月の花

ACT12.デートと尾行と恋バナと




「……あの、よかったら、今度の日曜、映画とか行かない?」
 と、決死の面持ちで道明が口にしたのは、もちろん、デートの誘いのつもりだった。
 相手はクラスで、というか、学年でもかなり可愛いという評判の女の子であったが、なにしろ気が強く、男子でも先生でも思ったことはずけずけと言う性格だ。どちらかといえば軟弱なタイプの道明のその態度は、相当に腰が引けていただろうと思われるけれど、それでも一大決心をした末で、敢行したことである。
「映画?」
 と問い返す彼女の目つきは少しだけ胡乱なものに見えるが、「馬鹿じゃないの、死んでもイヤ」 などと一言で撥ね付けられないだけよかった、と道明は幾分ほっとした。思考はネガティブになりがちだが、基本的に彼は前向きだ。
「うん。あのさ、ペアチケット、ってやつを兄貴に貰ってさ。結構評判の映画だし、もし興味があったらと思って」
 その言葉のどこにも嘘はない。数日前にそのペアチケットを張り切って購入した兄は、それを使用する前に彼女と破局してしまったそうなのである。昨夜、彼が泣きながらゴミ箱に千切って捨てようとしたところを、道明がギリギリで救出したのだ。
 もちろん、使い道の選択肢は幾らでもあったのだろうとは思う。けれど、無事貰い受けたそのチケットを見た時から、道明の頭に浮かんでそのまま離れなかったのは、ただ一人の女の子だけだったのだから、しょうがないじゃないか。まだ告白すらもしていない、片想いの相手で、自分でも無理だろうなとは判っていても。
「………………」
 道明が差し出したチケットを見て、じっと何事かを考えていた彼女は、「……今度の日曜、って言ったわよね」 と、そこから目を離すこともなく確認した。
「あ、うん。けど、無理なら……」
「行くわ」
「え?!」
 あっさりと返ってきた承諾に、誰より驚いたのは道明本人だ。こう言ってはなんだが、まさかオーケーしてもらえるとは、夢にも思っていなかった。
「ただし、待ち合わせの場所も時間も、あたしが決めるわよ。いい?」
 雪菜はきっぱりと言い切って、獲物を狙う鷹のように、瞳をきらりと鋭く光らせた。


          ***


 ──で、当日。

「あの……これはもはや、尾行、というやつだよね?」
 既に泣きそうな気分になりながら、道明は傍らの雪菜に向かって問いかけた。
 現在、自分たちがいるのは、映画館を目前にした大通り──の、電柱の陰である。その狭い空間に好きな女の子と二人で息を潜めて立っているのはもちろん悪い気分ではないが、肝心のその相手は、完全に道明のことなど眼中にない。
 雪菜が電柱から頭だけを覗かせて、じっとり睨み付けているのは、彼らの前方を歩く一組の若いカップルだ。道明たち……というか、正確に言うと雪菜は、最寄り駅に彼らが現われてからずっとこの二人のあとを、見つからないようにくっついて廻っているのだった。その怪しげな様子は、紛れもなく、尾行以外の何物でもない。
 初デートで、他人のデートの尾行をする。
 不幸といえば、これ以上の不幸はないかもしれない。人生って、不条理なものなんだなあ……と、中学二年にして深淵なところを悟ってしまう道明である。
 それでも道明には、それをやめさせることなんて出来っこない。性格的に言い出せない、というのも無論あるが、それよりも、あまりに雪菜の顔つきが真剣そのものであるからだ。
 前を歩くカップルは、二人とも高校生くらいだろうか。かなり容姿のいい明るそうな男と、無表情な美人、という組み合わせで、はっきり言ってその存在は、隠れてつけ回さなくたって、遠くにいたって、イヤでも目立つ。
 ──もしかして、と沈みゆく心で道明は雪菜の横顔を窺った。
 もしかして、雪菜はあの男のことが好きなのかもしれない。だからこそ、そいつが、彼女とデートするのを見届けずにはいられないのかもしれない。横恋慕、ってやつだ。そんなのは却って傷つくだけで、いいことなんて何ひとつないだろうに、それでも、そうせずにはいられないくらい、思い詰めてしまっているのかも。
 その証拠に、彼らを見る雪菜は時々、「あんなにくっついて」 とか、「図々しい」 などとぶつぶつ口の中で腹立たしげに呟いている。片想いの相手に好きな男がいたというのはもちろんショックだったが、それはそれとして、そうやって自分を痛めつけるような真似をするのはよくないよ……と、道明は心配になった。
 ──と。
 不意に、前を歩く男の方が、なにげなく後ろを振り返った。
 雪菜は電柱の後ろに身を隠していたから顔を引っ込めるだけで済んだが、そこから完全にはみ出している道明はそうもいかない。慌てて素知らぬ顔をして通行人を装ったが、多分それは、かなりあたふたとした、不自然な態度であっただろう。
 男は少し怪訝な表情を浮かべ、それから、何かに気づいたように、にやりと口角を上げた。雪菜のスカートの端だけが、隠しきれずに電柱の陰から見えていた──ということに、その時になって道明も気がついたが、後の祭りだ。
 突然、男は隣の彼女のほうに手を伸ばし、その細い肩を抱き寄せた。きわどいほど耳元に唇を寄せて、何かを囁く。
 その唐突な、人目を憚らない親密ぶりは、どう考えたって雪菜に見せ付けるためにしているとしか考えられず、温厚な道明も、さすがに頭に血が昇った。
 なんてヤツだ、雪菜の前でわざとあんなことをするなんて。そうやって雪菜を傷つけて、彼女の気持ちをもてあそぶつもりなのか──
 これはもう黙っていられない、という男気に燃えて、道明は一歩を踏み出した。暴力行為はまったく得意ではないが、せめて雪菜のために、一言くらいは言ってやらなくちゃ、と思ったのだ。
 ……しかし結局、道明にそれは出来なかった。怖気づいたわけではなく、自分よりも素早く行動に出た人物がいたからだ。
「ちょっとくっつきすぎでしょ拓ちゃんっ! あたしのお姉ちゃんに、馴れ馴れしい!」
 と、大声で怒鳴りながら、雪菜が猛烈な勢いで突進して、カップルの間に割り入ったのである。
 男は陽気に声を立てて笑い、振り返った女の方がきょとんとして 「……雪菜?」 と名を呼ぶ。
「あたしのお姉ちゃん?」
 と繰り返す道明の声は、我ながら、かなり間が抜けていた。


