月の花

ACT4.友達の友達は他人




 お弁当を食べ終えて、窓際に座る友人の前の席に陣取ってお喋りを続けていたら、
「キョーカちゃーん!!」
 という、大きな声が窓の下から飛んできた。
「………………」
 ぴたりと口を噤み、和葉が窓から覗いてみると、華やかな容姿をした男の子が、こちらを見上げて元気いっぱいに手を振っている。身長はそんなに高いわけではないが、細身で手足の長い、全体にバランスの取れた体型をしているので、普通の紺色のジャージ姿なのに、なんとなく格好良く見えてしまうところがすごい。
「お昼もう終わったー?!」
 彼のよく通る声は、三階の高さをものともせずに余裕で届くが、当然ながら届いているのは自分たちがいるこの教室だけでなく、校舎全体であることは容易く推測できることである。別に声を掛けられている本人でもないのに、恥ずかしくなった和葉はこの場から脱兎のごとく逃げ出したい衝動に駆られた。
 現に、確認するのも嫌だから振り返ることはしないけれど、クラス中の目が一斉にこちらへ向いているのをひしひしと感じるし、下を通りかかる無関係な人たちも、じろじろと物珍しげな視線をその目立つ存在に投げつけている。
 少年と一緒に歩いていた友人らしき男の子は、見事なまでに完全な他人の振りをして、ラブコールを送る彼を放ってその場からすたすたと立ち去ってしまった。ちょっと羨ましい。
「俺これから体育なんだよね!」
 だからそんなどうでもいい会話、地上と三階の間で、しかもそんな大声でする必要がどこにある、と和葉は襟首掴んで問いただしてやりたいが、目の前に座る友人は、まったくなんでもない顔をして、そう、というように頷いているのだった。いや、もともと、ほとんど表情の変わらない子ではあるのだが。
「今度一緒に弁当食べようね! ていうか、今日一緒に帰ろ! 俺、キョーカちゃんのクラスに迎えに行くからさ、待ってて! じゃあね〜!」
 言いたいだけ言うと、少年は長い足を颯爽と動かして、校庭の方へと駆けて行った。
 その彼に向かって、「うん、判った」 と、聞こえないに決まっているのに律儀に普通の音量で返事をして、ひらひらと手を振っている友人に、和葉はおもむろに口を開く。
「……あのさ、あたしだって、人の彼氏についてそんなに言いたくはないんだけどさ」
 うん? というように、鏡花がこちらを向いた。この友人が、新学期からいきなり男と付き合いだしたことに誰より驚いたのは和葉だ。春休み前までは、ちらともそんな素振りがなかったのだから当然だが、付き合うに至る経緯を聞くに及んでは、もっと驚いた。
「確かに拓海君は可愛いかもしんないよ。あんまりあたしの趣味じゃないけど、スカウトに声掛けられた、っていう噂も頷けるくらいの顔をしているとは思う」
 鏡花は、その言葉に大人しくこっくりと首を縦に振る。口下手だし、喜怒哀楽を表に出すのが苦手なタイプではあるけれど、この友人は基本的に他人に対して、非常に素直で寛容だ。
「けどさ!」
 ばん、と和葉は机を平手で叩いた。
「けど、あの子の性格には絶対難がある! 本当にあんなのでいいの、鏡花! だって拓海君て、軽いし、軽薄だし、浮ついてるよ!」
「和葉、その三つはほとんど同じ意味だよ」
「男っていうのは、強く逞しく、もっとどんと構えて、物静かで、泰然自若としていて、女の子をピンチから救う時だけ敏捷に反応するものであるべきでしょ!」
「それは和葉の好みだし、ついでに言うと、ちょっと偏ってる気がする」
「しかるに拓海君は、そういう男の定義から完璧に外れてるじゃない!」
「それを男の定義って決め付けるのも、少し問題があるような気がする」
「ぶっちゃけた話、鏡花は拓海君のどこが好きなわけ?」
 机に身を乗り出して迫ると、鏡花は少しだけ困ったように口を噤んだ。暫くの間を置いて、首を傾げてから、真顔で呟く。
「…………全部?」
 なんで疑問形なのよ! と、和葉は思い切りツッコミを入れた。


