月の花

Finale.海に映る月・月に咲く花(4)




 夕闇の中、自転車を全力で走らせて鏡花の家に辿り着いたら、門前に立っていた雪菜が、拓海のほうに顔を向けた。
 凍えるほど気温の低い冬の日だったが、それよりもずっと、冷たい眼差しをしていた。

「……俺の出迎えか、雪菜」
 自転車から降りて、額から滴り落ちる汗を軽く頭を振ってふるい落とし、荒い息のまま問いかける。口から出る真っ白な息が闇に広がり、門灯に照らされ消えていった。
「インターホンを鳴らされるのも迷惑なのよね。何しにきたのよ、拓ちゃん。拓ちゃんの家はここじゃないでしょ、さっさと帰ったら?」
 暗がりの中でも見て取れるほど、雪菜ははっきり口の端を上げて冷淡に笑った。拓海がここに来ることを判っていたからこそ、寒い中こんな時間までここで待っていたのだろうに、叩きつけるような一方的な口調だった。
「……キョーカちゃん、泣いてたか?」
 ぼそりと訊ねると、雪菜はますます険しい瞳になって、「泣く?」 と吐き捨てるように繰り返した。
「あたしの前で、お姉ちゃんが泣くわけないでしょ。何があったって、お姉ちゃんは、あたしに涙なんか見せたりしない。どんなに辛いことがあっても、悲しいことがあっても、それを隠すわよ。……バカなお姉ちゃん。あんなに真っ赤な目をして、頬っぺたに涙の跡がたくさん残ってたって、『いつも通りの顔』 さえしていれば、あたしを誤魔化せると思ってるんだから」
 あたしはもう幼稚園児じゃないのに、とちいさく呟いて、悔しそうに拓海から視線を逸らした。
「……拓ちゃんは、お姉ちゃんのそういうとこ、ちゃんと判ってると思ってた」
 その声には、責めるというより、明らかな落胆と失望があった。
「判ってるよ」
 拓海は、静かに答える。多分、拓海と雪菜以上に、そんなことを判っている人間はいないだろう。拓海と雪菜はお互いにいがみ合ってはいても、そういう意味で、ずっと同盟者のようなものだったのだ。
 だから、雪菜は今、怒るよりも失望している。「そんな鏡花」 だから、雪菜は幼い頃からずっと彼女を守ろうと躍起になっていたのだろうし、拓海もそれを理解しているという前提があるものとして、ヤキモチを焼いて邪魔はしても、拓海に姉のことを託していたのだろうから。拓海は、鏡花ばかりでなく、雪菜のその信頼までも、裏切ったのだった。
「──俺、間違えたんだ」
 拳を強く握り締める。頭も、胸も、何もかもがずきずきして痛い。けれど、落ち込んだり、自己嫌悪に陥るよりも先に、やるべきことがあると思ったから、拓海はここまでやって来た。引き返すわけにはいかない。
 ……何もしないうちから諦めてしまうなんて、もう、真っ平だ。
「ごめんな、雪菜。判ってたし、判ってるつもりだったけど、俺、間違えた。キョーカちゃんを守ろうとして、却って傷つけた。けど、傷つけたままに、しておきたくないんだ。ちゃんと顔を見て、話をして、謝りたい。今、キョーカちゃんが泣いているなら、ひとりっきりで、泣かせておきたくない。……キョーカちゃんに、会わせてくれ。頼む」
 正面から雪菜に向かい合って、頭を下げた。今の拓海に出来ることといったら、それしかなかった。
「………………」
 雪菜は無言で頭を下げ続ける拓海を見て、「……それでも、お姉ちゃんが許さなかったら、どうするのよ」 と低い声で訊ねた。
「許してもらえるまで、頑張る」
「………………」
 今度の沈黙はかなり長くて、そろそろと頭を上げて雪菜を窺ったら、ものすごく嫌そうな顔をして口をひん曲げていた。
「拓ちゃんのそういうとこ、ホントに嫌い」
 しばらくして、忌々しそうにそう言うと、雪菜は門に凭せ掛けていた上体を起こした。そのまま、くるりと身を翻し、すたすたと歩き去る。
「ちょっと、夕飯の買い物に行ってくる。──お姉ちゃんは、自分の部屋にいるわよ。また土下座でも何でも、気が済むまでしてみたら」
 拓海はその背に向かって、「ありがとな」 と声を掛けたが、雪菜は何も返事をせず、肩を竦めただけだった。


