月の花

Finale.海に映る月・月に咲く花(2)




 ──話があるから、今日の放課後、教室に残っていて。
 と、その子に言われた時、拓海は正直言って、うんざりした顔を表に出さないようにするのに、かなり苦労した。

「何? 話って」
 であるから、言われた通りに居残った教室で、やってきた女生徒に投げつけた拓海の言葉には、普段の愛想はまったく混じっていなかった。しかし、相手はさして、それを気にした様子ではない。
 拓海は行儀悪く机の上に腰掛けて、ぶらぶらと片足を揺すりながら、視線を合わせもしないという横着さだったが、それも彼女にとっては大した問題ではなかったようだ。
「冷たい言い方するのね」
 薄っすらと笑いを浮かべるその女子生徒は、拓海の一つ上、つまり鏡花と同学年である。名を、確か石崎というのだったか。下の名も聞いたが、覚える必要を感じなかったので覚えなかった。
 クラスは違うが、訊ねれば多分、鏡花もその子のことを知っていると答えるだろう。同じ二年生だから、という理由よりも、あまり交友関係の広くはない鏡花でさえ、名前くらいは知っているのではないかという程度に、石崎は目立つ存在だったからである。いやもちろん、だからって、実際に鏡花に訊ねるなんてこと、死んだってするつもりはないのだが。
「冷たくもなるよね。いい加減、俺だって忍耐力が尽きそうなんだけど。もともとあんまり我慢強いほうじゃないしさ。何回、おんなじこと言わせりゃ気が済むのかな」
 吐き捨てるような口調は、かなり意図的に作っているものではあるが、間違いなく真実も含んでいる。現在の拓海は、石崎の粘り強さに、かなり辟易していた。
「同じこと? 『付き合ってるひとがいるから、付き合えない』 っていう、あれ?」
 くすくすと笑う石崎の顔に、はっきりとした蔑みの色が浮かぶ。その感情が向けられている矛先は、拓海ではなく、ましてや彼女自身でもない。そのことを誤魔化そうともしない高慢さに、拓海はわずかに顔を顰めただけで、内心の苛つきをなんとか押し殺した。ここで迂闊な態度を取るわけにはいかない。
「だって、そうとしか言いようがないからさ」
 軽く肩を竦めると、石崎の眉に険が宿った。そういうことをしても、その美貌はまるで崩れることはなくて、それはそれで大したもんだと思う。思うのだが、拓海は、その容貌になんの興味も湧かないのだから、仕方ない。
「付き合ってる、っていうだけのことでしょう? 結婚してるわけでもないんだし、そんなに堅苦しく考えなくていいんじゃない? 一旦付き合ったが最後、別れられないなんて考えてるわけでもないんでしょ? それとも、やっぱり、幼馴染の彼女のことが可哀想で、見捨てることが出来ないって」
「幼馴染とかどうとかってのは、関係ないだろ」
 つい、強い調子で遮った。拓海が日常遣うような軽薄な台詞回しも振り捨てて、睨むようにして言うと、石崎はさすがに口を噤んだ。
「なんか、勘違いしてるみたいだからハッキリ言うけどね、俺が君と付き合えないって言うのは、今の彼女のことが好きだから、他の女の子に乗り換える気がない、っていう意味だよ、もちろん。別に彼女に悪いからとか、まして幼馴染だからなんて理由で、そう言ってるわけじゃない。君は美人で、頭も良くて、家もお金持ちらしいけど、俺はそんな君よりも、彼女のほうがずっと好きだってだけの話。簡単なことでしょ。才媛だっていうのに、どうしてそんなことも判らないのかな」
 そこまでを一気に言い切ったら、相手の顔が強張った。
 美人で、頭も良くて、裕福で、生徒会の役員に進んで立候補するようなタイプでもある石崎は、異性からも同性からも注目されることには慣れていて、しかもそれを本人も当然と思っているフシがある。そんな彼女にとって、交際を申し込んで、断られることは、「あってはならない」 事態だったのだろう。だからこそ、拓海はもうひと月以上も、こうして膠着した遣り取りを続けなければならない羽目になっているわけだ。
 もともと拓海が体育祭の実行委員をやったのがきっかけで、一方的に気に入られただけなのだから (もちろん、気に入られた理由は顔だ)、彼女のほうにだって、それほど強い恋愛感情があるとは思えない。なのにこうして不毛な会話を繰り返さずにいられないのは、拓海に固執しているというより、彼女の中で、それを認めたくない気持ちが強いせいではないか、と拓海には思えるのである。
 そこにあるのは、山よりも高いプライドと、そして、その名の通り石のように頑なな意地だけだ。
 こういう相手は、一歩間違えると、なにより厄介なのだった。そのことを、拓海は嫌というほどよく知っている。知っているから、どうしたって注意深くならざるを得ない。