          ***


 さて、その日の放課後。
 バタバタバタと、廊下を走る慌ただしい足音がする──と思ったら、
「ごめん、キョーカちゃん! 遅くなった!」
 という詫びの言葉と同時に、威勢よくガラッと音を立てて、教室の戸が開けられた。
 荒い呼吸をした拓海は、放課後の室内に和葉しかいないのを見て、あれ、というきょとんとした顔をした。
「和葉さんだけ? あれ、キョーカちゃんは?」
「拓海君があんまり遅いから、怒って先に帰った」
「嘘!」
「嘘だけど」
 悲痛な叫びに平然と返すと、拓海は戸に手を掛けたまま、その場にへたへたと崩れ落ちた。よほど全力疾走でもしてきたのか、まだ両肩が上下に忙しなく動いている。
「なんだよもう〜。ビックリするじゃん。やめてよね、そういう悪趣味な真似」
「信頼が足りんよ、拓海君。鏡花がそんなことするわけないでしょ」
「恋する男はいつだって不安を抱えてるもんだよ」
 ぬけぬけとそう言って、気を取り直したらしい拓海は立ち上がると、教室の中に入ってきた。中央近くに座る和葉の前を通り過ぎ、さっさと窓際の鏡花の席まで行って、椅子に腰を下ろす。窓から外に目をやって、「へえー、キョーカちゃんがいつも見てる景色はこれかあ〜」 と楽しそうに笑う様子は、恋する男というより本当に子供みたいである。
 咄嗟に、巻き添えを食って恥をかかされた昼休みのことが頭を過ぎるが、そんな無邪気なところを見ると、怒る気にもなれない。成程、得な性分なのだなと思う。
「で、キョーカちゃんは?」
 と、拓海がこちらを振り向いた。
「教室に居残ってるのを化学のセンセーに見つかって、ちょうどいい実験器具の後片付けを手伝え、って連れて行かれた」
「……その時、和葉さんもここに一緒にいたんだよね? なのにキョーカちゃんだけ手伝わされてんの?」
「あたしはもちろん上手いこと言って、そんな面倒なことは断ったのよ。ほら、君にこのことを伝えてあげないといけないしね。あたしって親切でしょう」
「いや、親切だって言うなら、キョーカちゃんをここに残して、和葉さんが率先して手伝いを申し出るべきだったんじゃないかなと思うけど」
「鏡花と一緒に拓海君が来るのを待っていてあげただけで、あたしの親切ゲージはもういっぱいよ。何してたの、こんな遅くまで」
 迎えに行くから待ってて、と言ったのは他ならぬ拓海自身の筈である。少し咎めるように言うと、拓海は、あー……と、微妙な声を出した。
「ちょっとさあ、捕まっちゃって」
「あらあら、モテる人は大変ですこと。ほほほ」
 そう鈍感な方ではない和葉が、すぐにそれと悟って嫌味たっぷりに受ける。拓海はちぇっと口を尖らせた。
「俺、結構一生懸命、キョーカちゃん一筋だってことを、言葉でも態度でもアピールしてるつもりなんだけどなあー。どうして女の子達ってそれを判ってくれないのかな。どの子も、あの人と一緒にいるのは幼馴染だからでしょ? って必ず言うんだよ。普通この年齢で、幼馴染だからって理由で手を繋いだりキスしたりする?」
 その口調は、少し苛立っているようにも聞こえた。
「……まあ、希望的観測ってやつなんでしょ。自分が願っているようにしか状況を見ることの出来ない人間て、多いみたいだし」
 大体、和葉の見るところ、拓海と付き合っていることで、ワリを食っているのは明らかに鏡花の方だ。そういう人間達にとっては、鏡花が幼馴染という特権を利用して拓海にくっついている、というように見えるらしい。まったく、あの見境のないベタベタした拓海の態度から、どうしてそんな判断が出来るのか、和葉は不思議でしょうがない。
 自分がどうしても拓海に点が辛くなってしまうのは、多分そういった理不尽な中傷と、それに対して何ひとつ反論もしない鏡花のことを、すぐ近くで見ているからなのだろう。気の強い和葉だが、出しゃばるのは趣味じゃないからその件については第三者を貫いているのだけれど、時々やはりもどかしい気分になってしまうのだ。
「俺もっと、更に判りやすく努力しないといけないのかなー」
 窓の向こうに顔を向けているので表情は判らないのだが、拓海が独り言のようにそう言った。昼休みの一件をまた思い出し、努力するのは構わないけど、それはあたしがいない時にやってよね、と心の中で呟く。
「…………ねえ、和葉さん」
 和葉に後ろ姿を向けたまま、拓海がポツリと呼びかけた。
「キョーカちゃんてさ、ちゃんとクラスに馴染んでる?」
 唐突な質問内容に、和葉は瞳をパチクリさせてしまう。
「え? まあ、普通だと思うけど。あんまり目立ったりリーダーシップをとる性格でもないから、クラスの中心人物ってわけにはいかないけどね」
「そういうことじゃなくて。……ほら、キョーカちゃんて、他人に少し誤解を受けやすいとこあるから、中学の時、ちょっと色々あったみたいで」
 依然として拓海は窓の外を見たままだ。口調は、少なくとも和葉が聞く限り、いつも通りの軽いものであったけれど。
 しかし拓海が何を言わんとしているのかは、和葉にもすぐぴんと来た。鏡花とは中学は別だが、自分にも、まったく経験のないことではない。
「この高校は一応名の通った進学校だからね、そんな子供っぽい真似をする人たちは、ほとんどいないよ」
 拓海の件で言われている以外はね、と続けた言葉は心の中だけに仕舞いこみ、「成績がいいのがすべてで他人に興味のないのとか、変なのも多いけどね!」 と、わざと冗談交じりに笑いながら答えると、ようやく拓海が顔を振り向かせた。
「……そっか」
 と、柔らかく目を細める。
「あたしもねえ、中学の時は色々あったもんよ。昔から頭が良かったからね、『勉強ばっかりしちゃってさ』 とか陰口叩かれたり、『和葉ちゃんはうちに帰って勉強するんでしょ』 なんて仲間はずれにされたり。あたしはもとから頭がいいんだから、そんなに必死になって勉強する必要なんてなかったっつーの」
「へえ、それで、和葉さんどうしたの。泣き寝入り……するようなタイプじゃないよね、絶対」
 興味深そうに訊ねられて、和葉はふふんと鼻で笑う。もちろん、自分は苛められて泣き寝入りするような人間では、断じてなかった。
「やり口がエスカレートしてきた頃、グループのリーダー格の子をひと気のない場所に呼び出して、ビンタを一発かまして、『これ以上舐めた真似したら承知しないよ』 って脅しつけてやった」
「………………」
 一瞬絶句したあと、拓海は、「……それって、どっちもどっちっていうか、どっちかって言うと、和葉さんの方が悪辣っていうか」 と、ぼそぼそ呟いたようだったが、和葉は無視した。
「そんで、大人しくなったわけ? 相手は」
「担任に言いつけられて、二人揃って職員室に並ばされた。『こっちはこう言ってるが、本当のところはどうなんだ』 ってね」
「で? 正直に言ったの?」
「きっぱり、『知りません』 って答えたわよ、そりゃ。拓海君、学校生活において教師に信頼されるのはどんな生徒だと思う?」
「さあ……。素直な子?」
「成績のいい子。加えて、教師を馬鹿にしない子、もしくは馬鹿にしていたとしても、そんなことは微塵も態度に出さない子」
「…………。そんで、和葉さんのほうが信用されたんだ」
「そういうこと。相手は嘘つきの上に、自分たちだけで片付けるべき問題を教師にチクった奴として、しばらくクラスで村八分にされましたとさ」
 和葉はそれについてまったく同情する気も起きなかったが、他の女子に混じって除け者扱いすることもしなかった。単に自分のプライドの問題である。
 拓海はいかにも楽しそうに、陽気な笑い声を立てた。
「和葉さんて、けっこう腹黒いよね。薄々気づいてたけど」
「だからって惚れたら駄目よ、あたしの好みはラグビー部の部長みたいな人だから」
「や、惚れないし。っていうか、和葉さんの好みってマッチョ系?」
「違う。強くて寡黙で、いかなる時もあたしを守ってくれるスーパーヒーローみたいな人」
「それもどうなんだかなあ」
 言ってから、またひとしきり笑う。
 笑いを収めたあと、口許にだけ笑みを残して、拓海は今度は静かに言葉を落とした。
「……うん、和葉さんみたいな人が、キョーカちゃんと友達でいてくれて、良かったよ」
 ──それは、とても優しい声だった。
「………………」
 なーんだ、そっか、と納得したような気分で、和葉は頷く。
 心配するまでもなかったか。