          ***


 ──だめ、という言葉が返ってきたのは、正直、ショックだった。
 少しは予想していたことだとはいえ、頭で考えていたより、その声を直接聞くことのほうが、数十倍も痛手だった。鏡花の拒絶は、鋭い針になって、拓海の心臓を貫いていくようだった。
 ずっと、拓海が何を言っても、何をしても、「いいよ」 と穏やかに微笑んで、受け入れてくれていた鏡花。
 今まで、拓海のワガママを、そして自分でもどうにもならない不安を、すべて優しく包んでくれていた鏡花が、今この時、はじめて拓海を弾こうと──切り捨てようとしている。
 情けないけれど、ドアノブに掛けていた手が震えた。足元がぐらぐらして、覚束ない。さっきまでの威勢のいい決心は吹っ飛んで、本当のことを言えば、ここからすぐに逃げ出したいくらいだった。まともに顔を合わせて、鏡花に拒まれたら、その時こそ、自分はどんな醜態を晒すのか、まったく自信がない。
 でも。
 でも、ここで逃げたら、それでもう全部が終わってしまうということもよく判っていたから、足は動かなかった。
 中学の時、拓海は逃げた。鏡花の前から、何度も、逃げた。逃げてしまえば、さらに苦しくなるということを、今の拓海はもうよく知っている。

 どうやったって諦めることが出来ないのなら、逃げないで、踏ん張って立ち向かって、乗り越えていくしかないんだ。

 拓海は黙ってノブに掛かっていた手を動かし、ドアを開けた。
 部屋の中は電気も点けていなくて暗かったけれど、窓の外の街灯が、かろうじて中の様子を浮かび上がらせている。
 制服のままベッドに腰掛けていた鏡花は、拓海が部屋の中に入ってきたことに気づいて、俯かせていた顔を反対方向に逸らした。近付いて、鏡花の足許の床に両膝をつき、下から覗くようにすると、何度も小刻みに首を横に振って、今度は右手で顔を覆った。
「……キョーカちゃん」
 小さい声で呼びかけ、鏡花の右手を掴む。一瞬、びくりと身体を揺らして抗おうとした彼女に、泣きたいほど切なくなった。
 それでも意志の力を総動員して、拓海は鏡花の手を、そこから退かせた。現われた彼女の顔は、もうどうにも繕いようがないほど涙で濡れていて、そのことにまた痺れるような痛みが走る。
 やっと拓海と顔を合わせてくれた鏡花は、その途端にまた、瞳からぽとりと涙を落とした。そしてその涙に、もどかしそうに口許をきゅっと結んだ。自分では止めよう止めようとしているのに、彼女の涙はその意思にまったく従うつもりはなさそうで、そのことに鏡花自身、心底困り果てているようだった。
 ぽたり、ぽたりと綺麗な雫が、零れて落ちる。
 今の自分にそんな資格があるのかどうかは判らなかったけれど、拓海はどうしてもそのまま放ってはおけなくて、手を伸ばしてそっと鏡花の頬に触れ、指の先でその涙を拭った。
 鏡花は泣き顔を見られてもう諦めたのか、大人しくされるがままになっている。ゆっくりと目を閉じたら、新しい粒がぽとぽとと続けざまに落ちてきた。
「……キョーカちゃん、昔は、すごい泣き虫だったよね」
 撫でるように指を動かしながら、独り言のように言った拓海の言葉に、鏡花からの返事はなかった。頷くでもなく、反論するでもない。ただ、黙って涙を流し続け、拓海がそれを拭うのに任せているだけだ。口も利いてくれないのか、と思うと、心臓を鷲掴みされたみたいに息苦しくなった。
「男の子に意地悪されたり、からかわれたりして、よく泣いてた。……けど、キョーカちゃんが泣くのは、いつも一人の時だけだったよね」
 ──それでも、拓海は知ってる。
 ずっと幼い頃、鏡花は普通に、感情を素直に表に出す子供だった。
 泣きたい時に泣いて、笑いたい時に笑っていた。穏やかな性質はその頃からあまり変わってはいないが、時には子供らしく泣きながら駄々をこねることだってあった──はずだ。ぼんやりとしたものだが、拓海にも確かにそういう記憶が残っている。
 けれど気がついてみたら、鏡花はいつの間にか、人前で泣くことをやめるようになっていた。
 一人でこっそりと、涙を落とす。声を抑えて、誰もいない場所で見つからないように泣く。誰かに声を掛けられれば、慌てて自分の顔を手で拭き取るように。
 なぜかなんて、考えるまでもない。
 彼女を親代わりにして依存しきって、姉が泣いていたら一緒に泣き出してしまうような、ちいさな妹の存在があったからだ。そして、鏡花が泣いていると暴走してしまう、感情的な年下の幼馴染が、すぐ傍にいたからだ。
 二人を心配させないように、無茶なことをしでかさないように、いつも無邪気に笑っていられるように、幼い鏡花は、幼馴染と妹の前で泣くのをやめた。辛くても、困っていても、それを隠すようになった。自分自身で、感情を表に出すことを戒めたのだ。
 もともと人に甘えることをよしとしない鏡花は、それによってますます自己を表現することが苦手になってしまった。彼女が、無愛想だの無表情だのと他人から謗られるのは、突き詰めて言えば、すべて、彼女に甘えきっていた拓海と雪菜に責任がある。
 拓海と雪菜は、そのことを知っている。だからこそ、自分たちは、鏡花を愛さずにいられなかった。

