月の花

ACT2.馬の耳に念仏




 陽介の友人は、以前から非常に女にモテた。
 小学校は別だったから、陽介と拓海とは中学校の時からの付き合いだ。一年生で同じクラスになってなんとなく仲良くなり、その後はクラスは別だったのだけれど何だかんだでつるんでいたし、それから何の因果か現在の高校まで一緒になってしまったから、その付き合いの長さはもう四年にもなるわけだ。
 腐れ縁、てやつかなあ、と陽介は思う。
 思えば、拓海と一緒にいて、いい思いをしたことなど、全くと言っていいくらいない。理由として、拓海という男は、性格は悪くないのだが、なにしろ人目を惹く容姿をしているということが挙げられる。美形とかイケメンとかいうのともちょっと違うような気もするのだけれど、可愛くて、目立って、憎めない顔立ち、とでもいうのか。その上に本人の言動も軽くて明るくて愛想もいいので、いつだって女子の目はそちらへと向き、自然、隣にいる陽介は引き立て役にしかならなくなるからだ。
 拓海君にラブレター渡して、とか、バレンタインのチョコを渡して、とか、告白したいからちょっとあの場所まで上手く連れてきて、なんてことを頼まれるのは日常茶飯事だったし、顔の大きさとか目や口の形とか、どうでもいいことをこっそり比較されていたのも知っている。こんなに女の子が群がるのだから一人くらいは陽介の方に廻ってきたって良さそうなものだと思ったのも一度や二度じゃないが、当然ながらそんなことはただの一回もなかった。
 結局、中学三年間で陽介が学んだことといえば、モテる男の友人なんてものは持つべきじゃない、という人生の真理だったのに、どういうわけか高校まで同じところになるとは思ってもいなかった。これを腐れ縁と言わずして何と言おう。
 しかもおまけに、現在の自分は、
「どう思うー? 陽介。ちょっとキョーカちゃんて俺に冷たくねえ? 俺がこんなにも熱烈に愛してるのにさあ〜」
 なんて、自分の部屋に我がもの顔で寝そべっている友人の愚痴を、延々と聞き続けなければいけない羽目になっているし。
 神様、俺は何か天罰を受けるようなことをしたのでしょうか。


          ***


 そもそもなんで陽介が、拓海と同じ高校に入るなんて思ってもいなかったかというと、こう言ってはなんだが、二人の間に歴然とした学力の差があったからだ。
 すぐ隣にいる友人が始終女の子にきゃあきゃあ騒がれていることに対して、ヤケクソのような気分もあったのか、所詮顔のさほど良くない男は別方面で頑張るしかないということを悟ったのか、陽介は中学時代、かなり勉強に力を入れていた。
 その甲斐あって、この地域では相当に名の通った進学校に合格し、喜んだのも束の間、その学校に、成績はずっと下のほうにいた筈の拓海も合格したと知った時には、本気で人生に絶望しそうになったものである。
 拓海がその学校を選んだ理由というのが、「ずっと好きだったひとがこの学校にいるから」 なんてことだったのだから、尚更だ。
 当時、その言葉を聞いて、陽介は心底仰天した。
「え、だって、お前、中学の時、何人かの女の子と付き合ってたじゃん」
「うん、そうだね」
 と言ってのけた拓海は、まったく悪びれもしていなかった。
「けどさ、告白された時や、付き合ってって言われた時、ちゃんと、『俺、好きなひとがいるんだけど』 って言ったんだぜ。それでもいい、ってみんな言うからさあ」
「………………」
 それはきっと、「付き合ってしまえばこっちのもの」 理論が働いたのだろう、と経験のない陽介でも推測できた。この場合、もちろん悪いのは気の毒な彼女達の方ではなく、絶対にこの友人の方である。
「大体、ずっと好きだったって、いつからだよ? 俺、そんな話、全然知らないぞ」
「あー、言ってなかったからね。キョーカちゃんのことは、俺、幼稚園の頃から好きだったんだけど」
「…………はい?」
 陽介は耳を疑ったが、拓海のほうはすっかり遠い目をして過去に思いを馳せている。
「健気だろ? でもさ、キョーカちゃんて、どう考えても俺のこと、ただの幼馴染か弟くらいにしか見てくれてなくてさ」
「……普通、そうだよな」
 幼稚園の頃から、近所に住む幼馴染を女として見ていたこの男の方が、どちらかというと異常だ。
「だから俺、思ったわけ。キョーカちゃんに俺を男として意識させるには、しばらく距離を置くしかないって。それで、小学校の高学年あたりから徐々に離れてさあ、高校になったら俺も同じところ行って、それから告白しようと思ってたのに、キョーカちゃんて頭いいからすげえレベルの高いところ入っちゃって。俺あんまり成績いい方じゃないから、苦労したんだぜ。勉強の得意な子にいろいろ教えてもらったりして」
「………………」
 しみじみとして拓海は言うが、その 「勉強の得意な子」 というのが、当時付き合っていた女の子のことだと知っている陽介は、絶句してしまう。
 好きな人がいてもいいから、と拓海よりもよっぽど健気なことを言われて付き合っている女の子に、好きな女のいる高校に入るための勉強を教えてもらう。なんというか、かなりの線で最低だと思うのだが、本人にはまったく罪の意識がないらしいのが怖い。
「こうしてる間にもキョーカちゃんを別の男に掻っ攫われたらどうしようかって、ホント、気が気じゃなかった。中学の時は一応裏で牽制も出来たけど、キョーカちゃんが高校に入っちゃうと、あんまし目が届かないじゃん? この一年は焦って頭がおかしくなりそうだった」
 ふう、と哀愁を込めた溜め息をついているこの友人を即刻蹴り倒してやりたいという衝動を、陽介はなんとか必死で押しとどめる。
「……けど、お前はその間も、他の女の子と付き合ってたんだろ」
「そうだね」
「その女の子達と、やることもやってるよな」
「でも、俺ちゃんと、『好きなひとがいるよ』 って事前に言っ」
「──この、サイテー男があっっ!!」
 そこで怒鳴りつけるだけにしておいた自分は偉い、と、陽介は今でも本気で思っている。