 この子はこの子の考えとやり方で、鏡花のことを、ちゃんと守ろうとしているではないか。

「あ、拓海。ごめん、待った?」
 教室の戸が開き、帰ってきた鏡花を見て、拓海がニコニコしながら元気よく席から立ち上がった。
「いや、待ってないよ。俺のほうこそ、遅くなってごめん」
「ううん。じゃあ、帰ろうか。和葉、付き合わせてごめんね」
 手伝い要員にさっさと友人を差し出した和葉の薄情さを責めることなく、遅れてきた恋人に理由を問い詰めることもなく、鏡花はそう言って自分の鞄を手に取った。
 腹黒い和葉だが、実を言うと、鏡花のこういう性質は、とても尊いものだと思っている。
 ……拓海もきっと、そうなのだろう。
「ええ〜、和葉さんも一緒に帰るの? 俺、キョーカちゃんと二人で帰りたい」
 途端に、拓海の顔が渋くなった。眉を寄せ、あからさまにイヤそうだ。演技には見えないから、本心からそう思っているのだろう。可愛い子ね、と、和葉は顔の上に悪魔のような笑みを乗せる。
「拓海君、教えてあげようか」
「なに?」
「鏡花のファーストキスの相手」
「え? それって、俺……」
「ふふふふ」
「ええっ、嘘でしょ、ちょっとキョーカちゃん俺そんなこと聞いてないし! え、何、俺じゃないの?! 誰?! ていうか、いつ?! ちょっと俺そいつ殺してくるから!」
「ふふふふふふふ」
「キョーカちゃんっ!!」
 焦って大声を上げる拓海の耳に、「……拓海、和葉の冗談を真に受けたら駄目だよ」 という鏡花の呟きは、どうやら届かなかったようである。



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