月の花

Curtain call




 ──卒業式は、穏やかな晴天だった。


「あっ、鏡花ちゃん! 卒業、おめでとう!」
 体育館で行われた式を終えて、ぞろぞろと校庭に出てきた卒業生たちの群れの中から、制服姿の鏡花を目敏く見つけ出して、実梨は満面の笑顔で手を振った。
「あんたねえ、姉よりも先に、まず鏡花にその言葉を掛けるって、ちょっとどうなのよ」
 鏡花の隣にいた和葉が文句を言ったが、実梨のにっこりとした顔は、まったく動じることもなく一直線に鏡花の方を向いている。
 それを見て、「相変わらず可愛くないガキ……」 と呟いたのは、式自体には関係ないのにわざわざ出てきた拓海だ。こちらは私服である。
「実梨君、来てくれたの? 遠いのに、どうもありがとう」
「ううん。本当言うと、オレも式に出たかったんだけどさあ。和葉の保護者だって言ったのに、大人が一緒じゃないとダメって言われて。この高校、けっこう了見が狭いよね。オレ、受験するの、考えちゃうな」
「いや、どっちかっつーと、常識的におかしいのはお前のほうだから。大体、この学校はレベル高いんだぞ。入ろうと思ったって、そうそう簡単に入れるもんじゃないっつーの」
「拓海に入れたんだから、オレだって入れるに決まってる。ね、鏡花ちゃん」
 さりげなく呼び捨てにされたことや、馬鹿にされたことよりも、鏡花に向かって可愛い笑顔を振りまいて馴れ馴れしく名前を呼んだことにムカついて、拓海は大分背の伸びたその小学生の頬っぺたを、ぎゅむっと引っ張ってやった。もちろん、手加減なんかしない。
「ひてててて! にゃにすんらっ、おまえほんろにおろらげらいらっ」
「何言ってるか、わかんないしー」
「拓海、実梨君はまだ子供なんだから……。あのね、実梨君。私達これから、皆で軽く食事をしに行くことになってるんだけど、よかったら一緒にこない?」
 拓海の手から逃れた頬をさすりながら、実梨はぱっと表情を明るくした。
「行く行く!」
「拓海のお友達とか、私の妹とか、実梨君の知らない人も来るんだけど、いい?」
「うん、いいよ! 拓海の友達はともかく、鏡花ちゃんの妹なら、オレも会いたいよ」
「そう? よかった。妹も、今年中学を卒業だから、一緒にお祝いしようってことになってね。これから待ち合わせしてるの」
 そんな会話をする二人を見て、拓海はもちろん渋い顔だ。実梨の姉である和葉のほうを向き、文句を言うように口を尖らせる。
「ねえ和葉さん、あのガキ、まだキョーカちゃんのこと諦めてないわけ? ちょっとしつこくない? 将来のこと考えて、姉として厳しく言ってやったほうがいいんじゃないの? このままじゃストーカーになりかねないよ?」
「そうよね……」
 同じく鏡花と弟を眺めながら、珍しく複雑そうな声音で、和葉が呟く。
 それから、おもむろに拓海に視線を移し、まじまじと見つめた後で、
「将来、あの子が拓海君みたいになるのかと思うと、確かに心配よね……」
 と、真顔で言った。


