小さな村に引っ越してきた。早く孫の顔が見たい、と事あるごとに催促するので、まだ新婚気分を味わいたいアルとの間で言い争いが絶えない。
 ディーはいつも、にこにこと笑いながら、それを眺めている。


 そして、思う。
 つらいことも、苦しいことも、悲しいことも、たまにはあるけれど。
 生きていくのは、やはり楽しいと。


Fin.



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