 ──その優しさを。その愛情深さを。そして、その強さと、脆さを。

 そんな鏡花が、今、拓海の目の前で泣き続けている。もう、隠そうという努力も放棄したように、目を閉じて、静かに涙を落とし続けている。
 それは、現在の鏡花がそれだけ拓海に心を委ねている、ということに他ならなかった。一度は離れて、また寄り添いながらやってきた時間が、彼女にそういう変化をもたらしたのだった。そこにあるのはもう、幼馴染としての好意や友情なんかではない。
 春から今まで、自分たちはそうやって、絆とか信頼とか恋心とかを、一緒に育んできたのではなかったか。ゆっくりと、時間を掛けて。
 それを断ち切るようなことを、拓海はしたのだ。皮肉なものだ、あんなにも求めて望み続けていた 「鏡花の心」 が、既に自分の手の中にあったことを、こんな形で思い知るなんて。
「……ごめん、キョーカちゃん」
 呻くように、言葉が出た。
 謝っても、彼女からの信頼を取り戻すのは難しいだろう。それは判っていても、どうしても言わずにはいられない。
 ようやく、鏡花が目を開けて、こちらを見た。頬に置いている拓海の指先を、跳ね除けることもしないが触れてくることもない。一直線に拓海に向かってくる瞳には、怒りの色はなかったけれど、ひどく捉えどころのないものがあるような気がして、それがいっそう拓海の不安を煽る。
 ──もしかして、鏡花の中ではもう、結論が出てしまっているんじゃないか? と思うと、顔から色が失せていった。
「……拓海」
 鏡花がゆっくりと口を開いて、名を呼んだ。だめ、と言い切った時のような強さはないが、揺らぎのない声だった。
 それに続くのが、「終わりにしよう」 という言葉だったら、という考えが頭を過ぎった途端、拓海は叩き返すように声を出していた。
「いやだ」
 自分のものとも思えないくらい、低い声だった。鏡花は少し驚いたように瞳を瞬いて、それからわずかに結んでいた口許を緩め、困ったように淡い微笑のようなものを浮かべた。
 それを見た拓海は、却って焦る。そんな慈愛のような表情は、見たくなかった。
「まだ、なにも言ってな──」
「いやだ、いやだ!」
 言いかける鏡花の言葉を遮って、今度は叫ぶように言った。これじゃあまるで駄々っ子だ、とは思うものの、感情がどうしても制御出来ない。
 鏡花の頬にあった手を外し、無理矢理のように膝に置いてある彼女の手を捕まえて握る。しっかりと、逃がさないように。
 床に膝をついたままの姿勢で、下から睨みつけるようにして強い視線を鏡花に向けた。
「俺、別れないからね」
 身勝手な言い分だ。どんなに責められても詰られても別れを切り出されても、黙って受け止めるしかない、というだけのことをしたのは、拓海のほうなのに。
 鏡花がもう別れを決意していたらと思うと、焦燥で身の奥が焼けるようだった。まざまざと想像できるだけに、ぞっとする。鏡花はきっと、離れるとなったら徹底的にそれをやり遂げるに違いない。
 話しかければ、言葉を返してくれるかもしれない。表面上は、拓海に対する態度は特に変わらないかも。けれど、そこには確実に引いた一線があって、鏡花はもう二度と、その線よりこちらには一歩も踏み入っては来ないだろう。「拓海」 と、優しい声で名を呼ぶこともない。照れたように笑ってくれることもない。いいよ、と拓海を受け入れることもない。
 いやだ、と思う。どんなにみっともなくても、縋り付いてでも、拓海は鏡花を手放す気なんてなかった。
「──俺、ずっとキョーカちゃんのことが好きだった」
 感情のまま、口からは言葉が続いていた。好きだとは何度も何度も言ってきたけれど、それとは違う意味だ。そのことだけは、故意に黙っていたことでもあった。