 ……間違っても、その憤懣が、鏡花の方へと向かないように。

「わかんないわ、どうして拓海君がそんなにあの子のことが好きだって言い張るのか。幼馴染だっていうのは関係ない、って言うけど、まったく関係ないわけじゃないわよね。子供の頃に刷り込まれたものがあって、そこからそういう感情が来ているに過ぎないんじゃない? だってあなたたち、恋人同士っていうより、姉と弟の関係に近──」
 ガン、という大きな音に遮られ、石崎は口を閉じた。拓海が、ぶらつかせていた足に力を込めて、手近にあった机を蹴りつけたのだ。
「……別に理解してもらおうとは思わないけど」
 と、拓海は低い声で言った。今度は、意図的にそうしようとしなくても、勝手にそういう声が口から出た。
「なんと言われようと、俺は他の誰よりもあのひとのことが好きだし、これっぽっちも諦める気なんてない。だから何度告白されたって、俺は何度でも言うよ。『君とは付き合えない』 ってね」
「………………」
 口を結んだ石崎の瞳に、くっきりと怒りの色が現われているのを見て、拓海は却ってほっとした。怒るなら、怒ればいい。むしろ、怒らせるために、拓海はこういう時、常に冷淡な態度をとっている。怒るのも、憎むのも、その対象は拓海だけで済むように。
 石崎は、拓海にきつい眼差しを据えた後、ちらりと壁に掛かっている時計に視線を走らせた。つられて拓海もそこに目をやり、舌打ちしたいような気分になる。もうこんな時間か、と思ったのだ。
 鏡花を待たせているから、早く話を切り上げたかった。万が一にもこんなところを見られないように、陽介と宙人に言伝を頼んで、適当に時間を稼いでおいてくれと言ったのだが、上手いことやってくれているだろうか。和葉が一緒にいるはずだから、多分大丈夫だとは思うのだけれど──
「……あの子と、同じようなこと言うのね」
 そんなことを考えていた分、一瞬、意識が逸れた。その言葉で我に返って向き直ると、石崎はリップに彩られた綺麗な形の唇を、歪めるように曲げて、笑っている。
「あの子?」
「あの子も、そんなようなこと言ってたわよ。『拓海が離れていくのはしょうがないけど、自分からは離れていく気はない』 とかなんとか。……バッカみたい」
「………………」
 吐き出すように言われた台詞に、自分の顔色が変わったのがはっきり判った。
 告白を断られ続けて、大人しくしているような性格ではないだろうと思っていた。いずれ、何らかの形で鏡花にも接触していくかもしれない、とも危惧していた。中学の時の苦い経験の二の舞を踏まないように、と慎重にしていたつもりだったのに、結局自分は、後手に廻ってしまったということか。
 この高慢な女に、面と向かって、一体鏡花はどんな心ない言葉を投げつけられたのかと思うと、胸がちりちりと焼けるようだった。一見したらなんでもないような顔で、けれど心の内では何を思って、鏡花はそれを受け止めたのだろう。
 ──「言う必要のないこと」  ってこれかよ、キョーカちゃん、と呻くように思う。
「……あたし、あの子、嫌いよ」
 ぼそりと石崎が呟いた。再び、壁の時計に目を走らせる。さっきから、やけに時間を気にしているようだった。何か用事でもあるなら、さっさと俺の前から消えて欲しい、と本気で思う。
「あたし達、誰だって、毎日毎日、笑いたくなくても笑って、楽しくなくても楽しいフリをして、興味がなくても人の話に合わせて、外面だけは明るく過ごしてるの。そうでなきゃ、この狭い世界でやっていけないことを知ってるからよ。あたしだって、つまらなくても笑顔を振りまいて、退屈な相手とも仲良くやって、苦労して人望を広げてきたわ。けど、あの子はそういう努力を最初から放棄してるじゃない。笑いもせず、見境なく頷くこともせず、媚びもしない。なのに、あの子の傍にはしっかりと支えてくれる友人がいて、必死になってこうして守ってくれる拓海君がいる。こんなの、不公平よね。許せない。──だから、あの子は嫌い」
「………………」
 拓海は、無言で石崎に視線を投げる。どんなに言葉を尽くしたところで、この相手には判ってもらえるとは思えないから、口を開く気にはなれなかった。
 石崎は、知らないのだ。
 ──鏡花が、感情を表に出すのが苦手になったのは、そもそもどういう理由があったのか、なんて。
「……ねえ」
 声を落として、石崎が上目遣いに呼びかけた。どういう角度から見たら一番自分が魅力的に見えるのか、知り尽くしているのだろう。そういう計算をしているということさえ、今の彼女は隠しもしない。
 そして、言った。

