遠くの星

23.道程



 降りた駅は、想像していたよりも、こぢんまりとしていた。
 駅のある町自体が、閑静な郊外、という感じ。ホームから見える景色には、家やマンションと一緒に緑も多い。駅の周りにも、駅ビルみたいなものはなくて、コンビニやファーストフードや本屋なんかがのんびりした雰囲気で並んでいる程度だ。すでに空はすっかり晴れてきて、まだまだ空気は冷たいのだけれど、穏やかな光が地上を包んで、お正月ののどかさを引き立てるのに一役買ってくれていた。
 ホームに降り立ち、きょろきょろと見回すと、「待合室」 というほど立派なものではないけれど、それでも一応そのようなスペースがあった。全面が囲われているわけではないので、風は吹きさらしだが、それでも透明な屋根がついていて、プラスチックで出来た明るい色のベンチは雪で濡れずに済んでいる。よかった、と思いながらそこに座って、私は蒼君がやって来るのを待った。
 ──思ったほど緊張していないな、と、自分の内心を確認してみて、ちょっと不思議になる。
 これなら、昨日の夜のほうが、よっぽどドキドキと胸を上ずらせていたくらいだ。トモ兄以外で、誰か男の子と二人きりでどこかに出かける、という経験が、私にはまったくない。考えないようにしていても、デート、という単語がどうしても頭の中に浮かんできてしまい、布団の中で、顔を赤くしてゴロゴロのた打ち回るという間抜けなことをしていたのだが。
 ぎゃあぎゃあ泣いた反動で、虚脱しているのかな。緊張というよりは、早く蒼君の顔を見たいな、ということばかり思っている自分に気づく。電話の声だけじゃなくて、もっと近くで蒼君の存在を確かめたい。
 ……早く会いたい。
 二十五分くらいの間に、通過電車を一本、停まってまた発車する電車を二本見送った。電車が停まるたび、ベンチから半ば腰を上げるようにして身を乗り出したが、蒼君の姿は見えなかった。降りる人もまばらで、探すのに苦労もないところが、なんとなく寂しい。
 駅アナウンスとともに四本目にやって来た電車が停まる。プシュウ、という気の抜けた音を立ててドアが開き、真っ先にホームに降りてきた人は、すぐに私を見つけて早足で近寄ってきた。
 グレーのパーカにダウンジャケット。長い脚に、色落ちしたジーンズがよく似合う。その格好で、いつものように真っ直ぐな姿勢ですたすたと歩いてくる蒼君を見たら、妙に胸がじんとした。つい、身じろぎもせずに見惚れてしまう。
「なにボンヤリしてんだ」
 声をかけられて、我に返った。
「あ。うん、ごめん。蒼君て、かっこいいなと思って」
「…………」
 思ったことをそのまま口に出したら、蒼君は一瞬黙り、「……寝てんのか」 と、独り言のように呟いた。いえ、さっき起きたばかりなんですけど。
「何分待った?」
「えーと、十分くらいかな」
「何分だ?」
「……二十五分」
 私の返事を聞いて、蒼君が顔を顰める。ちょっと来い、と言うと、突然、私の腕を引っ張った。
 蒼君は、びっくりして目を丸くしている私には構わずにずんずん歩き、ホームにある自動販売機の前まで行って、ぴたりと止まった。
「お前の好みはよく判らない。自分で選べ」
 と言いながら、ジーンズの後ろポケットに無造作に突っ込んであった財布を取り出す。
「え……うん」
 これはどうも、温かい飲み物を買ってくれる、ということなのだな、と私はようやく理解した。蒼君には、優しいところがちゃんとある。だけど、判りにくい。噴き出してしまいそうになる。
 私は素直に厚意に甘えることにした。
「じゃあ、遠慮なく。えーと、何にしようかな。おしるこ、は今日はやめて、コーンスープにしようかな」
 悩む私に向ける蒼君の目は、どこかしら生ぬるい。
「……なんでそんな気色の悪いもんばっかり飲みたがるのか、さっぱり判らない」
 人をゲテモノ食いみたいに。
「気色悪くないってば。美味しいってば。でもねコーンスープはね、どうやって飲んでも、コーンがいくつか缶の中に残っちゃうんだよ。なんか損した気分で腹が立つんだけど、指を突っ込んで取り出すのもいじましい気がするじゃない? あれって諦めるしかないのかなあってずっと思ってたら、飲み口の下のところを少しつぶすと上手に出てくる、って話があってね。あー、みんなやっぱり、同じことで悔しい思いをしてたんだなーと」
「馬鹿なこと言ってないで手を出せ」
 私がだらだらとくだらないことを話し続けているうちに、蒼君はさっさと小銭を入れて、さっさとコーンスープのボタンを押すと、出てきた缶をこちらに向かって突き出した。放るように渡してから、再び自販機を向いて、今度は自分の分らしきホットコーヒーを買う。蒼君は蒼君で、非常に嗜好が偏っている気がしてならないのだが。
 出した両手に置かれたコーンスープの缶は、熱々で握りしめるのが困難なくらいだった。冷え切った手に、じんわりと血の気が戻ってくるような感じがする。
「ありがとう、蒼君」
「まだ飲むなよ。そうやってしばらく持って手を温めろ」
 なるほど、カイロの代わりなのか。
 ふむふむと思いながら両手で缶を包んでじっとしていたら、手の中のコーヒーに目をやっていた蒼君が、小さな声で、「──悪かった」 とぼそっと言った。
「もうちょっと、ちゃんとした待合室があるかと思ってああ言ったんだけど、これじゃ外と変わらなかったな。……俺も、ここには一度来たきりだから」
 私はきょとんとする。仏頂面はいつもと同じだけれど、なんとなくバツが悪そうに、視線が逸らされていた。コート着てるし平気だよー、と言うよりも、蒼君のそんなところは滅多に見られないので、物珍しさのほうが上回った。
「うわあ、鬼教官の蒼君が、私に謝るなんて。そーかー、だから雪が降ったんだね」
「…………」
 すごく納得して、うんうんと頷きつつそう言ったら、蒼君がいきなり、手に持っていたコーヒーの缶を、私の顔にぴったりとくっつけた。
 ホットである。今まで寒風の中にいて、かちんこちんに凍りそうだった頬には、なおさら熱い。私は悲鳴を上げた。
「あつ! 熱い熱い! ちょっと、熱いよ、蒼君!」
「ざまみろ」
「蒼君てけっこう子供っぽい……あっ、スイマセン、嘘です。なんでもないです」
 頬を自分の手の平でガードして、蒼君のコーヒー缶から逃げ回りながら、大急ぎで謝る。
 その姿を見て、蒼君がぷっと噴き出し、私も可笑しくなって声を出して笑った。