          ***


「……結局、鏡花さん、自宅から大学に通うのか?」
 拓海に対して、そんなことを訊ねてきたのは陽介だった。今の時点で本命大学の合否はまだ決まっていないのだが、拓海が 「キョーカちゃんや和葉さんが落ちるわけない」 ときっぱり言い切るので、彼もそのつもりで話しているのだ。
 卒業式が終わり、今はもう自由に解散していいことにはなっているものの、卒業生達はやはりすぐには立ち去りがたいらしく、校庭に散らばって、めいめい友人や教師と話したり、写真を撮ったりして別れを惜しんでいる。
 拓海と陽介と宙人は、離れた場所からそれを見やりながら、鏡花と和葉がやってくるのを待っていた。雪菜との待ち合わせまでには、まだ少し時間がある。
「まあ、ちょっと遠いけど、通えない距離じゃないしね。本人は、大学近くに部屋借りて、一人暮らししようかどうか、かなり迷ってたんだけど」
「お前が泣きついたんだろ。家が離れるのが寂しいからって」
 からかうように宙人に言われ、拓海は少し憮然とした顔つきになった。
「俺じゃない。泣きついたのは、雪菜だよ。俺はねえ、キョーカちゃんが一人暮らしをするのは賛成だったんだ。それなのにさあ。ホント、キョーカちゃんはいつまでも雪菜に甘いから」
 お前が言うな、という言葉を喉の奥に押し込んで、陽介と宙人はそれぞれ首を傾げた。拓海の声は本気で不満そうで、それが意外だったためだ。
「へー……。お前のことだから、一人暮らしなんて心配だからダメだ、ってゴネるのかと思ったら」
「いや、そりゃ心配だけどさ。けど、ほら、いろいろと憧れだってあるじゃん」
 憧れ? とますます首を傾げてしまう二人である。鏡花でも、自由な一人暮らしに憧れたりするもんなのか、と思ったのだが、
「二人っきりで仲良くメシ作ったり食ったり、好きな時に泊まっていったり、アパートで待ってて、学校から帰ってきたキョーカちゃんを 『おかえりー』 って出迎えたり」
「お前の憧れかよ!!」
 高速で突っ込んでしまう。そりゃあ、雪菜は姉の自立に猛反対するであろう、と心の底から納得だ。
 拓海はぶつぶつと面白くなさげに呟き続けている。
「こうなったら、俺が来年大学に受かって一人暮らししないと……。けど、あんまり遠すぎるとキョーカちゃんが通ってこれないし、かといってあんまり近すぎると親が承知しないだろうし……。ほどほどの距離のところに、ちょうどいい大学がないもんかな。悩むところだよな」
「そういう基準で大学を選ぶのは、どうかと思うぞ、俺は」
「ていうか、鏡花さんと同じ大学を目指すって選択肢はないのか? 拓海なら、真っ先にそう言うと思ってた」
 若干不思議そうに宙人に指摘されて、拓海はやっと (くだらない) 苦悩の沼から浮上したらしい。
「ああ、だって、キョーカちゃんの行く大学には、俺の希望する学部がないからね。コバンザメみたいにキョーカちゃんにくっついて自分の進路を決めるのって、やっぱりなんか違うような気がするだろ」
 すっきりとした言い方だった。瞳には、静かで落ち着いた光が見えて、陽介と宙人はなんとなく感極まって、パチパチと拍手をする。そんな真っ当な言葉が、この男の口から出る日がこようとは思わなかった。
「成長したな、お前も」
「うん。大人になったんだよ、俺もね」
 しみじみと拓海は言った。
 それからちょっと口を閉じ、視線が彷徨ったと思ったら、ある一点でぴたりと止まった。確認するまでもなく、その先には、鏡花が友人とお喋りをしている。その隣には、ちゃっかり実梨が何食わぬ顔でくっついていて、あれでは誰の弟なんだか、わかりゃしない。
「……俺ってさあ」
 そちらのほうに顔を向けたまま、拓海が続けて呟く。
「顔がいいから、女の子にもてるじゃん」
 わあ、言い切った! と瞬時、殺意を抱いてしまう陽介と宙人だが (反論できないところがなお腹立たしい)、拓海の声にはちらりとも自慢げなものがなかったので、なんとか我慢をした。どちらかといえばその言い方には、肩についたゴミを払い落とすような響きがあった。
「どうしようもないことだけど、そのおかげで、今までに何度も余計なゴタゴタを引き起こしたのも事実でさ。キョーカちゃんも、多分しんどいことが色々とあったんだろうし、これからもあるかもしれないと思うんだよね。なのに俺が頼りないままじゃ、困っちゃうだろ。俺の軸がしっかりと定まっていさえすれば、大丈夫なことって、きっとたくさんあるんだと思うし。だから、俺は俺で、目指す方向を決めて、きっちり自分の足で進んでいかないと。おぼろげだけど、俺が興味の持てそうな分野がどんなもんか、掴めかけてもきたところだしね」
「そうか……」
 少ししんみりとして、陽介は足許に視線を落とした。
 世話が焼ける奴だと思っていた拓海が、大人びた物言いをするようになったことに、嬉しくもあったが、ちょっとばかり置いていかれそうな寂しさを感じてしまうのも止められない。
 三年生からは進路別にクラスが分けられるから、こうして三人で馬鹿騒ぎする機会もぐんと減るんだろうな、と思えば尚更だ。教室が離れ、これからはバラバラになって、三人とも、違う方向を見ていくことになる。
 けれど、そうやってお互いに前を見据えて進んでいけるのは、きっといいことなのだろう──と自分の心に言い聞かせるように思った時、「あっ」 と、拓海が短く叫んだ。
 なにごとかと驚いて顔を上げると、その時には既に、すぐ傍にいたはずの拓海は、影も形もない。
「なんだどうした」
「あれだよ、あれ」
 呆れたように宙人が指差す方向には、鏡花と、彼女に話しかけている三年生男子の姿があった。確か、風間という名の、拓海のもと恋敵だ。恋敵ったって、現在の彼にはもうちゃんと彼女がいるようだし、鏡花に話しかけているのだって、「元気でね」 などという他愛ない会話であろうことは、二人の表情からでも簡単に見て取れる。
 なのに、すっ飛んでいった拓海は、鏡花の前に立ちはだかり、実梨と一緒になって風間にがあがあ文句を言っている。こういう時だけ、あの二人は息がぴったりだ。鏡花は困惑顔、風間は露骨にうんざりした顔で二人に言い返していた。
「……大人になった、とか言ってなかったっけ?」
 ぼそりと呟く宙人に、
「空耳だろ」
 と完全に投げやりになって、陽介は言い放った。