「一回だけ、キスさせて」

「………………」
 表情を変えもせず、黙ったままの拓海に、石崎は妙な早口になって言葉を継いだ。目線が素早く時計のほうへと流れて、また戻る。
「ね、お願い。一度キスしたら、諦める。もう二度と、拓海君にも近寄らないし、あの子にも話しかけたりしない。もちろん、あたしだってプライドがあるから、こんなこと誰にも言わない。気持ちの区切りとして、あたしには必要なの。ねえ、わかって。女の子から、こんなこと頼むの、どれだけ恥ずかしいかくらい、想像できるでしょう?」
「………………」
 拓海はやっぱり、答えなかった。答えなかったけれど、ひとつ溜め息をついて、わずかに上体を前に傾けると、ふいと目を逸らした。
 ──それが 「了承」 の合図だと、相手が受け取ることを、判った上で、そうした。
 別に、同情心があったわけではない。苛立ちと腹立たしさはあれど、好意などは欠片も抱ける相手じゃなかった。それでも、そうせざるを得なかったのは、ただひたすら、怖かったためだ。
 ここで下手な対応をしたら、また、鏡花にまで害が及ぶのではないかと。ただでさえ、石崎は鏡花への悪感情を露骨に表明しているのに。いや、違う、不公平だなんだというのは、結局口実だ。あれは、この申し出を拓海に断らせないための、紛れもない脅しだった。
 微笑む石崎の顔が近付いてきて、拓海は目を閉じた。
 大したことじゃない、と強いて心に言い聞かせる。拓海にとって、「特別」 なのは、鏡花とのキスだけだ。特別な人とのキスだから、いつも幸せな気持ちになれるのだ。鏡花以外の人間といくら唇を合わせたところで、そんな幸福な気持ちは決して自分の中には生まれないということも知ってる。心の入らないその行為には、まったくなんの意味もない。だから、大したことじゃない、と。
 気配がさらに近くまで寄せられて……二人の唇が、重なった。
 重なったのは本当に一瞬で、もういいだろうと言わんばかりに、拓海はすぐに、自分から身を引いた。目を開けたら、間近にある美しい顔は、残酷なほど楽しそうに笑っていて──そして。
 そして、拓海はその時点でやっと、気がついた。石崎の意図に。彼女がさっきからずっと、壁の時計を気にする素振りを続けていた理由に。
 いつだって、拓海はそうやって、取り返しのつかない時点で気づくのだ。そうして、過ちを繰り返す。

 ──教室の開けられたドアのところには、鏡花が立っていた。


          ***


「────……」
 心臓が、止まったような気がした。
 鏡花は──多分、間違いなく、拓海が他の女の子とキスしている場面を見てしまった鏡花は、しかし、怒ることも、そこに踏み込むこともしなかった。表情を、変えることすらしなかった。
 ただ、視線を下に落とし、そのまま静かに踵を返して、そこから立ち去ってしまっただけだった。長めの髪の毛と、制服のスカートの端だけが、するりと流れるようにその動きに従う。
「きょ……」
 一瞬にして喉が干上がった。声が張り付いてしまったようで、続きが出てこない。頭に血が昇って、ものを考えることも出来なかった。
 咄嗟に、目の前の石崎にぱっと顔を向けると、彼女はクスクスと笑い続けている。