「子供の頃から、ずっと好きだった。キョーカちゃんは俺のこと、弟としてしか見ていなかったかもしんないけど、俺はただの一度だって、キョーカちゃんを姉のように見たことなんてない。俺にとって、キョーカちゃんは、ずっと恋する女の子だった。距離を置いたのだって、そのためだ。今も、俺が好きなのは、キョーカちゃんだけなんだ」
 子供の頃に刷り込まれた感情がある、と石崎は言っていたが、そうだとしても、鏡花を恋い慕う気持ちに嘘はない。ハタ目からは姉弟のようにしか見えなくても、鏡花自身もそう思っていたのだとしても、拓海は幼い頃から、鏡花を一人の 「女の子」 として意識し続けていた。ずっと彼女を守る存在でありたいと、願い続けていた。
 けれどそこで、そう思っていた自分自身が、誰よりもいちばん手酷く鏡花に深い傷を負わせた事実にまた気づき、拓海は顔を歪ませる。
「………………」
 鏡花からは、何も返事がない。
 うな垂れて、それ以上何を言うべきか考えつかず口を噤んでいたら、握っていた手が、自分のそれからするりと抜き取られ、思わずぱっと顔を上げた。やっぱり駄目なのか、と思うと、目の前が真っ暗になっていくようだった。
 ──でも、鏡花は拓海の手の中から抜いた手を、今度はまた改めて、そっと拓海の手に乗せた。
「……ね、拓海」
 静かな表情、静かな声だった。泣き濡れてはいたが、もうその瞳から、涙は出ていない。
「ちゃんと、話してくれるかな。拓海は私に、まだ話してくれていないことが、あるでしょう?」
 瞬間、拓海の顔が強張った。何を言ってるんだ? と混乱する。なんのこと、と問い返す前に、鏡花は 「中学の時に」 とすぱりと核心を突いた言葉を口にした。
「拓海はその頃のことをあまり話したくないようだったし、いつかは話してくれるのかなとも思ってたから、聞かなかった。でも、中学の時に、『何か』 が、あったんだよね? そしてそれは、拓海が私に対して、悪いな、とか、申し訳ないな、とか思うようなことだったんだよね?」
 鏡花の声は流れるようにゆるやかだったが、拓海は身体の血液が逆流しそうだった。鏡花は一体、どこからどこまでを知ってるんだ、というひやりとした気持ちが背中を駆け上がる。
「ずっと、考えてたの」
 そう言って、鏡花は、わずかに視線を下に落とした。

「拓海が、私に突然 『付き合って』 なんて言ったのは、その何かの出来事の、罪悪感があったからなんじゃないかって」

「……ち、が」
 思いもかけないことを言われて、呆然とした。罪悪感はもちろんあったが、それは大事なことを黙っているという理由と、強引に鏡花を手に入れたことに対するものだ。順序がまったく逆だ。
「違う。キョーカちゃん、信じて。俺、そんな理由でキョーカちゃんの傍にいたわけじゃない。本当に、キョーカちゃんのことが好きだったから、いちばん近くにいたかったから」
 必死に言い募ったけれど、言えば言うほど、言葉が空回りしだすのを、拓海自身、どうしようもなかった。口にしているのは真実なのに、どうしたって虚しく響いてしまうのは、重要な部分を伏せているためだと認めずにいられない。肝心のところを隠し続けるのなら、拓海が何を言ったって、その言葉は中身が空洞のままなのだ。
 今こそ、痛感した。
 拓海は、鏡花に交際を申し込む前に、ちゃんと事の次第を説明して、まず謝るべきだった。
 その勇気がなかったばかりに、今になってこんなひずみが生まれてしまっている。いいや、もしかしたら一番初めの時からそれはあって、気づかないまま大きくなっていたのかもしれない。順調に付き合っているように見えて、自分たちは最初から、危うい綱渡りを続けているようなものだったのだ。
「………………」
 目が覚めたような気分で、ぐっと唇を引き結ぶ。
 ここでようやく、拓海は心を決めた。それはひょっとしたら、遅すぎるくらいだったのかもしれないけれど。
 でも、せめて気づいた時点で、過ちは正さないと。
 終わらせたく、ないのなら。