          ***


「今日、道明も来るんでしょ?」
 雪菜との待ち合わせ場所に向かう途中、拓海が確認するように言うと、鏡花はこくりと頷いた。
「道明君、うちの高校を受験して、受かったら入るらしいから、この機会にいろいろと聞きたいんだって」
 と鏡花は言ったが、陽介も宙人も、中坊の分際で彼女持ち、などという生意気で可愛げのない後輩は、入学してきたら苛めてやる気満々である。もちろん、二人とも、未だに彼女はいない。
 彼らの少し前を行く拓海と鏡花は、間に実梨を挟んで (というか、無理矢理割り込まれて) 三人で並んで歩いている。奇妙なその組み合わせは、親子連れには見えないが、姉弟というのももう無理がある。そのくらい、現在の二人は傍目から見てもはっきりと、「恋人同士」 になっていた。
「……ねえ、あの二人ってさ、もう一線は越えてるのかなあ」
 こそっと、宙人が隣の陽介に囁いた。二人が付き合いだしてからまる二年、「卒業するまでには深い仲になりたい」 と常々言っていた拓海だが、実際にどうなったのかは、彼の口から聞いていないのだ。そして本人が言わない以上、あの二人の場合、外から見るだけでは進行具合がまったく判らない。拓海はいつも変わらず鏡花にベタベタしているし、鏡花は淡々とした態度をほとんど崩さないからだ。
「ううーん、どうなんだろう。でもそういうことがあるなら、もうちょっと濃密な空気、みたいなもんがあってもいいような気も……」
 首を捻りながら、同じように小声で宙人に返したら、すぐに後ろから 「甘いわね」 と声があって、二人は飛び上がった。
「か、和葉さん! いたんですか! なんでそんな気配を殺してんですか!」
「将来のために修行中なの」
 どんな将来?! と陽介と宙人は同時に思ったが、怖くて聞けない。
「あの二人、もうとっくにそういう関係になってるわよ」
 さらりと言われ、絶句する。そうやって正面きって言われると、それはそれで、聞いてはいけないことを聞いてしまったようで、落ち着かなかった。
「そ、そっか……。けど、あんまり雰囲気が変わらないっていうか……」
「まあ、それだけあの子達にとって、そういうことになるのが自然だった、ってことなんでしょ。拓海君にしては、よく我慢したもんよ」
 和葉の口調からは、二人が手を繋いだ、くらいのなんでもない感じしか伝わってこなくて、それが却って、そうか、自然か……と、納得してしまう説得力があった。もっとも、芯から納得できるほど、経験があるわけでもないのだけれど。
 しかし和葉はやけに具体的に、二人がそうなった時期について知っているようで、陽介は訝しげな顔をした。
「……あの、和葉さんはそれを、鏡花さんから聞いたんですか」
「ううん、拓海君から」
「………………」
 あのアホの子は、またしても和葉の誘導尋問に引っ掛かって、口を滑らせたらしい。
 でもこの場合、拓海の口が軽いというより、和葉の能力がすごいんだろう、と二人は少しだけ友人に対して同情した。一体、どんな持っていきかたをしたら、そんなことまで聞き出してしまえるんだろう。和葉は弁護士志望らしいが、どちらかといえば、検事の方が向いているのではないか。
 どっちにしろ、犯罪者にだけはならないでおこう、と密かに胸に誓う陽介と宙人である。倫理や道徳以前に、和葉に弁護されるのも、罪を糾弾されるのも、すごくいやだ。
 そんなことを思いながらまた前に顔を戻すと、拓海が鏡花に向かって、ちいさく話しかけていた。なんてことのない内容なのだろうけれど、和葉の台詞を聞いた後だからか、実梨の頭の上でひそやかに言葉を交わし、同時に笑い合う二人のその姿は、目のやり場に困るほど親密に見えてしまう。
 そんな二人が羨ましくもあり、もちろん少しばかり鬱陶しくもあり、陽介と宙人は互いに顔を見合わせて、溜め息をつく。
「……けど、さ」
 と、息を吐いてから、ぽつんと宙人が言葉を落とした。何が 「けど」 なのかは、陽介も和葉も訊ねない。三人とも、今この時、同じようなことを考えていたからだと思う。
「……けど、また、こんな風に、皆で会えたらいいよね」
 それは多分、難しいことではあるのだろうけれど。
 鏡花と和葉は高校を卒業し、別の大学に進学して、拓海たちはクラスが分かれてそれぞれの目指す方へと進む。
 クラスも、進路も、その先に続く長い道のりも、きっと、あまりにかけ離れて、お互い自分のことで精一杯で、これからは交差していくこともないのだろう。
 けど──
「そうね。でも、そんなに遠くない未来に、またこの面子で集まることがあるかもよ」
 和葉に楽しそうに言われて、陽介と宙人は瞳を瞬いた。
「遠くない未来って?」
「だって、拓海君は長いこと待っていられるような性格じゃないでしょ。大学を卒業して──まあ、最短は五年後、ってとこかしらね」
 そこで二人にもぴんときた。思わず噴き出す。
「なるほど、それはあるかも」
「大学卒業して、就職して」
「初任給が出るや否や、鏡花さんとこに飛んで行って」
「土下座して、『お願いだから、俺と結婚してください』 ってか?」
「馬鹿の一つ覚えよね」
 堪らなくなって、三人で笑い出した。
「なんだよ、三人とも、随分楽しそうじゃん。なに盛り上がってんの?」
 振り向いて怪訝そうに問いかける拓海に、さらに可笑しくなって、笑い続ける。