          ***


 「鏡花さん」 というのが、幼稚園の頃からの拓海の想い人で、今では一応 「彼女」 でもあることは、陽介ももう知っている。
 彼女を拓海と同じように、キョーカさん、などと呼ぼうものなら、拓海に殴られるのも経験済みだ。鏡花さんもキョーカさんも耳で聞いたら同じじゃねえかと陽介は思うのだが、拓海はそれを敏感に聞き分けて、
「キョーカちゃんをキョーカちゃんて呼ぶのは俺だけの特権なの」
 と、非常に狭量なことを真顔でのたまう。しょうがないから 「鏡花さん」 と呼ぶように心掛けているのだが、それも何度も連呼すると、「馴れ馴れしい」 と不機嫌になる。なんなんだお前はと言いたくなる。
 その鏡花さんは、陽介が見たところ、ちょっとした変わり者だ。可愛いというよりは美人系なのだが、いついかなる時も、ほとんど表情が変わらない。笑っているところも、見たことがない。おっとり、というよりは、淡々としていて、優等生タイプなのかと思えば、ちょっとぼんやりもしている。一言で言うと、何を考えているのかよく判らない。
 拓海の前では可愛らしく笑ったり照れたりすんのかな、と思っていたのだが、「いや、キョーカちゃんはあれが日常だけど」 とあっさりした返事が返ってきて驚いた。そういう女性のどこがいいのかと訊ねると、そこがいいんじゃんと力説された。ますます訳が判らない。
 ともかく猛勉強の結果、晴れて同じ高校に合格した拓海は、入学式が終わるやいなや、その足で鏡花さんの家へと押しかけ、「お願いだから俺と付き合ってください」 と土下座して頼み込んだらしい。鏡花さんは無表情で戸惑ったあと (と、拓海は言ったのだが、陽介にはそれがどういう状況なのか今もって理解不能である)、「いいよ」 と一言答えたのだそうだ。
「──そもそもがそんな馴れ初めなんだから、鏡花さんが多少お前に冷たくたって、それはしょうがないと思うがな」
 いい加減目の前で続く愚痴にうんざりして、冷淡に突き放したら、酒を呑んでいるわけでもないのに、拓海は絡むような目を向けてきた。ここは陽介の部屋で、今はゆったりと寛ぐべき時間である筈なのだが、どうして自分は今こんなことになっているのかと、天を呪わずにいられない。
「なんでさ。だって、いいよって言ったってことは、キョーカちゃんも俺のことが好きだってことじゃん。だったらもっといちゃいちゃしたっていいと思わないか」
「俺からすると、鏡花さんはお前の際限のない甘えによく耐えてくれていると思う」
 この友人がどんなに野放図にベタベタしても、我が儘放題のことを言っても、鏡花さんはそんなに嬉しそうにもしない代わり、怒りもしない。表情がいつも同じなので、判りにくいのだが。
「大体、あれだ、鏡花さんは実は、お前が思っているほど、お前のことを好きじゃないんじゃないか?」
 ずばりと言ってやると、拓海は酷く傷ついた顔をした。こちらはこちらで、感情や表情の変化が、手に取るように判りやすい。
「……そんなことない。と、思う」
「思うに、土下座して頼んだのがお前ではなく別の男であったとしても、鏡花さんはいいよと答えた可能性が高い」
「ひど! ひどいよ、陽介! 俺、そのことだけは考えないようにしてたのに!」
 泣きそうになって、拓海は床に自分の顔を押し付けた。胸がせいせいする。
「どーしよ、俺以外にそんなことする奴がいたら。そんで情にほだされたキョーカちゃんが、ついうっかり頷いたりなんてしちゃったら」
「自分が、『情にほだされて』、『ついうっかり』 頷かれちゃったことを認めるのか」
「そんなことになったら、俺、その男を殺しちゃうよ、きっと」
「…………。鏡花さんは?」
「キョーカちゃんが死んだら俺も死ぬ」
「………………」
 ぽりぽりと頭を掻いてから、陽介は 「あのさあ」 と言葉を出した。本来、自分はそういう下世話なことにまで干渉しない主義ではあるが、どうしても好奇心が押さえられなくなってしまったのだ。
「……お前と鏡花さんて、どこまで進んでんの?」