「……あのね、キョーカちゃん。俺はね」


 鏡花の足許に跪くようにしているこの格好、何かに似ていると思ったら、やっと思い出した。
 ──何かで見た、教会での 「懺悔」 の姿勢に、そっくりだ。


          ***


 拓海がずっと鏡花を好きだったことも、自分の迂闊な言動のせいで辛い思いをさせてしまったことも、鏡花の前から逃げるしか出来なかったことも、そのために一度は諦めようとして結局は諦められなかったことも、今までそれを黙っていたことも、石崎との間にあったことも、何もかも。
 長いことかかって、すべてを話し終え、拓海は鏡花に向かって、ごめん、と頭を下げた。
 それで完全に気が楽になったわけでも、自分の罪が消えるわけでもないのだが、数年来の忘れ物をやっと取り戻したように、ほっと息をつけるような気分になったのは確かだ。
 ──聞き終えた鏡花は、一言、「それは拓海のせいじゃないよ」 と呟いただけだった。
 それからしばらく、黙って何かを考えているようだったが、ふいに、拓海、といつもと同じ穏やかな声で名を呼んで、拓海の手の上に置いていた自分の手に、力を込めた。
「……私達、ちっちゃい頃にずっと一緒にいて、お互いのことをたくさん知ってるけど、こんな風に、まだたくさん知らないこともあるよね。知らないことも、気づかないこともある。私はそういうの、嫌だなって思うし、悲しいことだとも思うんだよ。気づかないまま、知らないままで素通りしたくないとも思うけど、言葉にしないと届かないものはいっぱいある。だから、拓海がこうして話してくれたこと、すごく嬉しいし、私も、自分の気持ちが、少しでも拓海に伝わればいいなと思ってる」
 これからも二人一緒にいるのなら──と続けられた言葉に、拓海は目を見開いた。
 鏡花はほんのりと頬を染めて、けれど真っ直ぐに拓海を見つめた。

「私、拓海が好き。離れていって欲しくない。拓海の隣にいるのが、私以外の誰かになるのは、嫌」

 はっきりと、そう言った。
「……許して、くれるの?」
 耳にした言葉が自分でも信じられなくて、おそるおそる訊ねると、鏡花はちょっとだけ口を閉じ、それから思い切ったようにまた口を開いた。
「──私と付き合ってる間は、どんな理由があっても、もう、他の女の子と、キスしないで」
「絶対しない。ごめんなさい」
 間髪いれずに約束した。
「私は拓海と、これからも続いていけたらいいなと思うから、自分に出来る限り、頑張ろうと思う」
「うん、俺も」
「でも、他に好きな子が出来た時は、ちゃんとそう言って欲しい」
「うん」
 とはいえ正直なところ、果たしてこの先、鏡花以外の誰かを好きになることなんてあるのか、自分でもまるで想像出来ないのだが。逆に、鏡花からそんなことを言われた場合、自分は逆上して相手を殺しに行きかねないくらいなのだが。
 そう思ったら、自分の子供さ加減が、ちょっぴり嫌になった。
「……俺、もっと、大人になるよう、努力する」
 反省するようにそう言うと、鏡花は少し黙った。
 それから──ふふ、と軽く声を立てて笑う。

 優しく、可愛く、やわらかく。
 暗闇の中で、そこだけ明るく輝く、綺麗な花のように。

 そして、
「拓海は、そのままでいいよ」
 なんて、拓海をまた甘やかすようなことを言うもんだから。
「………………」
 あーもう駄目、と拓海はすっかり降参して、鏡花の手を取って引き寄せると、その甲に、そっと唇を落とした。
 まるで、姫君に永遠の忠誠を誓う騎士みたいに。



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