 ──ハメられた。

 ここに至って、ようやく心底から理解した。もう既に、石崎にとって、拓海と付き合うかどうかなんて、さしたる問題ではなかったのだ。あったのはただ、屈辱を味わわされたことに対する意趣返し、それだけだったのだと。
 きっと、「この時間にここへ来て」 なんて、事前に鏡花に言い含めてあったに違いない。誰にも内緒で、とでも言われたら、鏡花のことだ、本当に和葉にも黙って、ここに来ただろう。そんな相手でさえ、素直に対応しようとする鏡花の性質が、この時ばかりは恨めしかった。
「キョーカちゃん!」
 大声で名を呼ぶ。
 教室のドアのところまで駆け寄ったら、誰もいない放課後の廊下を歩く、華奢な背中が見えた。その背中は、逃げることもなかったが、拓海の声に振り返ることもなかった。
 血の気の引く思いで、拓海は床を蹴って走り、急いで鏡花の前に廻り込む。思いきり両肩を掴んで、強引に歩みを止めさせ、顔を覗き込んだ。
「ごめん、キョーカちゃん。違う、違うんだ。ごめん、俺の話を聞いて」
 切羽詰った表情と声音で、まるで懇願するように言い募った。
「………………」
 俯いた鏡花は、何も言わなかった。
 拓海に対して、怒ることも、責めることも、問い詰めることもしなかった。
 何も言わないで、ゆっくりと上げた顔は、いつもとあまり変わらない無表情だった──けれど。

 瞳から、ぽろりと一粒、涙が零れた。

「…………っ」
 その涙に動揺したのは、拓海ではなく、鏡花の方だった。
 彼女は、自分の瞳から落ちたものに気づくと、狼狽したように慌てて手の平でそれを押さえた。まるで、一生懸命、それを隠そうとするように。
 でも、その一粒で枷が外れてしまったみたいに、鏡花の目からは次から次へと、涙が膨れ上がっては、頬を滑り落ちていった。細い指の間から、ぽろり、ぽろりと透明な雫が伝っては落下していく。
「……キョーカ、ちゃん」
 呆然とした掠れ声が、拓海の口から漏れると、鏡花はますます顔をくしゃりと歪めた。どうやっても自分の意思では止められない涙に、歯を喰いしばり、顔を赤くして、悔しそうに眉を寄せた。
「……ご、め」
 彼女の詰まった喉の奥から搾り出すように出てきたのは、おそらく、謝罪の言葉だったのだろう。悪いのは、彼女じゃないのに。
 そして、鏡花はくるりと身を反転させて、今度こそ本当に、拓海を置いて、その場から走り去っていった。


          ***


 どれくらい、そこで立ち竦んでいたのか。永遠のように長い時間に思えたけれど、実際はきっと、ほんの数分だったかもしれない。
「……やられたみたいね」
 と、拓海の背中から、声が掛けられた。
 のろのろと振り返ると、そこには和葉と陽介と宙人が雁首を並べている。和葉はいかにも面白くなさげに腕組みをし、陽介と宙人は申し訳なそうに、身を縮めていた。
「なんか、鏡花がずっと、時間を気にしているようだなとは思ったのよ。拓海君はなかなか来ないし、嫌な予感がしたのよね。要するに、まんまと石崎の罠に嵌まったってことね」
 腹立たしそうに、足踏みしている。こんなにあからさまに怒っている和葉は、はじめて見た。
「ごめんな、拓海。鏡花さんが、『すぐに戻る』 って言って教室を出て行くから、てっきりトイレかなんかかと……こんなことになるなんて、思わなくて」
「足止めの役に立てなくて、悪かった」
「………………」
 二人の友人に頭を下げられたが、拓海は何も返せない。まだ、思考が上手に廻らなかった。けれど、この場合、悪いのは、この二人なんかではないことだけは、判っている。
「……ねえ、和葉さん」
 何処かしらぼんやりとしたまま、力なく呟くように言った。なんだかもう、どうだっていいような、投げやりな気分になっていた。それくらい、鏡花の涙は、拓海の心の一番痛いところを突いたのだ。
 和葉が、何も言わずに、憮然とした顔だけをこちらに向ける。
「……どうして、キョーカちゃんて、いつも俺になんにも言ってくれないのかな……。大体、女の子から色々と言われたりしたのだって、今回が初めてだってわけじゃないんでしょ? 悪口とか、きついこととか、直接言われたことだって、何度もあったんでしょ。キョーカちゃん、そういうこと、俺に言ったこと、一度もないんだよね。……そんなに、俺って頼りないのかな」
 石崎のことで、鏡花は一言だって拓海に相談も、泣き言も、文句も、言ってはくれなかった。今でさえ、拓海を責める言葉の一つも向けてくれなかった。自分の胸の中だけで収めて、一人で対処しようとした。昔となんら、変わりなく。
 「言う必要がない」?