 笑いながら、そんなことがあってもいいよなあ──と、思った。
 道の先はあまりにも茫洋としていて、不安も、心許なさもあるし、その途中で、自分だって、周囲だって、たくさん変わっていくものはあるのだろうけれど。
 変わらないものが、あったっていい。
 恋でもいい、愛でもいい、友情でもいいから。
 いつかどこかの結婚式場で顔を合わせて、拓海と鏡花の仲の良さに呆れつつ、また同じようにこうして皆で笑っている 「未来」 は、なんとなく、思い浮かべるだけで涙が出そうなほど、幸せな光景じゃないか。


 拓海と同じように後ろを振り向いて微笑んでいる鏡花に、和葉が悪戯っぽく問いかける。
「ねえ、ぶっちゃけ、鏡花は拓海君の、どこが好きなわけ?」
 その唐突な質問に、鏡花はたじろがなかったし、迷わなかった。ついでに言うと、照れもしなかった。
 柔らかく目を細め、すぐに答えた。
「全部」
 わあ、言い切った! と、また思う。笑いが止まらない。
 一人だけ笑わなかった拓海は、顔を赤くしていた。
「あっ、きたきた、お姉ちゃーん!」
 前方から、雪菜の陽気な声があがる。すぐ隣に、ニコニコとした優しげな笑顔で道明が立っている。鏡花は二人のほうを向いて、手を上げながら歩き出した。
「鏡花さんて、最高だな」
 その後ろ姿を見ながら陽介が言う。お世辞でもなんでもなく、本当に、そう思った。
 ちょっと変わってるけど、最高だ。
「うん、最高だろ?」
 臆面もなく、拓海が頷いて、それから。
「キョーカちゃんは、この世でたったひとつの、月の花だからね」
 よく判らないそんなことを言って、笑った。



月の花・完

Finale5   TOP

Copyright (c) はな  All rights reserved.