 ああ、やっと笑えたなあ──と、しみじみと思った。


         ***


 駅を出ると、蒼君はすぐに、商店街や住宅地をするすると通り抜けるようにして、歩きだした。
 その足取りにまったく迷いはないが、蒼君はいつもそうなので、本当に目的地に向かっているのかどうかは定かでない。大体、どこに向かっているのか今もって謎だ。案外、心の中では、さっきの私みたいに 「どこだろう、ここ」 なんて思っていたりして。
 どこに行くの? と聞いてみたい気持ちはそりゃあるし、訊ねればあっさりと答えが返ってくるのかもしれない。でも、知ってしまうのももったいないような、惜しいような気もして、私は黙って蒼君の向かう方向へと足を進める。なんかこういうのって、ちょっとワクワクするなあ、と思うのが、我ながら愉快だった。
 まるで、これから探検に行く子供みたいだ。行く先に何があるのかな、何が起こるのかな、と期待しながら知らない街を歩くなんてこと、高校生になって経験できるとは思わなかった。
「寒くないか」
 時々、ちらっとこっちを見ながら、蒼君がそんなことを訊ねてくる。大丈夫、と答えると、またすぐに前を向くのだが、歩く速度は明らかに私に合わせて抑えられていた。
 ──そして、十五分ほど歩いて。
 蒼君と私は、目的地に到着した。らしい。
「えっ、ここ?」
 と私は驚いて、石段の上にある、そのお寺を見た。
 私たちが立っているすぐそばには、ちゃんとお寺の名前が記された石の標があるのに、実際に見えるその寺らしき建造物は、かなり小さくしか見えない。
 つまりそれだけ、階段が長い。
「あれ、ここって、蒼君のおうち……じゃない、よね?」
「当たり前だろ」
「お墓参りでもするの?」
「俺は何が悲しくて、正月に、しかも自分ちとは別の寺に、わざわざ墓参りに来なきゃいけないんだ?」
「そ、そうだよね」
 私は改めて、遥か彼方まで延びている (ように見える) 目の前の階段に目をやり、ほえー……という感嘆の声を出した。
「長い階段だねえ」
「安心しろ、ほんの百段か二百段くらいしかない」
「百段と二百段とでは、ものすごい差だよ、蒼君」
「熊本の釈迦院ってとこは、三千三百三十三段ある。日本の寺で一番長い」
「比較対象に日本一長い階段を持ってくるのは、どう考えてもおかしいんじゃないかな」
「別に急いでるわけじゃないから、ゆっくり上ればいい。あと三時間くらいで日が落ちるから、それまでに上に到着するよう努力しろ」
「いくらなんでも三時間もかからないよ!」
 という会話を交わしつつ、私と蒼君はゆったりとしたペースで階段を上りはじめた。
 二百段まではなくとも、百段くらいは確実にある。五十段までいったところで、息が切れて数えるのを放棄してしまったので、正確な段数は判らないのだが。
 蒼君はところどころで足を止めて、私が進むのを待ちながら上っていた。私がぜいぜいいってるのに、蒼君は汗もかかずに涼しい顔だ。なんか悔しい。
「本好きはふつう、運痴だと相場が決まってるもんなのに……」
「お前が運動不足なんだ。だからあんな風にいきなり爆発するんだな」
「…………」
 ぐぬぬ、と私は赤い顔で口を噤む。ここであの大泣きを蒸し返されるとは思わなかった。文句は言わずに、足を動かすことに専念する。
 黙ってみたら、驚くほど周囲が静かなことに気がついた。お正月だからどこもお休みだというのもあるだろうし、このあたりの人通りがまったくない、ということもあるだろう。初詣に、神社ではなく寺に来る人はあまりいないらしい。
 お寺の前は道路を挟んで川、周りはちょっとした雑木林みたいになっている。その先へと目をやれば、ちゃんと立ち並ぶ家々が視界に入るのだけど、どこもかしこもしんとして、車の音さえ聞こえなかった。
 まるで、違う世界に蒼君と二人きりでいるみたいだった。


