遠くの星

16.遭遇



 終業式から土日を挟んで、月曜日がクリスマスイブだった。
 さてこの日、私にはせねばならないことがあった。家を空けることである。
 しなければならない用事があって家を空ける、のではなく、家を空けること自体が目的なのだ。バイトは午後からだから、とにかくそれまでの間、家を出て、時間を潰さねばならない。
 なぜか。言うまでもない、トモ兄を避けるためである。
 トモ兄は毎年この日には、私にプレゼントを届けてくれる。私がどんなに丁寧にご辞退申し上げても、あの有無を言わせない綺麗な笑顔で押し切られる。上手にかわす知恵もないばっかりに、私は毎回のように美しくラッピングをされた包みを手に、途方に暮れることになるのだ。
 顔を見るから断れないんだ、と、高校二年生になってようやく気がついた私は、そんなわけで、今年のクリスマスは家を不在にすることにしたのである。お正月にしっかり話をするためにも、今はこれ以上問題をこじらせたくない。
 朝食を済ませてからさっさと外出の用意を始めると、母は驚いた顔で目を真ん丸にした。
「あらっ、なによ、出かけるの?」
「うん」
「やっだー、クリスマスに一人で買い物って、寂しすぎるじゃない」
 母が無遠慮にけらけらと笑う。寂しくて悪かったね。というか、ここはふつう、「デート?」 とか訊ねるのが一般的じゃないのか。なんで娘にそんな相手もいないと頭から決めつけているのだ。なんとなく、それはそれで面白くない。
「外で適当に昼食べて、そのままバイトに行くから。夜まで戻らないからね」
「一人で買い物して、そのあとバイトなの? んまー、こんな日に、あんたって子は本当に可哀想ねえ」
 今度はしみじみと憐れむような目で私を眺めてくる。うるさいよ、とよっぽど言ってやりたかったが、なんとか我慢した。その代わり、ちらりと母を窺って、なるべくさりげなく口を開く。
「──あのさ、もしもトモ兄が来たら、さ」
「ああ、そうよねえ。今年もあんたにプレゼント持ってくるのかしらね。あの子も几帳面っていうか、律儀よねえ〜。いつまでも、あんたを小学生の子供だと思ってんのね」
 小学生の子供に高価なアクセサリーをプレゼントする人間がどこにいる、と内心で思ったが、私はあえて母に同意した。
「うん、そうなんだよね。でも私、もう高校生だし、バイトをはじめてお小遣いもまあまあ足りてるし、自分で買いたいものがあれば自分で買えるから、もうトモ兄に気を遣ってもらわなくてもいいと思うんだよね」
「ホントそうよねえ」
 まったくだ、と深く頷く母に、ここぞとばかりに強く駄目押しした。
「だから、お母さんからも、トモ兄にそう言ってよ」
 卑怯な手であろうとなんだろうと構うものか。私がどんなに断ってもトモ兄は聞く耳を持たないが、母に言われてまで強引にプレゼントを押しつけてはいくまい、という読みがあった。トモ兄は私の親の前では、どこまでも 「従兄」 の顔を崩さない。
 この、良くいえば社交的な、悪くいえば無神経でお喋りな母に、「うちのバカ娘のために余分なお金なんて遣わなくていいのよ、そのプレゼントは他の可愛い同級生にでもあげたら?」 などとガサツな口調で陽気に言われたら、トモ兄もきっと苦笑してそれ以上は言わないだろう。
「そうよね。年下の可愛くない従妹にばっかり構って、知哉君に 『シスコン』 の噂でも立ったりしたら、将来に何かと差し障りがあるかもしれないし。そうしたら、お姉さんに怒られそうだもんね」
 どんな差し障りを想像しているのかは知らないが、考えるように頬に手を当て、母は言った。この場合のお姉さんとは、母の姉、つまりトモ兄のお母さんのことだ。
「じゃあ、もしも知哉君がうちに来たら、そろそろ妹離れするように、お母さんから言っておくわ。夏凛もいい加減、知哉君に甘えるのはやめなさいよ」
「うん」
 母の言葉は内実とはかけ離れていたが、私はほっとして、こっくりと頷いた。


