はるあらし

2.交際通告



 おれはまじまじと目の前の春音さんを見つめたが、彼女の表情は最前からまったく変わりなかった。慎ましやかに微笑んでいるその顔を見て、自分の聞き間違いを恥じる。
 そうだよな、まさかこんな淑やかな女性が、舌打ちなんてするわけがない。
 気のせいだ、気のせい。
「哲秋さん」
「は、はい」
 そんなことを考えている時だったので、春音さんに名を呼ばれて少々狼狽した。どこまでもおっとりとした声に、居たたまれなさと申し訳なさが倍加する。そもそも自分は今、この相手に、「見合いの断り」 を入れているところなのだった。
「ええと、春音さ」
「哲秋さんは、今ひとつ、この話の本質が見えていらっしゃらないようなのですけど」
「は?」
 春音さんにニコニコしたままそう言われ、おれは目を瞬いた。

「──このお見合いは、そもそも結婚を視野に入れたものではないんですよ?」

「え……」
 ぽかんとするおれに、春音さんが笑みを深める。
「お見合いなんて大なり小なり打算や計算がつきものですけれど、このお話は一般のそれとは少々話が違います。本来なら、この場にいるのは、桜庭の家に釣り合うような、そして結婚することによって双方に利がもたらされるような、もっと良いおうちのかたであるはずなんですのよ。どうしたって、お立場的に、そうなりますでしょう? 私のような桜庭系列の、要するに下のほうにいる人間の娘が来るなんて、おかしいと思われませんでしたか?」
「いや、そんな」
 おれは慌てて手を振って否定しようとしたが、春音さんはちっとも頓着していなかった。笑顔のどこにも影はなく、口調は事実を述べるように淡々としている。卑屈な意味で言っているわけではないようだ。
「哲秋さん、お兄様は、もうご結婚されていますでしょう?」
「は? はあ」
 きょとんとしながら返事をする。
 五歳年上の兄の智は、二十七の時に結婚をした。兄も結局見合いで相手を見つけて、現在は近くのマンションで別に所帯を持っている。二人の子供にも恵まれて、それなりに円満にいっているようだ。
 ……でも、それが何か?
「そのお兄様が、何回お見合いをされたのか、ご存知ですか?」
「はあ?」
 突然の話題に面喰らう。つい間抜けな声を出してしまったが、春音さんがニコニコしながら答えを待っているようなので、しょうがなく、えーと、と考えた。
「二、三回、かな……」
「ブー」
 朗らかに笑ったまま、春音さんが言った。今度は聞き間違いじゃない。この場合のブーは、噴き出した音ではなく、クイズ番組でよくある、「不正解の音」 であるらしい。子供っぽくて可愛いというより、ものすごく容赦ないダメ出しのように聞こえた。
 ……いや。気のせい、だよな?
「はずれです。正解は、十六回」
「え!」
 おれは思わず声を上げてしまう。
 なんでそんなことを第三者の春音さんが知っているのか、という疑問より、驚きのほうが上回った。おれには涼しい顔でただ結婚相手を紹介しただけだったが、実は十六回も見合いをしていたのか、兄!
「その筋では、けっこう有名な話なんですよ?」
「え、その筋って、どんな筋ですか」
 春音さんはニッコリ笑って、おれの問いかけを見事にスルーした。
「お相手はどなたも釣り書きでは申し分のない、良家のお嬢様ばかりだったとか。どのお話もすべて、お母様ご自身がお兄様に直接持ち込まれたそうです。お仕事第一で結婚願望のほとんどなかったお兄様にあの手この手でお見合いをさせて、ようやく十六回目で良縁がまとまったのは、お母様の手腕によるものが大きかったという、もっぱらの評判ですわ。つまりそれほどまでに、お母様はご子息の結婚について、並々ならぬ執念をお持ちだということです」
「…………」
 てことは、おれがこの見合いから逃げたとしても、この後十五回の見合いが待っているということなんだろうか。今朝の母の強引な手法を思い返すに、どんな手を使って見合いの場に引きずり出されるのか、判ったもんじゃない。
 おれは心底、十六回も見合いをさせられた兄に同情し、そして同時にぞっとした。
 あの母ならやる。絶対にやる。
 顔色を変えたおれには構わず、春音さんは屈託なく続けた。
「哲秋さんはご次男ということで、お母様も多少大目に見ておられたのかもしれないのですけど、さすがに三十近くになっても独り身でいらっしゃるのが耐えられなくなったんでしょう。今回、私の家のような格下のところにお声がかかったのは、いわば、試験的な意味合いによるものなんです」
「え──」

 試験?