          ***


「なんだよお前、俺たちのデート、わざわざ監視しに来たのかよ。暇だな」
 間近で見ると、その男は思っていたよりもずっと、顔の造作がよく出来ていることが判った。顔も手足の長さも、比べるまでもなく道明なんか完敗である。野球で言うなら圧倒的大差で五回コールド負け、みたいなものだ。
「偶然に決まってるでしょ、あたしはあたしでデートなの」
 ふん、と鼻息も荒く雪菜が言い返す。え、これってデートだったの? と、道明の方が聞きたい気持ちでいっぱいだったが、怖くて口に出す勇気はない。
 それを聞いて、雪菜の姉が、瞳を瞬いた。表情自体は変わらないので判りにくいのだが、驚いているのだろう、多分。
「そうなんだ……。あの、妹が、お世話になって。姉の鏡花です」
 丁寧に頭を下げられて、ええっ、と焦る。
「あっ、は、はい。おれ、道明です。あの、こちらこそ」
 慌てながら自分も頭を下げると、他の二人はてんでに呆れた顔をした。
「あのさ、キョーカちゃん、その挨拶はちょっと変じゃないかな。こういう場合、普通にコンニチハでいいんじゃない? あ、俺、キョーカちゃんの恋人で拓海ね。コンニチハ、雪菜の彼」
「ただの押しかけ彼氏でしょ。それに、デートったって、別に彼でもなんでもないから。ちっとも世話になってないし、お姉ちゃんが頭下げることなんてないわよ。あんたも、なにお辞儀なんかしてんのよ」
 ビシバシ道明を叱る雪菜は、その厳しい口調とは裏腹に、すでに姉の腕に自分の腕を絡ませて、危ないくらいにべったりだ。負けじと、拓海と名乗った男の方が、空いている鏡花のもう反対の手を握っている。それはまるで二人の子供が母親を取り合っているような図にも見えて、姉の恋人に想いを寄せて辛い恋を……という筋書きには、どうにもそぐわない。
 ここで道明は、はっきりと理解した。うん、間違いなくこれはそんなんじゃない。ここまで来れば、イヤでも判る。今日のデートが、どうして成立したのか、その理由も。

 自分の片想いの相手は、度外れたシスコンなのだ。
 心配のあまり、彼氏とのデートを尾行してしまうほど。
 ……個人的に、ちょっとそれはどうなんだと思わないでもないのだが。