          ***


 家を出たって、特にあてがあるわけでもないので、とりあえず電車に乗って繁華街を目指すことにした。
 季久子を誘ってみようかなあ、とも思ったのだが、彼女の場合、クリスマスに予定が空いている、ということがあるとは思えないので、すぐに諦めた。彼氏がいなくたって、季久子には、彼氏候補の男が両手で数えても足りないくらいいるのである。
 蒼君は、午前中からバイトに入っているはずだ。まあ、もしも入っていなくたって、私に蒼君を誘うことなんて出来るわけがない。正月のことでさえ、今から考えると緊張して胃が痛くなりそうなくらいなのに、この聖なる日に二人きりで会おうなんて無理に決まっている。
 そんなわけで、私は一人、ふらふらとビルの立ち並ぶ街中に出たのだが、着いた瞬間に後悔した。
 なんなんですか、このカップル比率。
 おかしいな、学生はともかく、社会人にとって今日は平日のはずなのだが。行き交う男女の中には、どう見ても二十代、三十代とおぼしき人たちの姿もある。クリスマスでデートだからって、仕事を休むのだろうか。上司はそれを快く承諾してくれるのだろうか。謎だ。
 「聖夜」 というからには、恋人同士がロマンチックに愛を確かめ合ったりするのは夜なのだろうと思っていた。だから昼間はそんなにいないはずだと考えたのだが、それは間違いだった。いやきっと夜は夜でいろいろと楽しむのだろうけど、昼は昼でやっぱり楽しむものらしい。いちゃいちゃと手を繋いだりしてウインドーショッピングをする彼らの中に混じり、私は修行僧のように無心を心掛けた。
 要するに私には、絶対的に経験値が不足しているのだ。それを痛感した。
 普段だとそんなに気にならないのだけれど、普段よりもカップルの数が多いのと、普段よりも彼らの密着度が高めなので、こちらもうっかりすると気もそぞろになってしまう。こういうところでぽつんと一人でいるのは、なかなか忍耐を必要とするものなのだなあ、と私は思い知った。「孤独」 の二文字が子泣き爺のようにだんだん背中に圧し掛かってくる。重い。
 カップルたちは、くすくす笑い合いながら、可愛い小物やアクセサリー売り場を覗いて廻っている。プレゼントって、事前に選んで買っておくんじゃなく、こうやって当日に二人でやって来て買うこともあるのかー、と私はまたまた目からウロコの気分になる。
 そりゃ、貰って困るようなものを選ばれるより、そのほうがピンポイントで自分の欲しいものが手に入っていいのかもしれない。でも、受け取った時のドキドキ感は犠牲にしなきゃいけない。どっちがいいのかなあ、とぜんぜん自分に関係ないのに真面目に考察する。トモ兄がプレゼントをくれる時は、まったく別の意味でドキドキして生きた心地もしないので、そんなことあまり考えたこともなかったのだ。
 しかしそういう様子を見ていたら、私の胸にもうずうずとした気持ちが湧いてきた。

 ──クリスマスプレゼントか。

 今までの私にとって、その言葉はなんとなく気の重いものでしかなかった。まるで恋人に向けるように差し出されるその箱を見て、無邪気に喜んでいたのは中学一年生までのこと。二年生のクリスマスから、それはまるで違うものに変貌し、いつも罪悪感と居心地の悪さを覚えながら、溜め息をついて眺めるだけのものとなった。
 けれど本当なら、それはもっと楽しい気分で贈ったり贈られたりするもののはずなのだ。ウキウキしながらリボンを外し、包装紙を解いて、わあっと目を輝かせて喜び、その笑顔こそが贈った人に対するなによりのお返しとなるような、そんなものであるはずなのだ。
 選ぶ時だって、あれにしたら似合うかな、あっちは好みじゃないかな、どれにすれば喜んでもらえるかなと、期待と心配で胸の中をいっぱいにして、その時間がなにより楽しい、そんなものであるはずじゃないのか。
 たとえば、今の私が、蒼君はどんなものを貰ったら嬉しいのかな、なんて考えているみたいに。
「…………」
 迷ったのは、けっこう長い時間だった。
 ただでさえ混雑しているファッションビルの中で立ち止まるという行為は、かなり迷惑なことであっただろう。すれ違う人たちが、不思議そうな表情で振り返っていく。どん、と後ろから歩いてきた人にぶつかられて、ごめんなさいと謝ってから、私は歩き出した。
 とりあえず、紳士物売り場から順番に廻ってみよう、と思っただけで、もううるさいくらいに鼓動が高鳴りだしていた。