 呆けているおれに、春音さんはまたニッコリした。
「お母様は、一向に結婚の意志がなさそうな哲秋さんに、どうも、いろいろとご心配されていらっしゃるようで」
「え、心配って」
「ご自分の息子が、同性しか愛せないのではないか、とか、もしくは結婚できない身体上の欠陥があるのではないか、とか」
 さらっと言われて、おれは 「は?!」 と仰天した。
「欠陥って」
「つまり性的に不能な」
「いやハッキリ言わなくていいです!」
 慌てて遮る。そんな内容を口にしているとは思えないほど、春音さんが浮かべている微笑みは、最初となんら変わらず清楚なものだ。表情との落差についていけない。
「ですから、お母様の心積もりとしては、私のように、どうでも対処できる相手とまずお見合いさせてみて、様子を見よう、ということなのだと思います。実質上の政略結婚をする前の、お試し見合い、とでもいいますか。来たるべきその筋のお嬢様とのお見合いの、予行演習みたいなものですわ。そういう女性といきなりお見合いさせて、話がまとまった後で問題が発覚した場合、ちょっと困りますものね」
「よ、予行演習……」
 くらくらする頭を押さえた。見合いの予行演習て。小学校の運動会じゃないんだから。
 さっきの母親の教官みたいな目はそういう意味だったのか。母にとって、これは本当の意味での 「試験」 だったわけだ。
「そのようなわけで、このたびのお見合いは成立したのです。ですから結婚に向かうのが目的ではないとはいえ、私のほうには、こちらからお断りする、なんていう選択肢は存在しておりませんの」
「…………」
 にこやかに言われて絶句する。まさか母がそんなことを考えているとはちらりとも頭を過ぎることなく、ここまでのこのこ出かけてきたおれって、本当のアホなんじゃなかろうか。
 たまらなく恥ずかしい気持ちになって、おれは眩暈を起こしそうになる頭を何とか立て直し、まっすぐに姿勢を正した。とりあえず、自分と母親に腹を立てるのは後回しだ。
「──いや、でも、そうだとしたら、春音さんにはとんでもなく失礼なことでした。申し訳ないです」
「…………」
 改めて再び頭を下げたおれに、春音さんは微笑んで少しだけ首を傾げた。
「哲秋さんに謝られるようなことではないと思いますわ。それらを承知で父はお受けしたのですし、私はここまで来たのですから」
 すべて承知で、と言われて、ますます身が縮む。これが本当だとしたら、春音さんも、春音さんのご両親も、桜庭の系列会社というだけで、おれの母に利用されただけということだ。いい面の皮ではないか。
「……すみません、春音さん。でしたら、この件はおれのほうから穏便に断りを」
「それも困るんですの」
「は?」
 詫びている対象にすっぱり言われ、おれは下に向けていた頭を上げた。
「お判りになりません?」
 春音さんに訊ねられ、また、は? と問い返す。まったくお判りにならないおれを見て、春音さんは微笑みを動かさないまま、「……ボンボンはこれだから」 とボソッと呟いた。
「──は?」
「ふふ。近くに、美味しいボンボンが置いてあるお店があるんですよ、哲秋さん。甘いものがお嫌いでなければ、帰りにお寄りになるとよろしいんじゃないかしら」
「…………」
 いや違うよね? 春音さん、今、絶対それとは違う意味でボンボンって口にしたよね? 表情変えてないけど、確かに言ったよね?
「そのような事情で、私からはお断りできないのですけど、哲秋さんにすぐさま断られても、それはそれで具合が悪いんです」
「……はあ」
 しかしおれが戸惑っている間に、春音さんはまったく何事もなかったかのように、ころりと話題を戻した。今のはなんだ。夢か幻か、とおれは混乱したまま返事をするしかない。
「さきほども申し上げましたけど、これは、いずれ哲秋さんが実際に結婚されるべき相応の女性とのお見合いのためのものなんです。それがいちばん最初の段階で潰れてしまってはお話になりません」
「いや、でも……」
「ぶっちゃけて申しますとね」
「は?」
 ぶ……ぶっちゃけ?
「哲秋さんのお母様に打算がありますように、私どものほうにだって、打算があるということです。このお見合いの話をお受けしましたのは、なにも本気で桜庭家に嫁入りしたい、なんてことを望んだわけではなく、独身で女っ気のない桜庭の次男に、結婚ってなんかちょっといいかも、という気分にさせて、少しでも桜庭に恩を売っておきたいという慎ましい願いを抱いたからなんです」
「…………」
 慎ましい、か? おれ本人の意志も意向もすべて無視されたところで勝手にそんな思惑を持たれて、なんだか人間不信が悪化しそうなんだけど。
「私も正直、焦っているんです」
 春音さんは、そっと頬に手を当て、目を伏せた。
「いきなり社長である父が倒れてしまって、会社のほうは大変な状態なんですの。……母は父に大事にされたものですから世間知らずのままで頼りになりませんし、兄は人は好いのですけど仕事に関してはまるっきりのボンクラで同じく頼りにならず」
 目を伏せるその様子はいかにも美しく儚げなのだが、可憐な唇から出るその台詞は、あんまり美しくも儚くもなかった。
「この上、桜庭家のご不興を買ってしまうことにでもなったら、うちの会社には未来がございません。ですから私、今日は会社の命運を背負ったつもりで、それはもう、一世一代の闘志を漲らせてここまでやってまいりました」
「…………」
 闘志……。
 見合いって、そういうものだったっけ……?
「そんなわけで、哲秋さん」
 茫然とするおれの右手は、いつの間にか春音さんによってがっちり掴まれていた。白い手は華奢で柔らかくて温かかったけれど、情緒とかそういったものは一切ない。どちらかというと、格闘家が試合前に 「お互い頑張ろうぜ!」 と握手をする時みたいに、力強かった。