 陽介の問いに、拓海がきょとんとした顔を上げて見返してくる。腹立たしいが、やっぱり女の子達が騒ぐだけあって、男の自分から見ても、こいつは全体的にバランスの取れた、可愛らしい顔立ちをしていると認めないわけにいかない。
「キスは、何回かしたけど」
 恥ずかしがりもせず拓海は答えたが、その返答に陽介は驚いて目を見開いた。
「え、なんか、思ったより進んでないんだ」
 二人が付き合いだしてから、そんなに時間が経っているわけでもないのだが、拓海は中学時代に色々な女の子とそこそこの経験をこなしている筈だし、拓海自身の性格から言っても、そういった行為に進むのにほとんど躊躇はないだろうと思っていたのだけれど。
「えー、だってさあ」
 今更になって、拓海は少し照れるような素振りをした。どうも、この男は一般人とは少々照れのポイントがズレているようである。
「俺、自分で言うのもなんだけど、キョーカちゃんのこと、好きすぎて」
 他の女の子とアレコレやっていたくせにか、と突っ込みたいのを陽介は堪える。
「あんまりがっついて迫って、キョーカちゃんがびっくりしたら可哀想だし」
 あの鏡花さんがびっくりするところって、あんまり想像出来ねえんだけどなあ。
「弾みで 『いや』 とか言われたりしたら、そのあとしばらく絶対に立ち直れないに決まってるし。もうホント、やりたいのは山々なんだけど」
 下品な上に、ミもフタもないだろう、その言い方は。
「キョーカちゃんの喘ぎ声でも聞いたら、俺それだけでイッちゃうかもしんないし」
「十六年間彼女のいなかった俺の前で、生々しいこと言うんじゃねえ!」
 我慢できなくなって大声を張り上げてしまうが、拓海はちっとも意に介していないようだった。
「それに」
 と、打って変わって沈んだ表情になり、溜め息をつく。
「それに、雪菜が何かっていうと邪魔してきて、実行に移すタイミングが全然掴めない、って理由もある」
「雪菜?」
 聞き返して、陽介はそれが誰だか思い当たった。確か鏡花さんの中学二年になる妹で、拓海の愚痴の中にもよく登場する人物である。顔は見たことないのだが、拓海が 「キョーカちゃんほどじゃないけど、まあ、可愛い」 と渋々認めるくらいなのだから、かなり容姿は上の部類に属するのだろう。
 あんまり言いたくはなかったが、ふと思いついたので、陽介は小さくはない可能性を提示してみた。
「その妹って、もしかしてお前に気があるんじゃねえ? それでヤキモチ妬いて、二人の邪魔するのかもよ」
 美人姉妹の、姉と付き合い、妹に想われる。なんて男の夢とロマンの詰まった理想だろうと思うのだが、拓海は 「あ、それは絶対にない」 と、あっさりきっぱり否定した。
「だって、雪菜に、キョーカちゃんと付き合うこと知らせた時、ものすげえ眼で睨まれて、『死ねばいいのに……』 って呟かれたもん。本気で殺意が篭もってて、俺しばらく夜に一人歩きするのはやめようって決意したくらいだもん」
「………………」
 それ以上何かを言う気力も失せて、陽介は口を噤んだ。
 気力が失せるというか、正直に言って、追及するのがちょっと怖くなってきた、ということもある。

 ……なんか、さあ。
 なんか、どっか、変じゃね?
 幼稚園の頃から粘り強いストーカーみたいに一人の女に執着し続ける、可愛い顔した男とか。
 姉の彼氏を闇討ちしかねないような、度の過ぎたシスコンの妹とか。
 今まで鏡花さんて、ちょっとした変わり者みたいに思ってたけど、もしかすると本当は、この中で唯一常識人なのって、彼女なんじゃないか……?

「あー、でも、高校を卒業するまでには、キョーカちゃんと深い仲になりたいよなあ〜」
 言っていることは健全な高校生男子っぽいのだけれど、内情を知ってしまうと、どうにもそうは思えない拓海の言葉を聞いて、陽介は無理矢理結論付けることにした。
 こいつはアホだ。
 そうだ、それ以上考えないようにしよう。
 だらだらと部屋の床に寝転がって悶々とする友人の姿を見やり、陽介はそっと心の中で鏡花さんに同情した。



ACT1   TOP   ACT3

Copyright (c) はな  All rights reserved.