 ……いやしかし、私が甘かった。
 男の子へのプレゼントが、こんなにも難しいものだとは、思ってもいなかった。
 私はこれまで一度も男の子にプレゼントを渡すなどということはしたことがないので、知らなかった。季久子とか、世間の女の子とかは、これをなんでもないようにこなしているわけか。すごい。それだけでもう尊敬してしまう。
 だってさあ、全然、選ぶ余地がないじゃないですか!
 あれもこれも目移りするほど選択肢がある、というのならまだ迷い甲斐もあるかもしれない。たとえば私が男の立場だったとして、女の子にあげるものは、可愛いもの、と大体相場が決まっている。アクセサリーにしろ、洋服にしろ、小物にしろ、無限にある 「可愛いもの」 の選択肢の中で、相手の好みとか予算とかの条件を考慮しつつ、少しずつその幅を狭めていく、それが通常のプレゼント選び、というものだと私は思っていた。
 しかし男、しかも高校生の男の子にあげるもの、というと、その選択肢がほとんど見事に存在しない。いや存在するかもしれないのだが、私の想像の管轄外のためちっとも思いつかない。これがお互いに社会人だったりしたら、まだしも財布だとかネクタイだとか、いろいろ広がってもくるだろうが、すねかじりの高校生風情に、そんなものが買えるわけもない。ネクタイなんて、買ってもしょうがないわけだけど。
 しかも私がプレゼントを渡す表向きの名目は、あくまで 「バイトでいろいろ迷惑かけているお礼」 みたいなものだから、値段的にそうそう張り込むわけにもいかない。お土産のお菓子程度にさらっと渡すことが出来るもの、というのが絶対条件なのだ。
 うーんうーん、と私は迷って悩んだ。
 ファッションビルの中をうろつき回り、あちこちの店をもう何度往復したか判らない。四度目に同じ雑貨店に足を踏み入れた時には、店の奥で、若い女の店員さんが小さく噴き出していた。
 こうなってみると、私は本当にまだ何も蒼君のことを知らないのだな、とつくづく実感する。たとえば手袋ひとつにしたって、びっくりするくらい種類はあるが、どれが蒼君の趣味に合うのかが判らない。バイト先には私服で来るので、蒼君はモノトーン系の、シンプルなものを好む傾向にあるのでは、という気もするけれど、小物類はもしかしてビビッドな色のものが好きだったりするかもしれない。私、そこまでチェックしてないよ! と地団駄踏んで悔しがったって、今さらどうすることも出来ない。まさか電話で質問してみるわけにもいかないしねえ。
 そうこうしているうちに、バイトに行かねばならない時刻が近づいてきて、私は焦った。
 遅刻は出来ない。かといって、ここまできて手ブラで引き下がるのも嫌だ。うううーん、ととうとう声に出して唸り声を立てたら、店員さんがまたさらに噴き出した。
 そしてさすがに見かねたらしく、微笑を浮かべてこちらに近寄ってきた。
「何かお探しですか?」
 と、にこやかに訊ねてくる。
 切羽詰まっていた私は、声をかけられて、かえってほっとした。もう恥ずかしいなどとは言っていられない。切実な問題として、現在の私には助言が必要なのだ。
「あのう、高校生の、えーと、男の子がですね」
 ちょっと顔を赤くしてもごもごと言うと、店員さんはますますにっこりした。私よりも年上の、多分、十代後半か二十代前半くらいの女性で、笑顔の似合う可愛らしい人だった。そばに寄って来ただけで、ほのかに甘い香りが漂ってきたりして、たすけてお姉さん、と全面的に頼りたくなってしまう。
「こう、日常的に使うようなもので、でも自分ではなかなか買わなくて、けどあんまり値段が高くなく、友人同士でやり取りするみたいに、これあげる、あっサンキューというくらいの軽さのものって、どんなものでしょう」
 私の出した超難題に、店員さんは微妙に口を曲げて、「うーん、そうですねー」 と返事をした。声と肩が少し震えているのは、どうやら笑いを堪えているためらしいが、私は気づかないフリをした。
「プレゼント、っていうほど重くはないんですよね?」
「そうです」
「でもそこはかとなく、プレゼント、っていう雰囲気があるといいんですよね?」
「そうです!」
 我が意を得たり、という感じで、首がもげそうなほど大きく頷く。やっぱりお姉さんは女の子の気持ちをよく理解してくれている、と私は感激したが、店員さんは口に手を当て、一生懸命噴き出すのを抑えているみたいだった。
「じゃあ、いっそ文房具系がいいかもしれませんね。たとえば一口にボールペンっていったって、材質だって異なるし、百円程度で買えるものから、万単位のものまで、種類は豊富ですよ。ブランドものの高いやつだと、百万を超えるのもあるし。見た目も、可愛いものやシックなもの、いろいろありますしね」
「ボールペン……」
 私はぽかんとした。あまりにも身近すぎ、値段も安いものだという思い込みがあったから、そんなものちっとも考えていなかった。
 でもそれくらいなら、多少趣味に合わなくても、使ってもらえる可能性がある。少なくとも、貰って困る、というものではないだろう。そして身近なものだからこそ、気負うことなく渡せそうだ。
 ようやく私の頬が緩んだのを見て、店員さんが、「ご覧になります? こちらですよ」 と案内してくれた。
「ここは文具の専門店ってわけじゃないから、そんなに多くはないんですけど」
 と店員さんは申し訳なさそうに言ったが、連れて行ってもらった売り場には、そこそこ種類の揃ったペン類が並んでいた。これ以上あったって、私の頭がパンクするだけなので、これで十分というものである。
 他にもお客さんがたくさんいるというのに、その店員さんは、レジを他の人に任せて、私に付き合って一緒に良さそうなものを選んでくれた。いい人だ。私も本屋で悩んでいるお客さんがいたら、出来るだけ自分から声をかけることにしよう。この店員さんのように適切な助言が出来るかどうかは自信ないが。
 結局時間ギリギリまで二人で悩んだ挙句、実用的で、なかなか格好良いデザインで、そんなに高くはないけれどボールペン一本にしては安くはない、というものを見つけた。店員さんは、それをモダンな柄の包装紙で出来た細長い紙袋に入れて、隅にちっちゃなリボンをペタンと貼ってくれた。
「どうもありがとうございます!」
 その袋を手に取り、弾んだ声で私がお礼を言うと、店員さんはくすくすと笑った。
「いえ、こちらこそ、お買い上げありがとうございます。……頑張ってね」