 静寂の中、自分の荒い息遣いばかりが響く。
「……ねえ、蒼君」
 呼吸の合間に、私はぽとりと声を落とした。石段を上る足の動きは止めず、目線は自分の足元にやったままだ。
 ん? と私の前を歩く蒼君が振り向く気配がする。
「──なんで、なんにも聞かないの? どうして泣いたか、とか。……興味がない?」
 卑怯な言い方だな、とは思う。
 実際に訊ねられても、私は本当のことを言わないに決まっているのに。トモ兄との間にあったことを、前世のあれこれを、そしてこれから起こるかもしれないゴタゴタを、私は何ひとつとして率直に蒼君に伝えることはしないだろう。
 けれど蒼君が知らん顔をしているからといって、私自身まで何事もなかったかのように流してしまってもいいのだろうか。
 自分にやましいところはない──と、思いたい。でも、後ろめたさはある。間違いなくある。二股をかけているわけではないし、そもそも私と蒼君は付き合っているわけでもなんでもないのだけど、隠しているものがありながら、こうして蒼君のすぐ近くを歩いているのは居たたまれない。
 蒼君は私が泣き止むまで、辛抱強く電話の向こう側で待っていてくれた。それなのに、黙ったままでいるというのは、その気持ちまでもなかったことにして済まそうとしていることにならないだろうか。
 訊ねられても答えられない。けれど、このまま知らんぷりでいるのも嫌だ。自分でも、支離滅裂なことは、判っているのだけど。
 でも。

 前世の約束を踏みにじり、優しいトモ兄の手を振り切ってここまでやって来て。
 その上、蒼君に対しても、こんな風にたくさんのことを偽り続けていかなければならないのかと思うと、どうしても、やりきれなかった。

 私は下を向いていたので、無言だった蒼君がその時、どんな顔をしていたのかは判らない。
「……すぐに言えることなら、俺が聞かなくたって自分から喋るだろ、お前は」
 少しの沈黙の後で出てきた声は、いつもと変わりないものに聞こえた。そこに、責めるような響きはなかった。
「……うん」
 と、私は下を向きながら頷く。
「何があった、って聞くのは簡単だけど、それに答えるのが簡単じゃない場合もある、ってことくらいは知ってる」
「……うん」
「橘には、言えないこととか、言いたくないこととかが、あるんだろ。いろいろと」
「……う、ん」
「だったら別に、言わなくていい。俺は、嘘をつかれるのが好きじゃない」
「…………ごめん」
「謝ることじゃない。誰にだってそういうのはあるんだし。泣くな。言えない、ってことが判ればいい。……泣くなって」
 はー、というため息が聞こえる。
 私の目から落ちていく水滴は、まだ湿っている石段の上に、ぽつぽつと吸い込まれていった。
「あ……あのね」
 自分の口から出る声が揺れている。階段の少し上から聞こえる、うん、という蒼君の短い返事が、普段よりも少しだけ柔らかかった。蒼君でも、泣いている手に負えない子供相手には、こういう声を出すんだろう。
 早くちゃんとした大人になりたいのに。どうしていつも、こんなことになってしまうのかな。
「あのね、今は言えないけど、だけど、いつかは蒼君に言えるように頑張るから。全部、話せるように、頑張るから。そ……そうしたら、その時は、聞いてくれる?」
 どんなに胸が痛くても、奈津と和人さんとトモ兄を裏切ることになっても、私はもう進んで来てしまったのだ。
 大変でも、しんどくても、つらくても、この階段を上りきる覚悟を負わなければ。
 まだ蒼君に、好きだよと言うことも出来ない。いつ言えるようになるのかも判らない。言ったところでどうにもならないかもしれない。トモ兄とのことが何とかなっても、その時にはもう、蒼君には彼女がいたりするかもしれない。
 それでもいいから。
 いつか、すべてを話せる日が来るといいな、と祈るように私は願う。前の世のことも、今の世のことも、全部ありのまま話すことが出来るといい。
 何があって、私がどう思って、どうやって進んできたか。
 友達としてでも、役立たずのバイト仲間としてでもいい。蒼君に、それを聞いてもらいたい。
 恥ずかしくないように、すべてを話せる自分でいたい。
「……うん」
 もう一度短い返事があって、涙を拭って顔を上げると、蒼君が目を細めてこちらを向いていた。
 それからゆっくりと顔をめぐらし、あと三分の一くらい残っている階段の先の方を見つめて、
「──それでいい」
 と、静かな口調で言った。


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