 妹と恋人からの愛情を一身に受けているらしい鏡花は、雪菜の言葉に、そんな風に言ったらダメだよ、と穏やかに諭してから、道明に向かって、「二人はこれから何処へ行く予定なの?」 と訊ねてきた。
「あ、映画に行こうと思って……」
「そうなの? 私達もなんだよ」
 鏡花は、偶然だね、と少し嬉しそうに言った。全然判っていないんだな、と感心するくらい鈍い。そりゃそうですね、と答えるわけにもいかない道明は曖昧に笑ったが、雪菜は白々しく、「ほーんと、偶然ねえ〜」 と、大仰に頷いた。
「ぐーぜんねえ……」
 と、拓海だけが、醒めた表情をしている。こちらはもちろん、何もかも判っているのだろうが、雪菜はその台詞を見事に聞き流した。
「せっかくだもん、今日は一緒に映画観て、そのあと一緒にお茶でも飲もうよ、お姉ちゃん。あたし、買い物も付き合って欲しい」
「……でも、雪菜」
 甘えた声で妹に言われて、鏡花は戸惑ったように道明の方を見た。せっかくの妹のデートを邪魔したら……と遠慮しているようだ。その妹が、自分たちのデートをとことん邪魔しようと目論んでいるだなんて、思ってもいないらしい。素直な性質なんだろうな……と、雪菜にすっかり利用される形になった道明は、我がことのように、しみじみと同情した。
(利用、か……)
 心の中で呟いて、ふっと息を吐く。

 ……そう、結局。
 結局、自分は単に、姉のデートに割り込む口実として、利用されたに過ぎない。
 たまたま、姉達が観に行くのと同じ映画のチケットがあったから、雪菜は頷いてくれただけ。
 彼女との約束を取り付けて、はしゃいで喜んで、眠れないほど緊張していたのは自分の方だけで。
 雪菜にとって、一緒に出掛ける相手は、道明でなくても、誰でもよかったのだ。

 少しずつうな垂れていった道明は、突然、ばん、と勢いよく背中を叩かれ、前につんのめった。
「しょーがねえな。初々しい君らのデートに、お兄さんとお姉さんが付き合ってやるか」
 茶目っ気を混ぜて拓海がそう言うと、それだけで不思議と、硬くなりつつあった雰囲気が、すうっとほぐれてゆくようだった。計算なのか、それとも根っからこういう性分なのかは、初対面の道明には判断のしようがないが、けれど彼が、自分を気遣ってくれたのだろうということだけは判った。
「ダブルデートだ。たまにはいいよね、キョーカちゃん」
 笑いかける拓海に、鏡花が目元を和らげ、ほんのりとした笑みを返す。緩く淡く口許が綻ぶだけの、僅かな変化だったけれど、その笑顔は、とても優しげなものだった。
 道明は、それを見て、ああ、いいなと思った。きっと、雪菜には面白くないことだろうけれど。
(──この人も、気づいてるんだ)
 拓海の、陽気な口調に含まれる、さりげない他人への思い遣りを。そういう心の持ちようを。
 ちゃんと気づいて、判って、それを温かく受け止めている。多分、彼への恋心と共に。
 言葉には出さないし、表情にも、あんまり出なくても。
 そういうのって、なんかいいよな……と、憧れと羨望を乗せてほのぼのと思っていると、
「じゃあ、四人分のお茶代は、ミッチーの奢りってことで。初デートなんだから、それくらいは気張んないとね」
 明るい調子のまま、けろりと拓海にそう言われ、道明はぎょっとした。
「え、おれ、そんなに持ち合わせないんだけど……。それにあの、変なあだ名を勝手につけないでください」
「拓海の冗談を真に受けないでいいよ。そんなことしないから、安心してね、ミッチー君」
「……お姉さんまで……」
 がっくりする道明に、成り行きを眺めていた雪菜が、あははと声を立て楽しそうに笑った。そういえば、こんな風に雪菜が笑ったのは、今日これがはじめてだと気づき、またがっくりする。もとより中学生の自分が、高校生の余裕に太刀打ち出来るはずもないのだが、好きな女の子を自力で楽しませることも出来ないのは、やっぱりちょっと、情けない。
 はあ。
 映画館に向かうため、姉と並んで無邪気にお喋りをして歩く雪菜の背中を見ながら、道明は深い溜め息をついた。
「──まあ、頑張んなよ」
 掛けられた声に視線を移すと、隣を歩く拓海が、こちらを見て笑みを湛えている。さっきまでのふざけた調子は消えていて、そういう顔をすると、拓海はとても大人びて見えた。
「依怙地で気が強くてどうしようもないシスコンだけど、好きなんだろ? だったら、諦めないで、頑張りな」
「……そりゃ、拓海さんは、頑張れば大概のことはなんとかなるかもしれないけど」
 道明は少しだけ苦笑した。
 なにしろこの容姿、この性格だ。さぞかしもてるんだろうな、なんてことは推測するまでもない。拓海だったらきっと、女の子に上手に接するのも、どうすれば喜ばせることが出来るのかも、ちゃんと知っているに違いない。頑張る必要もなく、向こうから寄ってきてくれるのだろうから。
 ──道明とは、違うのだ。
 しかし拓海は、はん、と鼻で笑った。
「何言ってんだ、お前がいつから雪菜のこと好きなのか知らないけど、俺の片想い歴は間違いなくお前よりも長い」
「ええ?」
 きっぱりと断言されて、目を見開く。
 間違いなく、ということは、一年や二年という期間じゃないのだろう。なんでとっとと告白しなかったのだ。いやそれよりも、この話の 「相手」 は誰なんだ。今付き合っている彼女がすぐ近くにいるのに、こんな話をしちゃっていいのか? と、道明ははらはらと前方を行く鏡花の後ろ姿を見やった。
「俺はさあ、ずーっと、その子のことが好きでさ」
 拓海はそう言いながら、同じようにじっと鏡花の背中を見つめている。じゃあその片想いの相手は、やっぱり鏡花なのか、結局はこうして両想いになったのだからお前も頑張れ、ということなのかとほっとしたのも束の間、
「……好きだったけど、諦めたんだよね」
「は?!」
 あっさり言う拓海の言葉に目を剥く。また雲行きが変わってきた。諦めた、ってことは、やっぱり今の彼女とは別の女の子のことなんじゃないか。
「あ、諦めたんですか」
「うん」
 肯定する拓海は、ちょっとだけ微笑んでいるようにも見えるが、昔を偲んでいるのか懐かしがっているのか、もしくは悔やんでいるのか、道明には推し量ることが出来ない。
「正確に言うと、『その子の隣に行くこと』 を、諦めた」
「……え、どういう……」
「資格がなくなったから」
「資格?」
 拓海の言葉に、道明は困惑する一方だ。
 ……好きな女の子の隣にいる資格って、なんだろう?
 道明が雪菜に未だ告白できないでいるのは、すぐに弱気になってしまうこの性格とか、あくまで十人並みより上にはいけないこの顔とか、そういう理由を盾にしているわけだけども、それでさえ、「資格がない」 なんて思ったこともないのに。
 好きという気持ちだけでは踏み切れない、何かがあった、ということなのだろうか。
 こっそり横目で窺うと、拓海は顔を前に向けたまま、どこか遠いところを見るような眼差しをしていた。鏡花の背中を見ているようでもあるし、違う何かを見ているようでもある。