 私はすっかり上機嫌になってそのファッションビルを出た。
 よし、じゃあバイトに行こう、と張り切って考えたところで、空腹に気がついた。そういえば、朝食べたっきり、飲まず食わずで歩き回っていたのだった。周りにはオシャレなカフェとかがたくさんあるのに一軒も入らずにいるなんて、なんだかもったいないけれど、そんなところで優雅にランチをとる時間的余裕はない。
 とはいえ、胃に何も入れずに夜まで働くのは、やはりキツイものがあるような気がする。蒼君ほどじゃないけど、私だって食べ盛りの育ち盛りなんだし。ハンバーガーでもつまんでいこうかな、とファーストフードの店を探して周囲をきょろきょろと見回し──
「え?」
 私はぎくりと足を止め、その場に棒立ちになった。
 すぐにはっとして、慌てて歩道沿いの街灯の後ろに身を隠す。
 怪訝そうに私を見ていく通行人のことも気にならなかった。私は、街灯の陰から顔だけを出し、目の前の大通りを挟んだ向こうの歩道を歩く人物に、凝然と視線を据えた。
 その人の姿は、車道を走る車に遮られ、見えたり隠れたりしていたが、見間違えなどではないと確信していた。間違えるわけない、幼い頃から、私は彼を近くで見ながら育ってきたのだから。
 ──トモ兄だ。
 歩いているトモ兄は、大通りのこちらにいる私のことにはまったく気づいていなかった。視線を向けもしなかった。そりゃそうだろう。その目は、通りとは反対側の、彼のすぐ隣に向けられている。

 トモ兄の隣には、楽しそうに笑ってお喋りをする、綺麗な女の人がいた。



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