 ……じゃあ、俺は、なんのために君のいちばん近くにいるの?

「…………」
 拓海の聞き間違いでなければ、その時、和葉は盛大な舌打ちをした。
「じゃあそう思ってれば。その甘ったれた言い草、付き合ってらんないわね。いい? 石崎はね、鏡花に向かって 『拓海君と別れて』 って言ったのよ。そんなことを言われて、別れるかどうかは、鏡花が自分で判断して決めることでしょ。誰かに相談して答えを出すようなことでもなければ、あたしも、拓海君だって、口を出すようなことじゃない。そして、鏡花は自分で考えて、自分で石崎に対してちゃんと答えたはずよ、違う?」
「………………」
 ──拓海が離れていくのはしょうがないけど、自分からは離れていくつもりはない、と。
 そう、言ったのだ、鏡花は。
「以前は、鏡花はそういうの、黙ってるだけだった。反論もしなかったし、言い返すことだってしなかった。でも、今の鏡花はきちんとそういうことに立ち向かうようになったのよ。拓海君を好きな気持ちは同じだから、せめて向き合うべきだと思う、って言ったのよ。そういうことからは、いつも逃げがちだった鏡花がよ? あんた、そんなことも判ってなかったわけ。だったら本当に、このまま別れた方がいいんじゃないの」
「────」

 聞こえなかったことにするでもなく、逃げるのでもなく、諦めるでもなく。
 理不尽な要求に対して、鏡花は真っ向から 「否」 という返事を突きつけた。そういう形で、精一杯、彼女は拓海の気持ちに応えようとしていてくれた。他の女の子たちや、石崎などの言葉では、鏡花は揺るがなったから、拓海にも何も言うことはなかった。
 鏡花は正しい。間違えたのは、拓海のほうだった。
 守りたかったけれど、その気持ちは本当に心の底からのものでもあったけれど、拓海は、今になって、その 「守りかた」 を間違えた。
 ……だから、鏡花は傷ついたのだ。

「なにしてんだよ、拓海。早く、追いかけないと」
 無言のまま、まだ突っ立っている拓海に、急かすようにそう言ったのは陽介で、
「俺の自転車使えよ。飛ばせば、電車に乗っていくより早いだろ」
 と自転車の鍵を放ってくれたのは宙人だった。
 手の平の中のその鍵を見つめて、拓海は和葉のほうを見る。彼女は憤然とした態度を崩すこともせず、仏頂面で、追い払うように手を動かした。
「言っておくけど、あたしは鏡花の味方だからね。鏡花が別れたいって言ったら、どんな事情があろうと、今後、どこまでも拓海君が鏡花に近付くのを邪魔してやるわ」
「………………」
 和葉だったらやるだろう。徹底的に、容赦なく。
「──けど、とりあえず、拓海君は今すべきことをしなさい。鏡花を泣かせたあのバカ女のことは、あたしに任せといて。……まったく、冗談じゃないわよ。汚い真似して、もう許さない。バーカバーカ」
 どうやら、和葉が怒っているのは、拓海よりも石崎に向けたものの方がよっぽど大きかったらしい。語気も荒く、完全に目が据わっている。その和葉に、有無を言わさず後ろ襟首をがしっと掴まれて、陽介と宙人が、「は?!」 「俺たちも?!」 という悲鳴を上げた。
「安心しなさい。あたしはこう見えて、弁護士志望なのよ」
「だから何っすか!」
「二人が犯罪者になっても、あたしがちゃんと弁護してあげるわよ」
「いつの未来の話ですか! つーか、そんな犯罪になるようなこと、するつもりなんですか?!」
 陽介と宙人が叫ぶ。
 けれど二人は、拓海と目が合うと、声には出さずに、揃って、「早く行け」 という仕草をした。
「…………うん」
 頷いて、拓海はぐっと鍵を握り締める。
 それから彼らに背を向けると、勢いよく走り出した。



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