「……けど、好きだって気持ちだけは、どうしても、諦められなかった」

 独り言のように呟く。
 そうして再び道明の方に顔を戻した時の拓海は、今までの表情を綺麗に消して、またさっきまでの、能天気そうな明るい笑顔に戻っていた。どちらが本当の拓海なのか、混乱しそうだ。
「だからまあ、お前も頑張れよ、ってこと」
 道明にはまるで判らないうちに、そんな言葉で締めて、勝手に話を打ち切ってしまう。
「…………? はあ……」
 なんだかものすごく、話の流れに不自然なものがあったように思わずにはいられないのだが。結局、その 「好きだった女の子」 は一体どうなったのだ。その子のことは諦めて、鏡花と付き合いだしたということなのか。しかし、拓海のほうはもうすっかりその話題を続ける意思はなさそうで、きっと問いかけても答えは返ってこないだろう。
「………………」
 よく、判らない──けど。
 中学生と高校生とじゃ、あまり変わらないような気もする。でも、そこにはやっぱり、数年分の隔たりというか、積み重ねた時間の違いが、確かにある……という、ことなのかもしれない。
 好きだって気持ちは諦められなかった、という拓海の言葉を、静かに胸の中で反芻してみる。
「ちょっと、何してんの」
「あ、うん」
 後ろを振り返って咎めるように言う雪菜の声に、我に返った道明は、慌てて返事をした。いつの間にか、拓海はさっさと二人に追いついて、雪菜とは反対側の鏡花の隣をキープし、笑顔で何かを話しかけている。
「あんまりぐずぐずしてると、置いていくわよ、ミッチー」
「………………」
 なんだかその呼び名、このまま定着してしまいそうで怖いな、と道明は思ったが、けれど雪菜の口から出ると、ちっともイヤじゃないのが不思議だ。それどころか、なんだかどきどきと心が弾んできてしまうくらいである。
 こんな自分が少しだけ忌々しくて、でもしょうがない、と諦めにも似た気持ちもあることにも気がついて、つい可笑しくなり、笑いながら、雪菜の隣に行くために、道明は足を大きく前へと踏み出した。
 うまいこと利用されて、他人のデートの尾行をして、奇妙な恋バナまで聞いてしまって、それでもやっぱり、雪菜がこちらを向くとなにより嬉しい、なんて。自分でも本当に、馬鹿みたいだなとは思うのだけれど。
 けど、しょうがないよな。
 ──だってさ、好きなんだから。
 おかしな初デートになりそうだったが、それでもこれはこれで楽しいかもしれないぞ、と道明は浮かれるように思っていた。



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