「しばらく、この予行演習を滞りなく進めてまいりましょう」

「え」
 おれはぎょっとして目を丸くしたが、春音さんはしみじみと安堵したように笑った。
「よかったですわ、哲秋さんが節度のある真っ当なかたで。本当言いますと、私もちょっとヒヤヒヤだったんですの。一発で嫌われても困るし、かといって、あまり惚れこまれても困るし。だってあくまで練習なんですもの、本気になられたら、かえって哲秋さんのお母様が怒ってしまわれるでしょう? ずっと綱渡りをしている気分だったんですよ。でもこれで安心ですわね、哲秋さんにも今のところご結婚するつもりがないのなら」
「ちょ、ちょっと待ってください」
 おれはここでようやく、我に返った。
 いかんコレ流されている場合じゃない。
「滞りなく進めるって」
 慌てて言いながら掴まれた自分の右手を抜こうとしたが、ぎっちりと捕われていて無理だった。デジャヴ感に襲われ、くらっとする。なんなんだ、今度は洋服じゃなく、手か。
「つまり、おれにしばらく、あなたと付き合う演技をしろと」
「名案でしょう? 私も本音を晒せてスッキリいたしました」
 確かにスッキリしたような顔をしている。そのスッキリには、おれの意見はまったく含まれていないらしいのだが。
「いや、でもそれは」
「それがお互いのためですわ。そう思いません? 私も病身の父に顔向けできますし、哲秋さんも、ホモ疑惑を払拭できますものね。性的不能疑惑までは解消できないかもしれませんけれど」
 にっこりしながらそんなことを言わないで欲しい。
「けど、おれは」
「なにも結婚を迫っているわけではありませんのよ? 少しの間だけ私と付き合うフリをして、しばらくしたら上手いことお母様にお断りになったらよろしいんです。お母様にとってこれはただの試験的お見合いなんですもの、女性に興味がないわけではないと判りさえすれば、すんなり了承されると思います。あ、でもその場合、私のことはあまり悪く仰らないでくださいね、今後のこともございますから」
「あのね、春音さん」
「そうと決まったら、私のことは、ハルとお呼びになってください。親しい人間は、大体そう呼びますの。はるね、って少し呼びにくいでしょう?」
 そうと決まったら、って、なに。いつの間に決まったことになったんだ。
「そうじゃなくて」
「この提案にお乗りにならないと、これからの哲秋さんに待っているのは、ひたすら見合い漬けの日々ですわ。あるいは病院に行けと命令されて、アレコレ検査されたりするかもしれませんわ。それでもよろしくて?」
 段々、脅迫じみてきた。ニコニコ顔を崩さない春音さんの脅しは、おれの母と同じくらい、怖かった。
 しかしおれは、まだ困惑したままだ。ちょっとだけ付き合うフリをしてから断ればいい、なんていう単純な話だろうか、これ。それにたとえ芝居だとしても、現在のおれは、女性と付き合うということに、どうにも抵抗がある。
「でも……」
 とまた言いかけたら、春音さんは笑みながら首を傾げた。
「哲秋さんは、そんなに私のことがお気に召しませんか? 顔を見るのも、すぐそばで息をするのも不快なくらい嫌なタイプですかしら」
「い、いや、そういうわけじゃなく」
「でしたらよろしいんじゃございません?」
「そんな極端な」
「お互いにとって問題ないと思います」
「けどね」
「さっきからずっと、でも、と、けど、ばかりですよ。ハッキリさせましょう」
「でも」
「優柔不断男が」
「は?」
「ふふふ。YOU充分普段は男らしい性格でしょう、って」
「なんかもう誤魔化す気もなくなってきてますよね、ハルさん!」


 ──そんな次第で、おれは、このわけの判らないハルさんと、お付き合い(仮)をすることになった。



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